エピローグ(あるいはインタールード)





「負傷5名、うち重傷は1名。耐魔術装備のおかげで、魔術による傷はほとんどないが、魔術を受けた際に落馬してあばらを折ったらしい。命には別状はないが、まともに動けんようだから、介抱役をつけてザードリックに後送し、明日ダグラスの隊に合流させることにした。まあ今回は運が悪かったが、まだ若いようだから、また次があるだろう。――これが隊の被害状況だ」
 隊に戻ったアッシアに、淡々とジュリアスは状況を説明した。銀髪が流れる柔和な顔はそのままだが、目が司令官の厳しい目、声は落ち着いている。その様子は冷徹とも取れるかもしれないが、戦場では狂騒よりも冷静が頼もしい。ジュリアスは平静な調子のまま続ける。
「お前の話を聞いた限りでは、あの攻撃は、予想通り斥候の嫌がらせの類だったな」
「ああ。たったひとりで攻撃を仕掛けてきたようだったし、他に何か考えがあったとも思えない。敵の捕縛には失敗したけれど、きっと手傷を負っただろうから、もう襲撃はできないだろう」
「そうか。それでは、予定よりも遅れたが、出発する。捕縛活動は続行だ」
 既に隊員たちには意が含まれていたのだろう。ジュリアスが軽く手を振ると、騎士たちは動き出した。先頭から順々に、2列縦隊になって、一定間隔をお互いに保ち馬を走らせる。
「アッシア教師」出発から間もない時間に、馬を寄せて話し掛けてきたのはエマ教師だった。「大丈夫ですか? 顔色が、優れないようですが」
「大丈夫ですよ……ちょっと、気分は悪いですけど、いつものことですから」
 黒縁眼鏡をかけなおしながら、アッシアは無理に笑ってみせた。エマはそれでも心配そうな表情をしていたが、アッシアの鞍にいる黒猫が首を左右に振るのを見て、黒縁眼鏡の魔術師の言葉を受け入れたようだった。
 馬首を翻し、エマも進発する。
 土煙を立てて小さくなっていく、その後ろ姿を見送りながら、アッシアは深く息を吐いた。そして、ぱん、と目の前にあった茶色い馬首を叩く。
「さあ、いこうか。お前も疲れただろうけどな」
 まったくだ、というように、馬はぶるると息巻いて、ゆっくりとしたペースで進み出す。アッシアは軽く拍車を入れ、六割ぐらいの速さで走るように調整をして、隊の歩調に合わせた。
 そしてそのまま、ろくな道も無い荒野を、東へとかけていく。ピエトリーニャの隠れ家を目指して。
 百余りの人馬の一隊が、土煙をあげて荒野を進む。夏の太陽は本格的に輝き出す時刻、日を遮る雲はほとんどない。乾燥した埃っぽい風が、わずかな涼をもたらしてくれる。

 走る馬の走る振動で、治まりかけていた頭痛と吐き気がぶりかえしてきた。
 苦痛でにじんでくる額の脂汗を、アッシアはローブの袖で拭う。
 肉体的な苦痛は、精神的な苦痛を加速させる。
 彼の記憶のなかで、暗い過去が、またずるりと蓋を開ける。
 血の匂いと咆哮と悲鳴とが響く、彼の戦場。
 後方へと流れる地面。伝わる振動。断続無く響くひづめの音。
(僕は――)
 あとはまるで、後ろに流れる世界に飲み込まれるように。
 アッシアの意識は、急速に過去へと引き戻されていった。



                          ■□■



「ふうさ?」
 フォークを口に入れたままで、リーンがきょとんとした目で聞き返した。
「ああ、封鎖だ。だけど詳しい話の前に、まずは口の中のものを飲み込め」
 食堂の椅子を引き、腰掛けながらパットが言った。リーンは、うん、と頷き、もぐもぐと口を動かし始めた。この娘にだってたまには素直だ。
「ザードリックが封鎖って……わたしたち、この街から出られないってこと? いつまで封鎖なの? 何があったの?」
 両手で水の入った器を包むようにしながら、聞いたのはリーンの隣に座っていたヴァルだった。当たり前だが心配なのだろう、矢継ぎ早の質問だった。
 聞かれたパットは、降参したように腕をあげた。よくわからない、ということなのか、そんないっぺんにたくさん聞くな、という意味なのか。とにかく。
「食堂のおばちゃんに聞いた話じゃ、しばらく、この街の人の出入りが禁止になるんだって。今朝、騎士隊を攻撃した賊が、この付近に潜んでいるんだってさ」
「しばらく……って、どのくらい?」ヴァルは重ねて聞いた。当然、もっとも気になるところだろう。
「封鎖は、ザードリックの警備隊がついさっき緊急判断で決めたらしいよ。封鎖の期間まで、まだ決まっていないんじゃないかな」
 そう言って、パットも首をひねった。ザードリックから出られないとなると、出発の日程や、帰宅までの旅の日程も変更しなくてはならない。路銀とか着替えとか、いろいろと問題がありそうだった。それよりも、このまま封鎖が続いて、街から出られない事態になったり、街が混乱状態に陥ってしまうかもしれないといった、もっと大きな次元でも不安がある。
 きっと、ヴァルも同じようなことを思っているのだろう、うつむいて唇を親指で押えるようにして、なにやら考え込んでいる。
「まー、とにかく」
 そこで、そう言葉を発したのは、リーンだった。
 ようやく食べ終えた朝食の皿を脇にどけ、水を一息に飲み干すと、かん、と小気味良い音を立てて器を置いた。ふう、と一息吐いて、続ける。
「こんなところで悩んだって仕方がないんだから。楽しく暇をつぶす方法を考えようよ」
「そりゃ、まあ……」
 パットは苦笑して同意する。確かに、今ここで悩んでみても、たいしたことができるわけでもない。流れに身を任せてみた方が賢いという考え方もある。
 朝食の皿をどけて空いたスペースに、リーンはのしと肘をついて身を乗り出す。
「おしゃべりしているうちに、あの白外套の女のことだって、きっと思い出すしね」
「あの女のひとのこと、まだ気にしていたのね、リーンは」
 ヴァルももう悩むのをやめたのだろう、ちからを抜いた表情でふふと笑う。
 皆の同意を得たと思ったのか、いや、元々、皆の同意など気にはしていないのだろうが――。リーンは、白い腕を振りながら、身振り手振りを交えて話を始めた。そこにパットがつっこみを入れ、ヴァルが笑う。

 予定が変わって、ぽっかりと空いた夏の朝。
 白い光が照り返す外の世界と、薄暗い食堂。
 どこかで鳴いている蝉の声。
 陽炎で揺らぐ空気。
 舞台がようやく整って。
 軽く、物語の頁が捲られる。
 どこか遠く、絵空事のように。








                                                   <続く>