1. 思い出した!





「あーもー、なんっか暗いのよね、さっきから! このへんとかあのへんとかそこらへんとか!」
 そういって、大して広くもない宿の部屋のベッドの上で、ばたばたとポニーテイルの少女が煽ぐように腕を振った。
 何かを振り払いたいようだが、結局そんなことをしても、振り払いたい何かは落とせない。やがてばちりと両掌を太ももに戻し、白い腕の動きを止めた。それでもどこか納得がいかないようで、鼻息荒く渋面だ。
「んーもぅ! 空気が重いー!」
 その様子を見守る褐色の肌の少女が、紫がかった瞳をおっとりと細めながら、ポニーテイルの少女へ声をかける。
「しょうがないよ。ザードリックは封鎖されたままなんだもの。雰囲気も暗くなるわよ」
「それはそうなんだけどさー」
 渋々と、ポニーテイルの少女――リーンが認める。
「いつも明るく楽しくいられればそれに越したことはないけれど、でもときどきは、暗くなっちゃうときもある。そうでしょ?」
 別のベッドの上、足を崩して座る褐色の肌の少女は諭すように言って、理解を促すように小首を傾げた。この諭した少女の方が、ひとつ歳が上なのだ。彼女の腕にはクッションが抱かれている。
 宿街ザードリックにある宿屋の一室。そこに、ふたりの少女はいた。格好はそれぞれ動きやすい私服姿だ。まさか、こんなところで制服ローブを身につける意味もない。
 ね、と納得を求める褐色の肌の少女。
 けれど、それを正論だと認めているのだろうが、リーンはうー、と唸り声を上げる。
「ヴァルの言うことはわかるし、もっともだと思うんだどさー」
「だけど?」
 ヴァルと呼ばれた少女は、話を促すように問いかけてやった。聞く姿勢を取るということなのだろうか、クッションを胸に抱き直す。
「なんていうか、深刻すぎっていうか、とにかく後ろ向きなのがイヤ。うまく言えないけど、何か……何か、つまんないし」
「じゃあ、また札遊びでもする?」
 そういう問題とも違うんだけど、とリーンは少し呟いて、
「ふたりで札遊びしても、面白くなかったじゃない」
「そうね」
 抗わずに、ヴァルは頷いた。
 リーンは、話の流れを変えるかのように、ふぅと大きく息をついた。
「だいたい、パットはどこにいったんだろ。自分だけ情報を取りに行ってくるなんて外に出て。あたしたちには危ないから部屋から出るな、なんて言ってさ。考えてみたら、偉そうよね。上から物を言われている気分だわ。すごく心外」
 あーあ、声をあげて、リーンはベッドに倒れこむ。伸びやかな白い脚を放り出し、天井へと顔を向けてしまった。
「確かに、少し遅いわね。心配してくれるのはありがたかったけれど、やっぱり一緒に行ったほうが良かったかな……」
 愁眉を作り、ヴァルが独り言のように呟く。
 封鎖されたザードリックの状況を調べると言って、赤毛のパットが出て行って小一時間。戻る気配はない上に、宿で外の声を聞いている限り、封鎖された街の混乱は続いているようだ。あのどこか斜めに構えた赤毛の少年が、何かの事件に巻き込まれてしまったのではないか。
「じゃあさ。探しに行く?」
 心配だからというよりは、退屈だからなのだろう。がばりとリーンが跳ね起き、聞いた。ヴァルは、その提案を噛んで含めるかのように考え、そしてちらりと壁掛け時計を見たあとに、彼女はそれを却下した。
「もう少し待ってみようよ。パット君と入れ違いになるのが一番まずいし」
 ヴァルは視線を宿の窓へと向ける。半分閉じられている鎧戸の向こう、街路にはまだまだ足止めを食った人々がひしめいているはずだった。フラストレーションが募るのか、怒鳴り声も聞こえる。外はあまり安全とは言えない様子だ。

 あーあ、つまんないの。

 再び、ばたりと音を立ててリーンがベッドに仰向けに倒れた。
 そして、やおらごろごろと転がり始めた。
 ベッドの端まで転がると、また反対方向へ戻って往復。
 そしてそれを繰り返す。
 横回転に合わせて、ぴょこぴょこぴょこと動く彼女の頭のしっぽ。
 それを目で追いながら、ヴァルが話かける。
「そういえば、リーンの教室で猫を飼っていたよね」
「飼ってるよー。クロさんね」
 応えながらも、リーンはベッドの上をごろごろと転がるのをやめない。その動きを目だけで追うヴァル。
「あの猫は、アッシア先生が世話をしているの?」
「うーん、そうだねー。だいたい、アッシア先生がやってるみたいだね」
「じゃあ、クロさんもここに連れてこられているのかな」
 そこで、少しの間だけ、リーンはごろごろを止めた。考えているようだ。そしてちょっと間をおいて、ごろごろを再開した。結論が出たらしい。
「多分ね」簡単な答えだ。
「……やっぱり、エマ先生も、一緒なのかな」
 頬に手を当て、ヴァルは考え込むような姿勢を取る。その脇で、リーンは飽きもせず回転しながら話を続ける。
「エマ先生も、クロさんをよく世話しているみたいだね」
「そうだね」ヴァルが呟く。「噂になるほど、よく逢っているんだよね、先生たちは」
 ヴァルは微妙にかみ合わない答えを返す。その表情に、そこはかとない影が落ちる。
「でもクロさんって賢い猫だよね。なんかわたしたちの言葉がわかっているみたいに動くときがあるもん」
「うん、どこか普通の猫と違う気はする」
 気品のある黒い毛皮を思い出しながら、ヴァルが頷く。
「ひょっとしたら、クロさんには何か秘密があるのかもね」
 転がる姿勢のまま、リーンは器用に指をつきつける。
「秘密?」
 指をつきつけられて、困惑の表情のヴァルは軽く首をかしげた。
「たとえば、実は、クロさんは大魔王の使い魔だったり」
「大魔王ってなに?」
「目から破壊光線が出せる不思議猫だったり」
「不思議すぎるよ」
「黒猫に前を横切られると、不幸になるっていうよね」
「迷信だよ」
 もうネタもつきたのか、リーンは、うーん、と唸ってひとつ、大きくごろんと転がった。ヴァルは、胸に抱いていたクッションを抱き直して、話かける。
「でも、クロさんは本当に賢いよね。呼ばなくてもついてくるし、長旅でも籠に入れたりしなくていいし」
「手のかからない子よねぇ」リーンが答える。
「遺跡でもそうだったし」
「そうそう、あの遺跡で……」
 応じかけて、リーンの動きがぴたりと止まった。
 何かを喋りかけようとしたまま、大口を開けて。
 その様子を不審に思ったヴァルが、呼びかけようとしたそのとき。
「あぁーっ!」
 リーンが大声をあげた。
「ど、どうしたの、とつぜん」
 驚いて――当り前のことだが――ヴァルが尋ねる。
「思い出した! 思い出したよ! っていうか、どうして今まで気がつかなかったんだろ! あのひと、あいつだ!」
 がばりと跳ね起きて、まくしたてるリーン。ヴァルはやや驚きつつも、なんのこと、と冷静に話を促した。
「ほら、今朝、女のひとにあったじゃない」
「女のひと?」ヴァルが聞き返す。
「白い外套を羽織った女に会ったじゃない! パットが声をかけてた女!」
 ああ――、とヴァルが声をあげる。どうやら思いあたったらしい。朝の散歩から帰って来たときに、宿の一階でパットが話しかけていた女性が確かにいた。その女性は、すぐに宿を出て行ってしまったが。
「それで、そのひとがどうしたの?」
「顔はわからなかったけど、どこかで聞いた声だと思ったんだ――あいつ、ノワールだよ! 女盗賊で、遺跡であたしの顔面蹴飛ばしてった、ノワールだよ!」



                    ■□■



 隣を歩く白外套の女性。背を伸ばしかつかつとヒールの音を立てて歩く姿は、実に颯爽としている。
 その女性――ジャクリーヌと呼べと言われた――を、パットは先ほどから、ちらちらと横眼で見ている。
 関所が閉じられたザードリックの街は、暴力的なものが混じる喧騒に覆われているが、それでも街の中央から離れれば、住宅街は静まっていつも通りの日常を過ごしている。住民たちは、夏の暑気を避けて、日陰のある室内で日中を過ごしているようだ。太陽で焼けた敷石の上をジャクリーヌとふたり、パットは並んで歩いている。ジャクリーヌの言う「仕事場のようなところ」はもうすぐだという。
「そこを右に曲がったところさ」
 静かな住宅街の裏手、さらに奥まった細い路地を指して、白外套の女性は言った。
 そして到達した場所は、どう見ても廃屋だった。もともと塗られていた白いペンキは半分以上がはがれているし、柱が傾いているのか、建物全体がちょっと斜めになっているような気がする。
「ま、ちょっとボロいけどね、気にしないで」
 軽く言ってジャクリーヌは、元は赤かったのだろうと思われるぼろぼろの扉を開け、廃屋の奥へと消える。

 さすがに多少躊躇したが、パットも覚悟を決めて中へと入る。
 すると、建物の中に入った途端、踏み入れた足が、ずぼりと床に吸い込まれた。
「う、うわっ!」
 少年は思わず声をあげる。
 ぐしゃりとした嫌な感触。
 すえた、埃臭い匂いが鼻をつく。
 なにかの罠か――?
 そんな危機感が、パットの頭をかすめたそのとき。

「あ、入口のあたり、床板が腐っているところがあるから気をつけとくれ」
 奥から、白外套の女の声が飛んでくる。
「遅いですよ……」
 小さな声で呟いて、パットは、突っ込んでしまった床板から、足を引き抜いた。



「ま、とにかく傷の手当てだね」
 軽く言った白外套の女性だったが、それまでの態度の通り、治療も豪快だった。ばしゃばしゃと遠慮なくパットの顔面に傷薬をぶっかけ、あとは大ぶりに切り取った綿布を張り付けた。
「よっしゃ、終わり!」
 ぱん、と張り手のおまけつき。顔面を張られたパット少年だったが、とにかく礼を言う。ありがとうございました。
「なーに、いいのさ」
 ははは、と白外套の女性は快活に笑う。
 どう見ても廃屋としか思えない建物の二階。こじんまりとしたその部屋は、他の部屋と比べて比較的つくりがしっかりとしていて、窓がひとつあり、一応掃除がされているようだった。部屋には机と棚、そして椅子などの簡単な家具が置かれている。
 パット少年も笑いを返す。そして、さっきからずっと気になっていたことを、聞いてみた。
「あのー、お姉さまは……」
「ジャクリーヌね」
「あの、ジャクリーヌさんは、どうして、その衣装なんですか?」
 パットの尋ねた『その衣装』の内容が曖昧ではあったが、白外套の女性は勝手に解釈して質問に応える。
「ああ、この外套のことかい? まあ、確かに夏には変かもしれないね。こんな外套をまとっているのは、日焼けが嫌だからさ。肌を焼くとひりひりするんだ。本当は外出すらしたくないんだけどねぇ」
 ぴらぴらと振られる白外套の奥。
 女性の白い肌が見えて、思わずパットの視線がそこに行く。
 白外套の下の女性の服装は、ホットパンツに胸の一部だけを覆う布、そしてまるで網のように目の粗いセーター。
 単純に薄着というには、余りにも露出の多い服装。
 はっきり言ってエロい。
 あまりじっくり見ては失礼とは思うのだが、そこは思春期の少年、勝手に動く視線が止めがたい。それでも必死で自制しながら、パットは、ごほんとひとつ咳払いをして、尋ねた。
「それで、僕は何を手伝えばいいんですか?」
 ああそうそう、と白外套の女性は、ぽんと手を打つ。今まで忘れていたようだ。
「手伝って欲しいっていうのは、そこの魔術機械の使い方を教えて欲しいのさ。どうにも、こういうのは苦手でね」
 そう言って、ジャクリーヌが指し示したのは、部屋の隅に置かれた机の上にある、箱型の魔術機械だった。両手で抱えるほどの大きさで、黄色く薄い鉄板で覆われている。そこにいくつかの釦と計器がくっついていて、魔力を伝える線が外へと伸びている。
「これは……魔信機ですか?」
「ご名答。さすが、良くわかってるねぇ」
 魔信機とは、魔力を信号に変えて、他のところへ送る、もしくはその信号を受信することができる機械だ。10年ぐらい前にできた技術で、民間にはまだ充分に普及していないが、国家や研究機関では利用されている。パットも、学院にある旧型の機械を授業で扱ったことがあるだけだった。
「いやこれは……初めて見ます。最新型なのかな?」
 呟きながら、機械に近づき、ぽちぽちと釦を押すパット。
「世間にはまだ出回ってない、結構なモンらしいよ。借りているだけだから、良くは知らないけどね。それでも、借りるときに高価なものだからって何度も念を押されたよ」
 言いながら、白外套の女性はマッチを擦り、咥えた煙草に火をつける。紫煙と共に、甘い香りが部屋に広がる。
「借りる……って誰からです? こんなものを持っているのは……」
 おっと、とジャクリーヌはパットの言葉を途中で遮り、口をはさむ。
「ちょっと喋り過ぎたね。その話はなし。女の秘密には立ち入らないのが、賢いやり方だよ、坊や」
 態度は瓢げていても、本気は伝わってくる。パットが忠告を了解したことを確認して、ジャクリーヌは説明を続けた。
「やってもらいたいことは、この場所に魔信を送ってもらいたいんだよ。できるかい?」
 ぴらりと白外套の女が差し出してきた紙切れに、ひとつの場所が書いてあった。パットはそれを受け取り、確認する。
「送り先は……中継ポイントを経由して、ここから東方へ300,000ヘート。かなり遠くまで飛ばすんですね」
「どうだい? できるかい?」
 しばらく考えたあとに、パットが答える。
「範囲拡張の文様を足して、魔力の出力をあげれば可能だと思います。信号が距離を進むほど信号になっている魔力が摩耗するので、その分の魔力を見込んで補うようにしてやれば……」
「あー、面倒くさい説明はいいよ。とにかく、できるんだね?」
「魔力を一時的に溜めて出力をあげる魔蓄器と、範囲拡張の魔術器具があれば言うことなしなんですが……」
「んー、よくわかんないけど、これのことかい?」
 言って、ジャクリーヌは戸棚からふたつの器具を引っ張り出してきた。
「あ、それです。これがあれば、ちゃんと送れると思いますよ。それで、送る内容は……」
 尻すぼみになった、パットの質問。ジャクリーヌはすぱっと短く煙草を吸い込み、そして優雅に煙を口から吐き出して答える。
「それも、教えられないよ。大した中身じゃないけど、知らない方が身のためさ。暗号化されているから、意味がわからないと思うけどね。まあとにかく、準備をしておくれ。送るのは、アタシがやるから」
 了解、とパットが頷いたそのとき、わっと外から歓声が聞こえてきた。

「なんだろう」
 疑問を呟きながらパットが部屋の窓を開けると、大路を誰か騎行しているのが見えた。軍服に身を包んでいるのだから、騎士なのだろう。単騎で、ゆっくりと進んでいる。ザードリックの住民はその騎士を歓迎するように声をあげている。
 パットがその様子を眺めていると、ジャクリーヌも窓辺に近づき、同じように大路の方を見遣って、言った。
「ああ、ぼんぼんのご登場かい」
 遠目ながらも、大柄なその騎士には見憶えがあった。確信はないけれども、記憶をたどりながらパットが呟く。
「あれは確か……」
 少年の呟きを意外だというような感じで、ジャクリーヌが少年の呟きの続きを引き受ける。
「知っているのかい? あれは、この辺じゃ割と人気のある有名人だよ。デグラン家の次男、ダグラス=デグランさ」