仲間たちの声

                                            春木静哉

 どんな成功を収めた人でも、生きることができるのはたったひと通りの人生です。
 小説を書くことは他人に関心を持ち、他人の人生を見つめることです。そこには、他人の人生を疑似体験するという側面があると思います。だから小説を書くことは、自分自身の人生を豊かにすることだと、私は信じています。
 読む、書く、考える。この三つのバランスが大切だと私は考えています。



結木しのぶ

 一年半ほど前、棚に並んでいる同人誌を暇つぶしにと、取りあえず開いた。
 これが私の「こみゅにてぃ」との出会いだった。
 同人誌のくせに(失礼(^v^;))暇つぶしどころか、本気で読んでしまった。
 何となく読み終わってしまったものから何度も読み返してみてもよく分からないものまで詰まっていて、正直、疲れた。……が、続き物の先が気になった。
 で、「こみゅにてぃ」に参加してみた。
 初回の感想は、小説って、書くものだったんだ……ということ。
 簡単ではないけれど、(小説になっているかどうかは別として)意外と難しくはない。
 頭の中をファイル分けしているようで、ちょっと楽しい
 自分の書いた物がオフセット印刷されるととても立派に見えて、かなり嬉しい♡♡
 癖になりそうだ……。



                     平岡 真

 小説は作者が想像力を駆使したり、事実を脚色して作成するもの。各個人の頭の中で、産み出される文の集合体。
 ひとりひとりの人間がそれぞれ違う個性を持つように、無数の小説がこの世に存在し、また次々と生まれ続けている。

 この場所を覗いてくれた貴方が既に小説を書いていたり、書きたいという熱い思いに駆られているかどうかなどは、知るよしもない。しかしながら、単なる暇つぶしだったとしても僅かな好奇心や興味はあるのだろう。そう信じて、わたしの気持ちを文字に変換し、文にしたい。
 幼いころから、空想するのが好きだった。そうしてそんな幼児からの癖がわたしの場合、小説を書く行為に繋がったのだと思う。眠気のせいで、少し朦朧とした意識のなか、温かい布団にくるまれながら、頭のなかで沢山のおはなしを作った。しかし、翌朝目覚めたときには、夢と同じでほとんど忘れてしまっていた。たまに自分で特に気に入った物語を覚えているときは、そのおはなしの続編を想像するときもあった。空想の連載?である。

 今もそのときの物語をきちんと覚えているわけではない。けれどもそのときの気持ちや心地よい感覚だけは自分の中に小さな記憶としてずっと残っていて、それがわたしの書く行為の原点となっている。

 ひとを「小説を書く」という行為に向かわせる要因は、百人いれば百通り。そもそも、もしかすると、呼吸したり喉を潤すために水を飲むくらい自然な行為で、理由や動機などという御大層なものなど存在しないというひとも多いのかもしれない。
 もう既にそんな自然な「個人行為」を充分に楽しんでいる貴方に、「仲間」や「同人誌」などという存在は不必要? しかし、わたしは敢えてそんな貴方に「仲間」や「同人誌」をおすすめしたい。自分以外の他人の呼吸の仕方を見てみる。他人の小説を読んでみる。そうやって、自分の世界を少しだけ広げてみては・・・・・・

 この文章を綴りながら、わたしも久しぶりに幼いころを思いだし空想の世界で少し遊んでみる。次回の「小説の作法」教室に新人が入ってくる。同人誌「こみゅにてぃ」でそのひとの作品に、わくわくしながら触れる。そして、その新人は・・・・・・

 そう「貴方」なんですね。想像の世界と現実の貴方がどう違うか楽しみにしながら、「貴方」との出会いを皆でお待ちしています。



                                             杉本シホミ

 始めに誘(いざな)いを申し上げます。
 「こみゅにてぃ」は、1本のペンと1枚の紙の世界です。
 想っていてもいえなかったこと、どんなに熱いことも、やりきれない非情も、自由に文章で表すことが無限に表現出来るところです。
 目で見て感じることは絵になります。文字で表すことは心の壁のすみずみまで読む人にゆき渡ります。
 たくさん本を読んでいると、書きたくなる筈です。そして仲間が居ます。
 末筆に再び、いざないを申し上げます。
 いらしてみませんか……