「作品」 相 思 華 (続き) 沢口 みつを すっかり娘に成長した妙子は着物が良く似合う。両側にびっしりと屋台店が並んだ参道を肩を並べて歩いた。この頃になると妙子たちの居住区の人々はいつの間にかバラバラになって、どこかへ移り住むようになっていた。妙子の家族も川一つ隔てた隣町に移っていたが、彼女はまた別のところで一人暮しをしているようだった。 一緒に巾着田へ彼岸花を見に行かないかと妙子はいった。彼岸花といえばお墓の墓石の脇などに咲いているあれではないか。何となく気持ちの良いものではないという印象があった。巾着田というのがどこにあるのかも知らなかった。でも妙子が行こうというところならどこへでも付いて行こうという気持ちがあった。 林の中の道はジメジメして滑りやすくなっていた。耕介は子供のとき妙子が坂道で滑って転んだのを思い出した。片手を差し延べると彼女は直ぐその手に掴まってきた。耕介は力を入れて固く握り返し、そのまま歩いた。適当な言葉が見つからずずっと無言で歩き通したが、お互いの手が言葉を交わしているように思えた。 妙子はそれには答えず、耕介の胸に身を投げてきた。突然のことでよろけかかったが辛うじて踏みとどまり、妙子を抱き止めた。彼女の目の縁にうっすらと涙が滲んでいた。 あのとき妙子が「寄って行くところがある」といったけれど、彼女はどこへ行こうとしたのだろうか。単に耕介とあの場で別れるための口実だったのだろうか。そう思ってさっき料金を払うときに入場券と一緒にもらったパンフレットを広げてみた。どこかそれらしいところはないかと思って探しているうちに、ハッと気がついた。高麗神社と聖天院だ。パンフレットに説明が出ている。 高麗神社の主祭神は高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)である。朝鮮半島で勢力を振るった高句麗が唐と新羅に滅ぼされ、多くの高麗人が本邦に渡来した。高句麗の王族だった若光は八世紀の初め、武蔵国内に新設された高麗郡の首長としてこの地に赴任し、駿河や関東の各地から移り住んだ高麗人とともに開拓に当たった。彼が没した後、その徳を偲んで住民が御霊を高麗明神として祀ったのである。また聖天院の高麗王廟には若光の墓がある。 彼岸花の群生地をぐるりと見て回ると、最後のところに今は「あいあい橋」というのが架かっている。観光客の便宜を図って近年造られたものらしく、文字も「あいあい」とひらがなで綴ってあるが、どういう字を当てるのだろうか。「愛愛」か「相愛」か、あるいは「会会」とでも考えればよいのだろうか。 家に帰りついてから、入場券に印刷された彼岸花の絵を改めて見た。そしてそれを裏返して、書いてある説明書をよく読んでみた。 〈了〉 |