「作品」
                          相 思 華 (続き)

          沢口 みつを

すっかり娘に成長した妙子は着物が良く似合う。両側にびっしりと屋台店が並んだ参道を肩を並べて歩いた。この頃になると妙子たちの居住区の人々はいつの間にかバラバラになって、どこかへ移り住むようになっていた。妙子の家族も川一つ隔てた隣町に移っていたが、彼女はまた別のところで一人暮しをしているようだった。
「どこで働いているの」
「遊戯施設をいくつか持っている会社の事務員をしているわ。就職が難しくてね。大きい会社ではみな戸籍を見てはねられてしまうの」
 そういう話は聞いていた。自分たちの就職も楽だったわけではないが、改めて立場の違いを思い知らされる。
「ねえ、明日お休みでしょう」

一緒に巾着田へ彼岸花を見に行かないかと妙子はいった。彼岸花といえばお墓の墓石の脇などに咲いているあれではないか。何となく気持ちの良いものではないという印象があった。巾着田というのがどこにあるのかも知らなかった。でも妙子が行こうというところならどこへでも付いて行こうという気持ちがあった。
 その頃の巾着田は今のように鉄道会社が大々的に宣伝するということがなかったから、近くに住んでいる人たちと、一握りの知る人ぞ知るという程度の場所だった。高麗川の上流から流されてきた球根が自生したのか、畦道などに植えられていたものが洪水のたびに流出して群生するようになったのかはっきりしないが、当時から既にここは日本有数の彼岸花群生地になっていたのである。

林の中の道はジメジメして滑りやすくなっていた。耕介は子供のとき妙子が坂道で滑って転んだのを思い出した。片手を差し延べると彼女は直ぐその手に掴まってきた。耕介は力を入れて固く握り返し、そのまま歩いた。適当な言葉が見つからずずっと無言で歩き通したが、お互いの手が言葉を交わしているように思えた。
 途中で河原に下りて妙子が作って持ってきた稲荷寿司の弁当を食べたり、互いの近況を話し合ったりもしたが、その日は朝早く出てきたため、一通り見て回って最初の河原に戻ってきてもまだ日は高かった。
「わたしはこれからまだ寄って行くところがあるから、じゃあ、これで……」
 一緒に帰るのだと思っていた耕介はびっくりした。
「どこへ行くの」

   

妙子はそれには答えず、耕介の胸に身を投げてきた。突然のことでよろけかかったが辛うじて踏みとどまり、妙子を抱き止めた。彼女の目の縁にうっすらと涙が滲んでいた。
 分かっているのだ。いくら心安くしていても、子供の頃遊んだ居住区の境目にあった道路の線が今もって目に見えない形で互いの心の中に引かれていることを。そしてお互いそれを口にできないことを。

あのとき妙子が「寄って行くところがある」といったけれど、彼女はどこへ行こうとしたのだろうか。単に耕介とあの場で別れるための口実だったのだろうか。そう思ってさっき料金を払うときに入場券と一緒にもらったパンフレットを広げてみた。どこかそれらしいところはないかと思って探しているうちに、ハッと気がついた。高麗神社と聖天院だ。パンフレットに説明が出ている。

高麗神社の主祭神は高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)である。朝鮮半島で勢力を振るった高句麗が唐と新羅に滅ぼされ、多くの高麗人が本邦に渡来した。高句麗の王族だった若光は八世紀の初め、武蔵国内に新設された高麗郡の首長としてこの地に赴任し、駿河や関東の各地から移り住んだ高麗人とともに開拓に当たった。彼が没した後、その徳を偲んで住民が御霊を高麗明神として祀ったのである。また聖天院の高麗王廟には若光の墓がある。
 妙子があのとき「わたし達のこころの故郷」といっていた意味も分かった。

彼岸花の群生地をぐるりと見て回ると、最後のところに今は「あいあい橋」というのが架かっている。観光客の便宜を図って近年造られたものらしく、文字も「あいあい」とひらがなで綴ってあるが、どういう字を当てるのだろうか。「愛愛」か「相愛」か、あるいは「会会」とでも考えればよいのだろうか。
 ふと橋の上に目を向けると、ゆっくりと向こう側へ渡ろうとしている老女の姿が見えた。それまで立ち止まってこちらを見ていたのが、耕介の視線が自分の方へ向けられたので素早く目を逸らしたようにも感じられた。

家に帰りついてから、入場券に印刷された彼岸花の絵を改めて見た。そしてそれを裏返して、書いてある説明書をよく読んでみた。
 彼岸花は、日本では「曼珠沙華」とも呼ばれ、天上に咲く花という意味を表すが、韓国では「相思華」という名で呼ばれているという。彼岸花は真っ直ぐな茎の先に花がつき、花が散った後で葉が伸びてくる。「花があるときには葉がなく、葉があるときには花がない」ことから、花と葉が互いに相まみえることができないので、「お互いを思う」という意味でこの名がついたという。
 妙子は当然この呼び方も、名の由来も知っていたはずである。

〈了〉