奥州道中を歩きました
   (平成30年5月10日〜5月13日)

おうしゅうどうちゅう【奥州道中】とは


 江戸幕府の道中奉行が支配する街道で,五街道の一つ。宿駅は白沢,氏家,喜連川(きつれがわ),佐久山,大田原,鍋掛,越堀,芦野,白坂,白河の10宿。鍋掛,越堀は合宿をなす。千住〜宇都宮間の17宿は日光道中に属するが奥州道中をも兼ねる。白河以北は仙台・松前道と称する脇往還で,広義には千住以北を俗に奥州街道とも呼ぶ。当初は奥州筋への道が重視されたが,日光東照宮の造営以後,千住〜宇都宮間は日光道中に編入されたとも考えられる。
(出典 株式会社平凡社/世界大百科事典 第2版)

 奥州道中を歩きました。これで江戸を出発点とする五街道をすべて歩いたことになります。昨年は日光道中を歩きましたが、日本橋〜宇都宮宿の間は奥州道中と重なりますので、今回は宇都宮宿から出発しました。
 ほとんど栃木県を南から北へ縦断するルートです。最終日にようやく福島県白坂宿・白河宿に入りました。
 ルートは国道4号線とおおむね並行しているようですが、実際には4号線と巡り合うことも少なかったです。また登り下りも極端なところはなく。おおむね歩きやすかったですね。
 街道沿いには多数の石像・石仏があり、また地方色豊かな伝説があちこちで見られましたが、びっくりするような風景や景色は少なかったようです。

以下の各写真集では拡大写真の右上のiマークをクリックしていただくと写真の説明が出てきますのでご活用ください。

【写真集2はこちら】

04.5月13日
芦野宿〜白坂宿〜白河宿 19.1Km


【見所】 【芦野宿の川原町地蔵尊】、【芦野宿の風景】、【「丁子屋」】、【ストーン・プラザ】、【新町の地蔵尊】、【遊行柳】、【上の宮の大イチョウ】、【べこ石の碑】、【諭農(ゆのう)の碑】、【「板屋一里塚」】、【脇沢の地蔵様】、【與楽寺(よらくじ)】、【間宿寄居宿の街並み】、【「泉田一里塚」】、【初花清水の石碑と瓢石(ふくべいし)】、【明治天皇山中御小休所】、【境の明神】、【白河二所之関跡】、【衣がえの清水】、【白坂宿の街並み】、【金売吉次兄弟の墓】、【白河宿の「戦死墓」碑】、【戊辰の役古戦場】、【白河宿の街並み】、【白河だるまの店】、【津島神社】、【女石追分で幕府直轄分奥州街道終点】
























【写真集1はこちら】

02.5月11日
喜連川宿〜佐久山宿〜大田原宿 18.3Km

【見所】 【男女双体祝言道祖神】、【ヤマギシズム社会那須実顕地】、【大きな長屋門】、【ほほえみ仏】、【高久宅のツツジ群】、【佐久山の観音堂】、【佐久山宿の街並】、【那須与一の絵】、【日本初のフランス語学者村上英俊生誕の地】、【【正浄寺(しょうじょうじ)】の芭蕉句碑】、【養福院の石仏石塔群】、【与一里名木選 国井宅の赤松】、【薬王寺石仏石塔群】、【史跡蒲蘆碑(ほろのひ)】、【町初碑(まちはじめひ)】、【注連縄がユニークな八幡神社】

03.5月12日
大田原宿〜鍋掛宿〜越堀宿〜芦野宿 21.4K
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【見所】】 【忍精寺】、【幸矢の与一像】、【金燈籠(かなどうろう)】、【平家之豪族瀬尾家居館跡碑】、【中田原の一里塚跡】、【十王堂跡】、【コウヤマキ】、【愛宕神社】、【樋沢の不動明王像】、【樋沢神社(ひざわじんじゃ)の葛籠石(つづらいし)・八幡太郎義家愛馬蹄跡の巨石】、【【樋沢の大沼】】、【鍋掛の一里塚跡】、【【清川地蔵尊】】、【鍋掛宿馬繋ぎ石のガードレール】、【八坂神社境内の芭蕉句碑】、【【正観寺のシダレザクラ】】、【黒羽領境界石(史跡)】、【【征馬之碑】と【殉従軍馬之碑】】、【寺子一里塚公園】、【だるま石】、【弁慶の足踏み石】、【夫婦石の一里塚】

【写真集3はこちら】
【写真集4はこちら】

01.5月10日
宇都宮宿〜白沢宿〜氏家宿〜喜連川宿 25.5Km

【見所】
 【宇都宮二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)】、【清巌寺の鉄でできた卒塔婆(日本唯一の鉄塔婆)】、【旧篠原家住宅(宇都宮市を代表する旧家の一つ)】、【首切地蔵】、【白沢地蔵堂】、【江戸時代の公衆便所跡】、【白沢宿の街並み】、【白沢の一里塚碑】、【さくら市の船魂神社・与作稲荷】、【お伊勢の森】、【鶏権現】、【寛方・タゴール平和公園】、【西導寺とつた地蔵】、【氏家宿の村上家・瀧澤家】、【明治時代の水準点】、【奥州街道古道】、【勝善神、【喜連川宿の街並み】