8月21日(土曜日)
透析の日なので元気にしているかな?と思って病室を伺うと、寝ていた。
個室なので何の気兼ねもなくおむつ交換が出来るのは最高だった。がコンビニに買い物に言っている間に、    部屋交換があった、義父より病状が大変な人?「ごめんなさいね?週末具合の悪い人が」と、婦長さんに言われた。
ある意味義父はまだ、大丈夫と言う事?と思ったが、私がいる間ずーと寝ていて会話らしい会話は出来ていない。
でも、よその誰かよりは様態が良いという事なのだろう。

8月20日(金曜日)
昨日帰りがけ 「今日は透析が無いから来いな、髭そんなきゃない。」というので、叔母のところに盆礼に行って長居してしまったけれどお昼までには間に合った。「いつのご飯や?」「お昼だよ」「んデ、食うから」食事を止められとことを忘れているようだ。
その会話をしていても寝てる方が多くて夢の中で話しをしているって感じ。 
「帰るか?」「まだ、帰らんないのか?」「店のもの食べたい」「家で買った車か?」「まだ、皆居るんだな。」「飛行機が来た」とか7時間居るうちに話した言葉。「水、飲む」も・・・
髭剃りをしたが、のび過ぎて虎刈り状態でも我慢してもらう。
熱も37度5分あったそうで水枕をしていた。
明日、透析の日だから元気になってるかな?
人間って、簡単には死ねないのよ!!!もがき、苦しみ、覚悟をさせられ、自覚、しないと逝けない。
義父にそれを、教えて貰った気がする。
楽にしてあげたい。不謹慎だけど。

8月19日(木曜日)
透析の日なので2時に叔母達を連れて病院へ向かう。
昨日の様態と個室に移ったという話しを聞いた叔母達も心配して一緒に行くと言う。
病室につくとベットを起こした義父が居た。「今透析から戻った。」ととぎれとぎれに話す。息苦しいのだろう。
でも、昨日とは別人のよう。「ご飯まだこないんだ!」といっていたので止められた事を話す。
「ヨーグルトかプリントとか飲み込みやすいもの食べたら?」「いらない」
氷がなくなっていたのでコンビニに行くと牛乳が目についたので一緒に買う。
「牛乳飲む?」「うん、美味いなぁ」と200mlを全部飲んだ。ミヤちゃんとケイちゃんもお見舞いに来てくれて叔母達はミヤちゃんの車で帰っていった。叔母達を見送って病室に戻ると看護婦さんが来てオムツ交換をしてくれた。
皆がいて交換してって言えなかったようだが、「ベットが長い、ロシアのベットみたいだ」とか「テーブルの高さが違うから直せ」とか時々意味不明。
そのあと水溶便を3回。「体を動かすと漏れる」と言うそれだけ力が無くなっているのか。
6時半過ぎに帰る。期待はして居なかったが義母は「早かったこと、何にもおかずないよ。ご飯食べなさい」と言う。
この時だから、自分に出来る事をやる。やる気を出してほしいと思うのは無理な願いなのかな?
トマトを切る、漬物を出すそれだけもいいと思う。家に帰ってもやりきれない気持ちになった夜だった。霧雨の所為かな。

8月18日(水曜日)
今日は、昼食まで間にあう様にと出かけたがワゴンの中に義父の名前の食事が無い。
「今朝も食べられなかったので、食事は止めました。今日個室に移りますから」と婦長さんに言われた。
午後からまた病院へ行ってみると部屋が変わり義父は寝てばかり。
気が付いたとき話し掛けると「あぁ、母さんか?皆は?帰ったのか?」と訊く。
「気持ち良さそうに寝てたから誰か来てた夢でも見てたんじゃないの?」
「んデは、帰っか?」
「どこに?」
「家にだ!」
「爺ちゃん点滴してるから帰られないんだよ」
「お前は帰るのか?」
「うん、また明日来るからね。」と言う。
もう少し居ても良いかと思っていたが「帰りたい」と言う言葉を聴きたくないばかりにそそくさと病院を後にした。

8月17日(火曜日)
透析の日なので午後から病院へ行く。
ベットで移動していた。病室へ入るなり「家で来てるか?」と言うので「来てたよ!」と安心させる。
食欲も無いよう。
「あとで、取り替えてね。」と言う。「いつしたの?すぐに取り替えてもらわないと気持ち悪いでしょう?」「・・・」
おむつ交換もなかなか言い出せないのかと思うと気の毒だ。
義妹が母親を病院へ連れて行くが6時半過ぎても帰ってこないので夕食を食べさせてから帰ってくるのかと思っていたら白萩の叔母のところと生協に寄ってきたそうだ。
義母が「早く帰ろう!」といったとかで・・・「看護婦さんご飯食べさせてくれるんでしょう。」だって外野から責められている私はなんなの?

8月16日(月曜日)
今日でお盆も終わり。隣のお寺で盆踊りがある。
病院の院長先生から「病状について説明したい事があります。今日、病院に来れますか?」と電話があった。
病院へ行くと「腹水が溜まり初めて透析をしても血圧が下がって思うように透析が出来なくなっています。急変と言う事もあるので覚悟していてください。その場合は、個室に移します。24時間連絡が取れるような体制でいてください。」と言われた。

8月15日(日曜日)
お盆の3日間は朝、昼、晩と仏壇に供えるのでお昼に病院へ行けない。
午前中「氷とねり梅持ってきてほしいそうです。」と病院から電話が入る。午後になると「目薬もだそうです」と電話。
看護婦さんも忙しいのに・・・・義父が待っているのは分かっているけれど・・・・
病室へ行くと寝ていたので「持ってきたからね」と声をかけて帰る。

8月14日(土曜日)
長男が東京から帰って来た。その足で病院へ行き「爺ちゃんの言うとおりカズは今日、キャンプに行って泉ヶ岳に泊まるんだって。」というと笑っていた。「あいつは帰って来ても家には寝ないべな。」と言っていたのが当たった。

8月13日(金曜日)
「横浜は、何してたのや?」と訊くので「蔵王のお釜見に行ったよ。」と言うと「そうかぁ」話をするのも息切れするようで辛そう。

8月12日(木曜日)
透析の日なので義弟達が来る前にベットのタオルを交換しようと思って病院へ行ったらベットごと透析室に行っていた。そんなに悪いのか?と思った。
横浜から帰省した義弟たちを病院へ案内した。義父は涙ぐんでいた。

8月11日(水曜日)
朝から布団を干して精米を頼みに行ってお寺のお盆の塔婆供養のお布施の準備。
病院へ行ったら一日見ないだけでだいぶ衰弱していた。一人で寝返りも出来なくなっていて「こうなるとは、おもは無かった。」と言っていた。「だから言ったでしょ!筋力が落ちると寝たきりになるって!!」「・・・・」
発破をかけるが、気の毒になってしまう。一日病院に居てあげないといけない時が近づいている。

8月10日(火曜日)
次男の三者面談。終わってから病院へ洗濯物を取りに行く。
透析中で義父はベットに居なかったのでタオルを交換してくる。
お寺で、お盆の供養が始まった。仏事は、義母がやってくれると助かるのだが私に頼りっぱなしで「母さん忘れてたんでないの?」と言われてムッツとする。
頼るならすべて任せてほしい!!

8月9日(月曜日)
お昼ご飯めがけて娘と病院へ行く。
変わりなし。

8月8日(日曜日)
今日は義父の姉妹がお見舞いに行ってくれると言うので、一緒に行く事になった。
病院いるとやっぱり安心だ。
「婆さん、来るって言う時つれて来い!。」といっていた。

8月7日(土曜日)
病院から携帯に電話があった。茶の間にいたのであせった。
栄養状態が悪いので静脈から点滴をする治療方法にほぼ決定したけれど家族に説明をして本人の了解を取らないと勝手にできない、とのこと。この前の返事も頂きたいと言われた。当直に申し送りの関係もあるので・・・
今日、9時まで病院に行くことになった。透析の曜日が変わって火、木、土となる。昨日もだったけど今日も透析。
昨日頼まれたもの忘れずに持っていかないと・・・

8月6日(金曜日)
今日は、透析の日なので2時ごろに病院へ行こうと思っている。
市場から帰ると7時半過ぎているのにご飯を食べた形跡が無いので準備して「はい、食べよう。」と持っていくと
「あら・・こんな時間になってたの?」と言う。
義父がいないと義母が薬の飲み忘れ、朝ご飯を食べていない。あまりのんびりしすぎているようだ。
適度の緊張感は必要なのかも知れない。私も透析の送迎がないだけでリズムをくずしている。調子が悪い。

8月5日(木曜日)
11時半ごろに病院に着いた。
ちょうど昼食の時間でメニューはおかゆ、モモの缶詰、もやしの煮物、穴子のてんぷらだった。
ベットの手すりを握ってすっと起きれた。「力出たンぢゃない?」「いくらかな・・何ぼかな。」だってお盆に帰省する息子と孫達の事を思って「お盆まで退院できない時は、病院に来るように言ってくれ。」だと。
「まだ日にちがあるから元気になって帰ろう」というと「お盆までは無理だと思う」「・・・」

8月4日(水曜日)
今日も一人でベットから降りられない。
透析の日なので頑張って茶の間まで来るのを介助する。
透析室のベットに上がるのも限界のような気がする。終わった後の血圧が66。
家に帰ると義妹が来ていて義父の入院を説得するが逆切れする。
買い物に来ていた親戚のおばさんが説得してくれてすぐに病院へ電話をして受け入れてもらった。
「栄養状態が極めて悪いです。」と先生にいわれた。

8月3日(火曜日)
市場から帰っても義父の姿が茶の間に無い。
「もう少し寝てる。」と言う。朝食も取らない。
「病院の外来で点滴してもらおう。」といっても受け入れない。「明日、透析室のベットに上れないよ。」と説得するがだめ!いつまでこの悪循環を続けるつもりなのか。こんなに頑張れるなんてある意味すごいと思う。
そのパワーを糖尿病発症時に使えば、こんなにならなかったのにと今更ながらに思う。
言っても始まらないけど・・・・
夜、就寝時次男と二人でベットまで義父を運ぶ。

8月2日(月曜日)
透析室のベットに乗るのもやっと。
自分では食べられるようになればすぐに、今までと同じことが出来ると思っているようだ。
落ちた筋力は戻らないんだよ。ちゃんとリハビリしないと!!!。
弱っていくのを見ている方の身にもなってよ。
夜、ベットに一人で上れない。

8月1日(日曜日)
朝に3回のオムツ処理。
昼食は取らなかった。
夕食後、オムツ処理。「お盆に茂美さん達帰って来てこの姿、見せてもいいの?入院してお盆まで体力つけて迎えてあげれば?」と言ってみた「うるさ!!それはもういい!!」「私がいない時は勝江ちゃんか克子さんにオムツ変えて貰う覚悟あるのね!。同窓会に行く返事したからね。!!!」といってもだめだぁ〜。
私が病気になりそう。
いつかはこの家出て行くからネ。嫁の私に義務は無いの!!!旦那も言う事聞かないし、好きにすれば!!!って感じ。
義理の中だからできることってあると思う。
実の親なら切れまくってやさしい言葉なんかかけることできないんじゃないかと思う。
いつでも嫁は辞めてやる!!!と言いながら、もう何年になるだろう。空しい!!!。