4月16日(土曜日)
桜が咲き始めた。
この時期になるといつも思う「来年は桜が見られるだろうか・・・」
毎年淋しい気持ちになって生きているのが嫌になる。
今年は、自分が病気になった所為で余計思いが強いのかもしれない。
自分が元気な時でも介護は大変なのに、自分が患っていると他人の一言、一言が胸に刺さる。
入院中にショートステイを頼んだのだけれど義母は「もう、二度と行きたくない」と訴える。
それを聞けば身内の人間ならず他人様まで義母の味方になる。
店に買い物にきたおばさんの話。
「私は5年ばーさんの面倒を見たけれど、大変だったよ痩せていても重たいもの」
「お風呂に入れたりするのは家の父さんと二人がかりだったし・・」
「でも、今は介護保険があっていいね。」「あの頃はなかったからね・・・」
「あっても、そう言うところにはやらなかったと思うけど、あんたは体弱くなったんだからしょうがないサ!」と言って帰っていった。どう言う意味だ?
嫌味か?
励ましか?
「そうだね、婆さんより早く逝くかもしれないから・・・」と対応。
心の中で叫ぶ。
「そのときは、そんなこと言って誰が看るの?施設に頼むよりしょうがないじゃない。みんな、生活あるんだし・・・。」
まぁ、色々言われてもそのときはこっちが先に消えればいい事だからと腹をくくる。
ほんの少しのことにでも、トゲトゲしく牙を向けて反抗体制で戦う。
これが今の自分。人にやさしくなんか出来ない。
子供達や配偶者。実家の母には心配かけて申し訳ないと思っています。
でも、ここで生きていくのは大変だよ。
ここだけじゃないかも・・・・どこででも生きていくのは大変だわ。
4月21日(木曜日)
今日はデイサービスの日。
娘が自動車教習所に通っているので送る予定。
義母の迎えの時間と送っていく時間が同じ頃になるので「すぐに帰ってくるから、鍵は掛けないでそのまま行っていいからね」と伝える。
そう言わないと誰もいないから。と迎えにきた人を帰してしまう。
私が退院する日もデイサービスの日だったけれど「今日退院してくるから。」と行かなかった。
私が帰ったのは午後4時過ぎ。検査や放射線治療を終えてからだったので遅くなった。
十分、行って来れたのに・・・・
心配してくれているのはありがたいがもっと自分の事を優先して欲しい。
デイサービスから帰ってきた義母は廊下でスリッパを履いている。
履きづらそうにぎこちなく頑張っている様子。
「??」いつもは履かないのにと思っていると、歩きづらそうに台所にきて
「今日は、歩かなかったから歩くのがひどい」と言う。
「あら、婆ちゃんいつもスリッパ履かないのに今日は履いているからじゃないの?」
「そうだったね。」とその場で脱いでトイレに向かう。
ごそごそ、モタモタとやっているのに気が付いたので
「何やってるの?」
「なんだか・・・便器にしたと思ったらしてなかったんだ」
と自分で始末しょうとしていた。
トイレの中はビチャビチャの水浸しだ。
「パンツは濡れていないの?」「あや〜。濡れてちっや」とその場で脱ごうとする。
「ここで、すっぽんぽんになれないから、あっちに行って脱いで。」
「ここは、片付けておくから」言って座敷に行くように言った。
これが、始まりなんだろうなぁ。
まだまだ介護の序の口。
5月7日(土曜日)
お寺で大回向がある。
いつも、幾らくらい包むのか義母に聞く。 「おら、何年もしてないから忘れたわぁ。」と言う。
2年前までは自分でお参りに行っていたのに・・・(去年は私が行ったはず、だけど何で行ったのか分からない。)
「床屋の伯母ちゃんに聞いてみてけさい」と言うので伯母に聞いてみる。
「多いところで3千円、2千円って言う人もいるからなぁ。」と言われ、単純に代替わりだしそんなに裕福なわけでもないし・・・
普通で良いやと2千円を封筒に入れて準備をすると、その姿を見ていた義母が 「あら、何ぼ包んだのっしゃ。」
「2千円だよ。」
「あや〜。おら行って時、3千円包んでだんだから、足りないから足してけさい。」
なにお〜!!!あれだけ忘れたっていったじゃないか。
「床屋の伯母ちゃんに聞いてするように言われたから言うとおりにしたんだよ」と言うと 「ほんな事、何時言ったの。言った覚えない。」とのたまう。
「じゃあ!聞いた時にちゃんと教えてよ。忘れたって言わないでね。」と切れた。私、大人気ないかもしれないが言う時に言わないと・・・
どうせ、相手はすぐに忘れるだろうから・・・コレって意地悪かな〜。
5月8日(日曜日)
最近、とんちんかんなことが多い。
主人と親子喧嘩?に聞こえることもしばしば
「きたねェなぁ〜。」 「なして、ほんな事言うの!」たいしたことではない事にでも時々、義母は一人で切れている。
散歩に行く時。{ 「婆さんなんで靴下履かないのや?」と言ったら 「買ってもらえないんだ。」だって言ってたぞ。}と主人が言う。
そこいらに脱いでは、忘れているくせに。 怒る気にもならなくなっていた。
5月25日(水曜日)
今月から、近くの病院で見てもらえるように紹介状を書いてもらっていたので、娘を同伴で病院へ行く。
自分の病院の予約を入れていたので忙しかった。
私は、血液検査があるので朝食抜きで、義母の病院へ行く。
娘と義母を置いて、自分の病院で血を採ってもらい、義母の待つ病院へ向かう。
診察が終わって、家へ帰る。
午後3時。今度は私が病院で診察してもらう。別の日にすればよかったのに・・・
なかなか、うまくいかないものだ。 そのうちなれるだろう。
5月29日(日曜日)
天気のせいか、左腕、脇の調子がよくない。
思い立って実叔母を誘って温泉に行くことにした。
朝、「黒い便が出た」と訴えていた義母だが、食欲不振、腹痛を訴えることもなく 朝食も「うまかった」と平らげたのでちょっと変?かな?
と、思う気持ちを打ち消した。 こっちが不安に思うと余計に不安がるから・・・
実のところ、義母を病院に連れ歩くことは今の私には虐待と同じこと。義母の私への虐待・・・
重いものが持てない私に、義母の体は堪える。
14時過ぎに帰ると「大変だ、病院へ行かなければ・・・」と言い。
「日曜日だから明日まで待とう。」といっても「痛くも痒くもないから大変なことになっているんだ!」って
苦しんでのた打ち回るなら救急車を呼ぶのもアリだと思うけど・・・
言ううことが、聞くたびに二転三転する病人は命に別じょうない限り迷惑な患者の部類だと思う。
電話をすると「すぐ来て。」と言われ、主人と掛かりつけの佐藤内科クリニックへ。
佐藤先生のところで受け入れてもらって診察、転送までお世話になった。
有難い話だ。
「タール便が出たらすぐ来て。」と言われたが、「これがそうだ!」と言う決め手を私は知らない。
救急車で国立病院に転送。入院。
15時過ぎから検査の結果を聞き入院病棟に行くまで4時間。 家に帰って20時。
主人と二人、まだなの?何時までかかるの?と総合病院のシステムを知らない二人はただいるだけで疲れてしまった。
十二指腸潰瘍で一週間くらいの入院ですむらしい。
疲れた。病院にいるだけで疲れる。
何もしたくなくて、生協から弁当を買ってきて食べて寝た。
6月4日(土曜日)
一週間病院へ通った。
それも、今日でおしまい。退院おめでとう。これ以上入院が続いたら、私の身も心も持たなかったと思う。
毎日「大変だわ。」「こんなことになると思わなかった。」「びっくりした〜。」
「ここは、なんて言う病院?」 「先生はなんて言っていたの」 「おしっこに行くとまだ出てるの」
エンドレスの会話。
私も切れて 「ばあちゃんは私より長生きするから。癌でも何でもないんだから!」と言ってしまう。
言ってから後悔し、自己嫌悪。そしてストレスになる・・・
家に帰った義母は、食欲もあるし病院では歩けなかったのに家だと歩けると言う。
「そうだよ。トイレには自分で歩いていかないとね。」
病院で見た、トイレットペーパーがトランクにあったので、娘に「どうして持ってきたの?病院のなのに!」と言うと。
「ばーちゃんが家から持ってきたんだから」って言たんだもん。だから持ってきたと・・・
「あら〜。そんなこと言わないよ!。言った覚えないもの!」と反撃。
それはそれでいいのだけれど。いつか、自分の子供に「あんた、誰?」と言うときが来た時。我が夫だけは真実を受け止めることが出来る人だと思う。
外の兄弟がなんと言おうと私を守ってくれると信じている。
乳がんになってからは、義母より長生きできる。とは思っていないが・・・
義母は今回の病気に対しても、死ぬ気はないようだ。死ぬのが怖いと思っているくらいだから長生きするだろう。
店のお客さんをガラス越しに見ていて 「あの人、見たことあるけどどこの人だったェ」
昔からの友達で買い物にも良く来てくれていた人なのに・・・
「○○さんだよ。」 「あら〜。わかんなかった。ンだから見たことあるんだね。」だって、いつか家族も分からなくなるのかな?
「ばあちゃん、どこの病院に入院してたんだっけ?」と聞くと 「市立病院だよ。」って・・・
旦那と目を合わせてあきれてしまう。
6月5日(日曜日)
朝食時、「一週間早いね。」 「うん。入院した日だ。」と夫婦の会話。
「なに!入院すれば良いって!!」と義母が勘違いの怒り。
なんか、がっかりする。
私もそのうち憎まれ口をきく年寄りになるかもしれない。クワバラ、クワバラ・・・
6月7日(火曜日)
退院後の検査。胃カメラ検査を主治医に予約してもっらて9時まで外来へ行く。
事になっているので8時40分までには病院へついて、一人で歩けない義母のために娘も連れて行く。
車を運転する私は駐車場に車を入れるだけでせいいっぱい。重いものが持てなくなった私は、義母も体重も支えられない。
(近所の叔母たちは、役にたたない嫁なんかいらない。と思っているだろうな・・・と役立たずの自分が消えれば良いと思う)
(私なんか、気に入られている嫁でもないし・・。)
(気に入られようとも思っていないけれど)
娘は、車椅子を借りてきて、義母を乗せ待合室で私が駐車場から帰るのを待つ。
9時前から検査が終わって帰るまで3時間。
私は、疲れた。車椅子の義母のそばに付き添っていて(座る場所がない)
いつも、右足の付け根が痛むのにそれ以上にふくらはぎまで痛む。
こうしてみると、たかが病院、されど病院だ。
不謹慎だが、良くなるならよくなるように、ならないなら中途半端じゃなく進行を早めることが、出来ないものか・・・
実の娘も最近は来ない。
毎日付き合っていると、正気でいられないような気がする。
だから、アルコールでストレスを発散させる。 そんな自分の弱さも許せない。
「あんな、人たちといると、オラばがになる」と訴える義母といると私も馬鹿になりそう。
どうしたら、最後まで人間らしく生きることがでいるのか。
人間らしい、とはどう言うことか・・・・考えると死んでしまいたくなる。義母のような人生はごめんだ!かわいそう過ぎる。
でも、やさいしく出来ない・・・愚か者の私・・・・
6月8日(水曜日)
ヘルパーさんが来て入浴介助してもらい、お風呂に入る。
入院してから入っていない。
一日中、座ったままだ。 このままでは、寝たきりになるのも時間の問題かも知れない。
夕方、ケアマネさんから電話があった。 「明日のデイサービスどうしますか?」
どうもこうも、本人しだいだ。 「行くだけでもリハビリになるから向こうに行って休息して、皆と同じ行動をしなくてすむように連絡しておきますから、折角リハビリ続けてきたんだからもったいないし・・」と親身になってくれている。
それで、明日からデイサービス、復帰。
6月10日(金曜日)
ホームヘルパーさんが午前にお掃除。午後から入浴介助に来てくれる。
朝、「おばあちゃん、この前はしばらくぶりにお風呂に入って疲れた様子だったけど、大丈夫だった?」と聞かれた。
私が思うに、自分では大変な病気になってしまいこの世の終わりだと思っているようなそぶりを感じる。
デイサービスに行くのも本人しだいだと思うし、このまま家でボーーッと過ごして自分が誰か分からなくなったほう本人にはいいのかも知れない。
自分と葛藤しなくてすむし・・・
(何で、こんなに物忘れするんだか。 紙パンツの始末を嫁に頼むこととか・・・)
午後にお風呂に入る時にヘルパーさんが「寒いって言っていたから長袖のシャツ着る?」と聞いていた。
「寒いからってパジャマのズボンはいているんでしょう?」 「??」そんなの聞いていない!!
「ブルブル寒くて、デイサービスに行ったから風邪引いたかと思って。」だと。
そっちが呆けた振りして嫁いびりするならどうぞ!!!
嫁姑問題は呆けても続くのです。
やっぱり、ばあさんより先に逝かせてもらいます。(実家の母は私より先に逝くように祈ります)
6月17日(金曜日)
昨日から調子が悪い。
膀胱炎のようだ。病院へ行く。朝、37.4℃の微熱だたのが、夕方には38,5℃になっていた。
どんなに熱がでて、身体が痛くても、食事の準備はしなければいけない。
6月27日(月曜日)
デイサービスの日。
朝起きると、「今日は、暑いのすか?寒いのすか?」と聞かれる。
「夕べは、寒くて震えが来て一枚着て寝たら治まったと言う。
タオルケットに羽毛布団、肌がけをかけて寝ているのにだ・・・
「私たちは、暑いと思ってもばーちゃんが暑いか寒いか分からないから自分が思ったように着る物を調節して。」と言うしかない。
それでも、毛糸のカーディガンを着ている姿を見るとイライラするからなるべく茶の間にいないようにする。
薬を飲んで5分もしないうちに 「あら、薬のんだったェか?」と言う。
「飲んだかどうか、忘れた?」 思い出せない様子。
娘に水を持ってきて、と頼んでそれで飲んだことも忘れている。
「ばーちゃん、さっき薬出して飲んだでしょう。コップの水もなくなっているから飲んだんだよ。」と言うと 「そうだとは思っていたんだけど・・・」と返事。
この頃は、尿漏れシートの取替えが多くなってきている。 重さもズッシリと重い。