2005年の1月に乳がんの市民検診の再通知が届いた。私が婦人科を受診してから外科に紹介されて
乳がんの告知を受け入院、手術、再発防止の治療と心の葛藤の記録。
1月25日(火曜日)
今回も受けるつもりはなかった。
癌なんてなるときはなるし・・・年寄りより長く生きていたくない。
と、日頃思っていたし・・・
でも、乳首から分泌が気になっていた。赤かったり茶色っぽかったり・・・
看護師をしていた友人に相談してみた。「今日、病院に行って来なさい」と言われ
「銀行にも行かなきゃいけないし、役所にも市場の名義変更も・・・忙しいんだよね」
「それは、明日にして病院。」と言ってくれた。
これがなかったら多分検診は受けていなかっただろう。
最初、外科に行こうと近所の病院を覗いたらとても混んでいた。
いつも受診している婦人科は、いつもすごく混んでいるのでどうしようか迷ったが、行ってみて混んでいたら戻ってこようと、この時点でも検診に乗り気ではなかった。
珍しく、婦人科の駐車場が空いていたので車を止めて病院へ・・・・
「3年検診を受けていませんでしたね。」と女医さんに言われそんなにしていなかったっけ?
気になっているところを告げると「乳腺症かも知れないけれど・・・」
「紹介状を書きますから」と病院名を三軒あげた。
私が、希望の病院名を言うと「あそこは良いですよ」と言ってくれたので安心した。
10年前にも胆石症で胆のうを取る手術をしている病院だし・・・
乳腺症だろうし・・・
1月26日(水曜日)
紹介状に受付時間が書いてあった。水曜日の午前も診察日だったので行く事にした。
病院は混むのが普通、と思っていたので図書館から借りた本を持って行く。
「継母、ボケて鉄人になる」っていう本。
呼ばれて、診察室に入ると若くて頼りなさそうな細身のTという医師が診てくれた。
人は、見かけで判断してはいけないと思った。
診察は丁寧だった。丁寧すぎて不安になったけれど・・・
マンモグラフィーの写真を見ながら色々説明されたけどよく覚えていない。
癌だと思っていなかったし・・・組織検査の結果は一週間後。
「何でもない」と言われるための検査でも不安になる。
家に帰ってから「お父さんにだって、ただで触らせないのに・・・触らせた挙句に五千円もとられた。」
「まぁ、検査料だから仕方ないけどね。」と笑った。
2月2日(水曜日)
長い一週間だった。
診察室に入るとDr.Tは初めて見た時より老けて見えた。
(何歳くらいなんだろう?と素朴な疑問。)
カルテの検査結果の数字が見えた。
?あんまり良くない??
マンモの写真も・・・・左右の写りが違う。
Dr.Tが穏やかな声で親切丁寧に説明してくれた。
「限りなく悪性に近い数字です。」
「造影剤を使ってもう一度マンモを撮ってみましょう」と言う。
乳腺から造影剤を注入する。(Dr.Sがしてくれた)母乳が出てくるところに針を刺して・・・・
思っただけでゾッ!とする。
その後、スプレーをされた。何かと思ったら水バンソウ膏のスプレー版だそうで・・・
「そんなのがあるんだ」と感心しているとDr.S 「昔なら唾付けておけ!だよね」
そんな、雑談をしながら検査終了。
結果は、一週間後というので「死刑宣告を延ばしたくないので一番早やい日をお願いしたい」と言うと
「明日、あいてます」というので予約をいれた。
外科医が四人で検査の結果を診てどう治療するか決めているとDrは話してくれた。
石灰化がどうとか言っているけれど切るなら温存でして欲しいと思っている。
インターネットで見てみた。恐くて見たくない気持ちもあったけど
知らないと質問も出来ないし・・・・
2cm以下は初期だから温存も可能らしい事だけは分かった。
2月3日(木曜日)
前日の検査とか説明でただ事ではないな。と思い始めた。
癌だったら手術はしたくないな。しないでどれくらいもつのだろう。なんて考えたり・・・・
切って検査をして診るようなことを言ったいたので「切る」覚悟で病院へ行く。
Dr.Sが「もう一度、組織検査させてください」言う。
「切る覚悟できたのに・・・」
死刑宣告がまた一週間延びた。
2月10日(木曜日)
ネット友の猫プーさんから「医者任せではいけない、自分の体で自分の命なんだから・・・」とアドバイス。
プーさんの娘さんは脳幹腫瘍で本人の判断で治療をしてるって聞いた。
私もしっかり向き合わなければ・・・
知るのが恐かったけどネットを検索。
小心者の私は全摘切除手術をしたら・・・自分と向き合えないと思った。
これから、店も何もかもしなくて人と会わなくてもいいならいいかも知れない。
義母の介護はどうなる?
卒業を間じかに控えた双子。の一人は東京に行く。
その準備だってしなければ・・・・
体に負担がかからない状態で手術して欲しいと・・・温存で手術をしてもらおうと決めて病院へ行く。
診察室でDr.Sから「やっぱり、がんでした。」と乳癌の宣告を受けた。
心の準備は出来ていたし予習もしていたので比較的冷静に事実を受け止める事が出来たと思う。
組織検査クラスX。
「全部取ってしまったほうが再発率が低いです。温存でやった場合は30%の再発率です。」
「初期だけれど、多発性の癌です」
「癌が広範囲にできていて、石灰化も見えるし」
そう言われても「全部取らないで下さい」というだけだった。
「再発したらそのときまた考えることにして・・・再発だってしないかも知れないし」
Dr.にとっては言う事を聞かない患者だったろう。治してくれようとして話しているのに
当の本人は、なげやりになっている。
卒業式には来なくてもいいと二人が言っていたので「4月には元気になっていたのですが」
というと「16日に入院して21日に切ろうか?」とDr.手術日までその場で決めた。
あとから考えると家族と相談してみます。って言葉がなかったのは自分のことだからだった。
今まで、義父のこととなると自分では決めかねます。と家族に決めてもらって行動していたもの。
2月11日(金曜日)
近所に住む伯母が心配してご機嫌伺いにきてくれた。
「どうだったの?」
「癌だって」
「あら〜。こんなに色々続くのは先祖の供養をしていないからでないの?」
「あの土地をアンタ達が貰うなら供養をしないと・・・・」といわれた。
何で私達なの?そんなもの要らない。
土地なんか要らないから、私の乳がん取り消して!って怒鳴りたい心境で心臓がどくどく鳴った。
子孫を病気で苦しめるような先祖ならこっちからお断りだわよ。
お婆たちの身勝手さは今始まった事じゃないけど・・・・
あの婆さん達より早く逝きたいと思うようになっています。
「このまま、放っておけば先に逝くだけだから、入院しないのもありかな?」
それなのに、病院へ行く自分が許せない。
2月16日(水曜日)
朝から大雪警報が出ている。
入院日だ。
癌で死ぬことは減ってきているし二度と帰ってこられないこともないだろう。
とは、思うものの不安だ!!めいっぱい不安。
この世からいなくなることが恐いのではなく、人は簡単に死ねないから不安なんだ。
苦しむ姿を見せたくない。見られたくない。
ここの所、何も手につかない状態だったので
手術前に確定申告の準備だけはしておかないと・・・
「手術まで時間があるんでから準備すればいい」そしたら、俺がやってやる。」
次男が申告書を提出してくれると言うので頼む。
病室にパソコンやら伝票を持ち込む。
でも、なかなか集中できない。
夕方、Dr.三人が患者の様子を見回る。
「早く、部屋に慣れてね・・・」とやさしく声を掛けられてホットする。
2月17日(木曜日)
朝起きると喉が痛い。咳もでる。
「風邪ひくと手術できなくて延期になる事もあるから、風邪薬飲んでおいて」と言われた。
延期は嫌だ!絶対嫌だ!
月曜日までがこんなに長いと思った事が今まであっただろうか。
「週末まで気合で治しますから。」と言う。
気合だ!気合だ!気合だ!!!
売店からマスクを買ってきてつけるようにする。
喉の具合はいいようだ。
向かいのベットに寝ていたお婆さん93歳だと言う。
認知症らしい、明日、別の施設に移るという。
娘さんがお昼を食べさせにきている。
気の利いた介護する姿を見ていて到底自分には出来ないと思った。
でも、誰に何を言われるかとか、どう思われるとか考えなくていい介護をしたいものだ。
いつも人の目を気にして生きている自分はなんなんだろう。
自分なんかいなくても、誰も困らないのに「私が居ないと」と思っているだけなのではないか?
そんな事を、よく考える。
その娘さんが、「遅くなってごめんね」「診察が混んでいて・・・」とお婆さんに言っていた。
お婆さんが看護士さんにお風呂に連れて行ってもらっている間、話をすることが出来た。
「診察って何処か悪いんですか?」とても元気にしていたので聞いてみた。
「私も、4年前に乳がんで全部とっているの」言われても全然そんな風に見えない。
「なんか変だな?と思っているときに父が癌で入院して看病している時に母がくも膜下で倒れてね。
自分もだ。って言えなかったの。しこりが大きくなってきて恐くなって病院にも行けなくなっていたの。」
「歩くのがひどくて、ここの整形外科にきたのね。そしたら、何か出来てませんか?って聞かれて、
すぐに外科にまわされたの」
「乳がんって骨が好きらしいのね。7ヶ月入院したのよ。抗がん剤で病巣をおとなしくさせてからの手術でね。」
「えぐるように取ったからお腹の肉を移植してね。今も、コルセットをしているの。」と話してくれた。
後から聞いたのだがその時に卵巣も取っているそうだ。
2月18日(金曜日)
入院した日に{入院診療計画書}を貰った。
病名、左乳がん。
症状、左乳腺腫瘍、乳頭異常分泌。
治療計画、治療方針については入院後最終的に合意し手術方法を決定する。
(術式は相談して決める)
その、相談の日。PM6:00に約束している。
手術の説明を受ける。
主人と次男が一緒に話をきいた。
どう思っただろう。18歳になる男の子が母の乳がんの告知、そして手術の説明。
「また聞きするより、直接聞いたほうがいいから」だそうだ。
悶々と心配するよりは良かったかも知れない。
全部取った方が安心なようなことは言っていたけれどあくまでも温存で・・・
Dr.Sは全部取りきれない時のことを心配してくれている様だった。
それでも「患者の気持ちを第一に考えて、手術中に結果が悪くても全部取る事はしないから」
と言われて、今まで心配、不安だったのはこれだったんだ。
寝ている間にこうなりましたといわれることの恐怖だったんだことに気づいた。
でも、再発より何より全部取る事が嫌だった。
そんな、たいしたおっぱいじゃないし、自慢できるボディじゃないし、美人でもないし。
それでも、嫌なものはいや!
執着させるものはなんなんだか・・・
次男はとても心配してくれた。
ため息をつきながら、「自分のことならこんなに心配しないのに。」と言う。
「胸がひとつ無くたって死なれたら困る」とも言う。「あと、3.4年は生きていてくれ」とも
「えェ〜!あと3.4年だけでいいのォ〜」と笑いあう。
乳がんに対して悲壮感とか絶望感とかは無かった。
なにかの間違い。そんな感じしかしていなかった。
2月19日(土曜日)
入院中は暇だし普段じっくり出来ないことをしようと思い、英会話のCDと教本。編み物もしようと思い毛糸を持ち込んだ。
英会話は、手術のことが気になって頭に入らない。
MDにツェッペリン、アースウィンド&ファイヤー、ローリングストーンズ、ケツメ、モンパチ、
その他もろもろの音楽を入れてある。
音楽を聴いて邪念を払おうとした。
でも、やっぱり雑念、不安が心を乱す。
編み物を始めた。 「息子に形見にする」と言って。 でも今すぐ死ねるとは思っていなくて・・・
編み目を数えるもにも雑念が入ると数え間違う。
何度か失敗しながらも編み始めると不安ながらも集中できるようになった。
母が来る。「全部とればいいのに。」 「手術の時に先生にお礼金を包まなければ」と私の心を乱しに来る。
心配させて申し訳ないと思うけど、やさしい言葉をかけてあげられない。
自分だって必死なんだよ。 どうして分かってくれないの?
「血圧上がるからもう来なくていいから!」と言って折角きてくれたのに返してしまう。
他の事は一切考えたくなかった。
隣のベットのHさんと手術が同じ日。
麻酔科の先生と手術室の担当の人が入れ替わりで説明に来た。
私は以前にも手術の経験があるので不安を感じずに話をきいた。
手術室の担当の人は、手術室の写真を持ってきて説明する。
「音楽をリクエストできますが、ジャンルは何がいいですか?」と言われて Hさんは「何でもいいですよ。」と言っていたが
私は 「ロックにしてください。」と注文。
演歌とかで「あん、あん、あん〜〜!!」を聞いてDrのメスがすべったら嫌だよね。
ロックでテンポ良く、スムーズに手術が終わるように・・・
2月20日(日曜日)
やっと、やっと日曜日が来た。
長い5日間だった。
ここまでくれば、まな板の上の鯉の心境で、煮るなり焼くなりって感じ・・・
日曜日は回診がないと思っていたのでMDでガンガンに音楽をかけて編み物をしていたらDr.Tがいてびっくりした。
「編み物して待っていてもらうのもいいね。」と笑顔で言うけど、待ってた訳じゃなかったのよ。
手術の前にと思って・・・と友達や従兄弟が来てくれた。
術後も今まで通りの気持ちで付き合えるのだろうか? ひとりで拗ねて僻みっぽくならないかな?
私の性格上、それはないな。 でも、それをストレスにしてしまうんだよな・・・・
眠剤と下剤をもらって飲んで寝る。
2月21日(月曜日)
朝から絶食。水分も午前10時まで飲んでもいいですが後はだめです。
いよいよ、手術だ。
ドキドキして血圧が上がる。
ご飯も食べないで、朝から準備するのに午後3時半までの時間が長い。
「もう来なくていいから。」と言ったのに、昼過ぎに母が従姉妹ときてくれた。義妹も・・・
義妹は他に予定があったのに来た。来てくれなくてもなんとも思わないのに・・・義理堅い。(迷惑かも)
旦那だけ来てくれればいいと思っていたし、なんだか複雑。
ここに来てまで、嫁姑に小姑関係まで持ち込まないでほしい。
静かに手術に望ませて・・・
2月22日(火曜日)
手術室から出てきて意識が戻って安心して家族は帰っていった。(と思う。)
その後、pm.9時には覚醒してしまって眠れない。
陣痛の時のよう,10分おきに目が覚める。痛いとか苦しいからではなく・・・・
前の経験でも、術後の夜は長く、それが嫌だ!ただ眠れないと言うのは苦痛だ。
10時、11時、・・・1時、3時・・・やっと6時になった。
もう少しで回診になる。
Dr.Sが「どうでしたか?」と来てくれた時には嬉しかった。
「おなかが空いて眠れませんでした。」と訴えると、「お昼から常食にしましょう。」だって
どうでもいいから、おしっこの管取って、早く自分のベットの戻りたい。
戻ったら、リハビリが待っていた。
2月23日(水曜日)
卵巣膿腫の手術の時は、3日間実母に付き添ってもらい、痛くてたまらないのに笑わせられたのを思い出した。
胆石症のときには脊髄に痛み止めの麻酔をしたので苦しい思いをせずに、腹に1センチ位の傷が三箇所にあるだけ。
今回は、と思ってみる。
10年周期で全身麻酔をしている。
今回は、楽だ。
手術の次の日でも歩いて自分のベットに帰ってこられる。
胆石の時は、「おしっこしたくなったらおしえてね!」と言われたので伝えると、車椅子でトイレまで連れて行ってもらえて
「自分で部屋に戻ってね」と、トイレに置き去りにされた記憶がある。
今回は、お見舞いに来てくれた友達も、あまりの元気さにびっくりしていた。
のに・・・世間の噂は信じられない。
「魚屋の嫁さん、危ないんだって・・・」と言われていたそうな・・・
下界のことを知らずに、明るいがん患者になっていたのです。
お昼に友人が奥田英朗の「イン ザ プール」を借りてきてくれた。(図書館は私の書斎なので)
今までしていた編み物は根を詰めると疲れるのでしばらくお休みして(やる気はあっても力が出ない)
この際、読書三昧もいいかも・・・・
「空中ブランコ」同様、面白くて、一気に読んでしまった。
「伊良部一郎」精神科医。 彼は絶対名医だ!。
日本人が皆、彼のように物事を過ごせたら精神病はなくなると思う。
でも、彼は彼なりに病気だとも思った。
私も、注射フェチかも・・・・血管注射の逆流してくる血がきれいだと思う。
2月24日(木曜日)
ダニエル・キイスの「五番目のサリー」を病院の文庫から借りてきて読む。
手術の跡は、それほど痛まない。
「包丁で指を切ったて痛いんだから、これくらいはしょうがないよ」と隣のベットのHさんと話す。
夜に、一緒に仕事をしていた時のWさんが来てくれた。
面会時間ぎりぎりで、申し訳ない気持ち。
折角、忙しいところを忙しく、来てくれたのに・・・
来てくれてありがとう。今度、遊びに行くからね。
2月25日(金曜日)
怖いもの見たさに傷口を覗いてみる。
ガーゼを留めているテープが剥がれていたので見てみる気になった。
「えェ〜、何コレ!!!」 「こんなに採ったの〜。」と独り言。
自分が想像していたものとは別のものがあった。 けっこう大きなショック。
「乳がんです。」と言われた時よりも堪えた。
それでも、自分が望んだことだし、と納得する。
全部とると言うことは想像できたけど、残したことによって変わるおっぱいの形までは想像できなかった。
私のあたまのなかでは、ちょっと小ぶりになった三角すいを想像していた。
渡辺淳一の「別れぬ理由」を読み始める。
なんだかんだ言ったてお互いに楽しんでいるんだから お・あ・い・こって感じだ。
いつもの習慣で9時前に寝むたくなる。寝てしまうと夜、12時過ぎから眠れなくなる。
苦痛だ、今までも夜中に何回か目を覚ましていた。その時は子守唄代わりにテレビをつける。
「うるさい!」と叱られるから旦那が2時半に出かけてから。
病院ではそれが出来ない辛い。長い夜が嫌だな。 眠剤ををもらって飲んでみる。
習慣で、4時には目が覚めてしまう。
2月26日(土曜日)
朝食後、「別れぬ理由」を読み終える。することが無くなった。
編み物を始めてみる。
少しずつなら出来そうだ。看護師さんにも「リハビリ?」なんて言われちゃったから調子付く。 
火・木・土と入浴日。下半身の入浴許可がでた。シャンプーも。
シャンプーは「腕を上げるのが大変だったらお手伝いしますよ。」と看護師さんが言ってくれたけれど一人で出来た。
お見舞いに来てくれた人たちが「編み物なんかしていいの?」と言う。
家に帰ったら大事にばかりして居られない、早く普通の生活に戻る練習をしないと・・・
リハビリも頑張った。
「病院に居るうちに縫ったところがほつれたら、縫い直してもらえるから。今のうちに頑張るわ!」と言って・・・
(病院から見た朝日)
2月27日(土曜日)
手術をして一週間も経っていないのに元気だ。
リハビリも頑張っている。
術前よりも体重が少し増えていた。 何故だ?
絶食したし、痛い思いをして、いくらなりとも胸も切り落としたのに・・・間食は入院が決まってからやめた。
同室の患者さん。
「あら、点滴ってけっこうカロリーあるし、病院食も2000キロカロリー近くあるから、痩せないわよ。」だって。
「あら、そうなの、残念ね。」
3月1日(火曜日)
家の双子の卒業式。
私は、病院で卒業証書を待つ。
娘の学校の役員をしていたので卒業式の後、祝う会へ参加する予定だった。
3月2日(水曜日)
夕方、Dr.Sに手招きされる。「いい知らせだよ。」と・・・
カンファレンスルームで検査の結果を聞く。
癌組織は全部とりきれた事。 リンパ節の転移もない事。 4種類の細胞があった事。 再発の心配はあると言う事。
2ミリくらいの癌が多発していたそうだ。けれども写真を見せてもらう気にはなれない。
ホルモン療法の説明も聞く。
分かったような分からないような・・・
「検査の結果がまだ出ていないから結果が出たら、ホルモン療法をはじめましょう。」と言うことらしい。

3月4日(金曜日)
病院にいて寒さを感じないでいられて、幸せに思う。
下界は、大雪警報がでている。
子供たちも、卒業していてよかった。
どこの道路も渋滞しているとラジオがいっている。
3月5日(土曜日)
夜中に脇の下が痛み出す。 術後、こんな痛みは初めてで不安になる。
痛み止めをもらう。
隣のベットの75歳になるT さんが退院する。
胆嚢を切除した。 前日に主治医から「胆嚢癌でした。」と告知されて落ち込んでいた。
病巣は全部取りきれたらしいが・・・・
「癌」と聞いただけで恐怖を感じるんだろうな。と自分だって癌のくせに思う。
いつ、死んでも良いといいながらも実感としてない。人の死に目に会う事だってそんなにあることじゃないし・・・
弱っていく自分の姿が想像できない。
3月6日(日曜日)
脇の下を抜糸する。
3月9日(水曜日)
Dr.Sが検査の結果を家族に話しましょうか?と言うのを 「家族には自分で伝えますから。」と断る。
ただせさえ忙しいのに、大丈夫な患者の家族に説明まで要らないよ。と思ったから・・・
「病気は自分ひとりで治すんじゃなくて、家族が治すんだから。」と言うDr.Sの言葉に感動した。
何でも自分で出来ると思っていた。退院してからだって今までのように、今まで以上に頑張らなければ、と思っていた。
退院した次の日から市場に仕入れに行くつもりで居る。
家族のありがたみは感じていても、家族に頼ることはいけないことのように思っていたかもしれない。
いつも、元気な母で居なければいけない、そんな気負い・・・・
と言うわけで、今日がDr.Sから家族へ検査結果報告をしてもらう日。
これから、再発防止の治療法を話してもらった。
放射線治療。 ホルモン療法のこと。
次男もついて来て話を聞く。
「仙台に居るうちに結果がわかって、退院できれば安心だしね。」
「入学式にはついて行くから。」 「いいよ、来なくて」 「母の楽しみだからね。」と親子の会話。
3月10日(木曜日)
マクロビオテックなるものに興味を持った。
友達が、ネットで調べてきてくれて 「もうすぐ誕生日だから。」と本をプレゼントしてくれた。
{美しくなるレシピ}の表紙を見た婦長。
「あら〜、気になるわ。見せてね。」と本を手に取る。
「玄米中心の食事で・・・」と Dr.Yに話をすると、 「玄米にこだわらなくてもいいんじゃないかなぁ。」と言う。
「これから、40年生きるとして、10年パンを食べたとしても30年はご飯だよ。」
「白米のうまいご飯を食べて、玄米も時々食べたほうがいいと思うよ。」
「僕もね、病気をしてここまで回復するとは思わなかったよ。」と言う。 Dr.Yは頭を手術したそうだ。
なるほど、本を読んで理想だとは思ったけれど、やれるかどうか踏ん切りがつかずにいた。
毎日の食事となれば家族も巻き込むことになるし、コレをすることによって新たなストレスになりそうな予感もあった。
何も、無理をしなくていいんだ。 身体をいたわり何事も笑い飛ばし、元気で生活していけばいいんだ。 と思えた。
3月11日(金曜日)
「もう少し、もう少しって全然もう少しじゃないね。」と回診にたびに言われたドレーンをやっと抜いてもらった。 やっと身軽になる。
入院する時の予定では、もうそろそろ退院できるはずだけど・・・
入院の請求書がきた。
次男に銀行へいってもらい支払いを頼む。
3月14日(月曜日)
全抜糸。
3月15日(火曜日)
同じ日に手術をした Hさんが退院する。
私は、まだリンパ液が止まらないので退院できない。
息子には、そろそろ退院できると言ってあるので「いつ、退院なの?」とメールが来る。
そろそろ、入学の準備もしなければいけない時期だし、学校の寮に入れなかった時のことを考えておかなくてはいけない。
Dr.Sからホルモン療法について説明があった。
摘出した組織検査でホルモン感受性が陽性なのでホルモン療法を始めますという。
卵巣からの女性ホルモンを止めるためにLH−RHアゴニスト(ゾラデックス)を腹に注射して、アロマターゼ阻害薬(アリミデックス)を飲んでホルモンを止めてしまう。
再発防止だから甘んじて受けよう。
3月16日(水曜日)
ホルモン療法を受けるにあたり、婦人科を受診するようにDr,S に言われた。
子宮がん検診も3年していない筈だ。
乳がんだと子宮体癌になる確率が高くなるそうで、体癌検診をする。
検査の結果は2週間後になるって・・・また、心配事が増えた。
子宮内膜が厚くなっているけれど心配ないので半年後に受診すればいい。
がん検診の結果が心配。
3月17日(木曜日)
朝の回診の時に、「誕生日には退院して祝杯をあげるはずだったのに。」とDr.S に訴えると
「ワイン持ってきて飲めば。」と言う。 「先生そんなこと言うと本気にするよ。」
内科じゃないから言えることらしいけれど・・・退院するまでのお楽しみ。
「何歳になるんだっけ?」と今日も聞かれた。 昨日は「45歳です。」だったけど 「今日から46です!」
3月18日(金曜日)
ホルモン療法始まる。
Dr.T に注射をしてもらう。 下腹に局部麻酔をして生理をとめて閉経後と同じ状態にする。
「前の病院では麻酔を使わないで注射してたんだけどね・・・。」「S先生が麻酔使ってやってっていうんだよ。」と言われ。
Dr.Sはいい人だと思った。
痛いのは嫌いだ。
「来月から、生理はきませんから。」と言われ 「ナプキン代浮くじゃん」って言ったら
「そういう問題じゃないと思うけど」と看護師さんにあきれられる。
しばらくすると、具合が悪くなってきた。
心臓がうるさい。 気持ちが悪い、まるでつわりのようだ。 右の下腹が痛む。
3月19日(土曜日)
リンパ液が止まった。
つわりのようなむかつき、排卵痛のような腹痛、殴られたような後頭部ののぼせ。
食欲も無い。 トマトジュースを飲んで過ごす。
ホルモン剤の投薬も開始。
3月20(日曜日)
入院してから病人のようになったのは初めてだ。
ホルモンを止められた身体が悲鳴を上げているのだろう。
長男が連休を利用して顔を見せに来てくれた。
嬉しい。
3月22日(火曜日)
ゾラデックスとアリミデックスで更年期障害が出たのだろうと言うので、朝からアリミデックスを中止。
もう少し様子を見ましょう。ってまた退院が延びるの?
次男から「何で退院が延びたの?スーツ買わなくちゃいけないんだけど」とメールが来る。
私だって早く帰って東京に行くために体力をつけておきたいのよ。
放射線治療の準備のために CTを撮って照射位置を決める。
放射線科の先生に 「きれいな傷だね。」と言われる。なんか複雑。
3月23日(水曜日)
放射線を初めて照射。
「そのまま動かないでください。」と言われると {ここで暴れたらどうなるだろう}と言う気持ちになる。
(空中ブランコ)の義父のヅラを思い出してしまう。
長男が勤める店(西麻布、鮨寛)の親方が「家が大変だろうから手伝いに行ってやれ。」と言ってくれたそうで休みをもらって
帰ってきてくれた。 心強い。
3月24日(木曜日)
放射線治療も始まったのでそろそろ、退院できそう。
更年期症状が続くので 漢方薬(加味逍遥散)を処方してもらう。
夜から飲み始める。
3月25日(金曜日)
義従姉妹が乳がんで同じ病棟に入院していた。
私のお見舞いに来てくれたばかりだったのでびっくりした。
病室にお見舞いに行く。 31日に手術だって・・・不安だろうな。
全切除するらしい。
漢方薬が利いたのか胸がつかえる感じが少し楽になった。
食前、30分前に飲む薬だけど、時々忘れていると看護師さんが声を掛けてくれるけれど家に帰ったら自分で管理しないと・・・
左腕が、だるい感じ放射線の影響ってこんなに早く出ないよね。
3月26日(土曜日)
左胸の下がピンポイントで痛む。
「放射線の影響かな?」と Dr.Sが言う。
午前中は胸のつかえが取れてパソコンをいじる元気も出てきた。
夜になって症状が出てきた。
なかなか、安定しない。
3月28日(月曜日)
やっと、退院。
骨シンチ、婦人科、放射線治療を受けてから退院。
退院後の生活についての説明があって色々と規制があるのにびっくり。
明日からは、入院前と同じ生活をするつもりでいた。
骨シンチの検査、寝たまま動かないで50分くらい、やっぱり暴れたい衝動に駆られる。
婦人科、子宮がん検診の結果、大丈夫だった。定期的に半年に一度の検診を勧めらける。
全部終わって帰ったのが4時過ぎだった。
家は寒かった。
真冬と同じ服装、着込む。
楽しみにしていたビールが美味くなかった。 がっかり。
温存で手術をすると体に負担がかからないように思っていて、盲腸を取るくらいの感覚だったのに、全然違った。
更年期障害、術側の腕のこわばり。
でも、そのうち慣れるだろう。
3月29日(火曜日)
介護生活も始まる。
義母の病院を予約していたので、退院できなくても外出許可をもらっても行くつもりではいたけれど、長男が帰ってきていたので同行してもらう。
車の乗り降りが大変。 抱いて降ろすにも私には出来ない。
長男が抱き降ろしてくれた。
診察して、変わりないので、近所の病院で診てもらうようにと、紹介状を書いてもらうことになった。
術側の手に傷をつけないように言われていたのに、封筒を開けようとして紙で切ってしまった。
ドキドキ。
午後から、放射線治療に行く。
3月31日(木曜日)
義従姉妹の手術の日。
頭痛が続く。痛み止めを飲みながらの生活。
4月3日(日曜日)
美味くないと言いながら毎日ビールの味見をしている。「今日のビールも美味くないなぁ〜」と言いながら・・・
美味くないなら飲まなきゃいいのに。
ビールを飲んだからか、夜中から頭痛、排卵痛のような下腹の痛みがある。
朝、起きると生理?(もう来ないはずだよ) 不整出血?(がん検診で大丈夫だったはず。)
急に、不安になる。
真冬と同じくらい着てるのに背中が寒くてゾクゾクする。
次男の引越し荷物を義妹の旦那と家の旦那が赤帽車で東京まで運ぶ。
本当なら、長男と一緒に引越しを手伝うつもりだったのに。
4月4日(月曜日)
朝、外科外来に電話をしてみる。
来ないはずの生理がきたことを告げると 「受診してください」と言われる。
次男が上京する日。
病院で受付をしてから駅まで見送りに行く。
一緒に行きたかったのに・・・
「金さえ用意してくれれば一人で大丈夫だから」って泣き虫 シゲちゃん本当に頼もしくなった。
生理がきたのは心配ないそうだ。
ホルモンの感受性が陽性なので、アリミデックスを再開する。
1時過ぎまで診察がかかったので放射線照射の時間まで、義従姉妹のところで野菜ジュースを飲みながらすごす。
4月6日(水曜日)
夜中に目が覚めて眠れない日が続く。
娘が自動車教習所に通い始める。 お兄が連れって行ってくれた。
次男の入学式。
一人で頑張っているか?
母は、自分の役割を終えたそんな気持ちでいます。
わが子には、自分たちで自分らしく生きてほしいと思います。
後悔しない人生。 難しいと思いますが・・・
自分に嘘をつきに世の中に流されるか。
自分の思い通りに生きて、信念を持って、人の意見に左右されることなく損徳を考えず、生きるかは、母の知るところではありません。
自分がされて嫌なことはしないほうがいいでしょう。
これから先、自分との戦いです。
頑張って、これからを生きてほしいと思っています。
4月7日(木曜日)
長男もいつまで休んでいる訳にもいかないので帰る。
4人暮らしになる。
急に寂しくなるなぁ。
4月8日(金曜日)
朝から二日酔い状態。 気持ちが悪い。
頭重感有り、右足の付け根がだるい。 身の置き所がない。
放射線照射後に診察するように看護師さんに勧められる。 痛み止めを処方してもらったのに貰うのを忘れて帰ってきてしまった。
ビールを飲む元気もない。
これが、放射線の副作用なんだろうな。
4月10日(日曜日)
今回から、運転免許証の更新が誕生日前後2ヶ月になった。
入院中に誕生日を迎えたので今日行くことにする。(誕生日までには退院する予定だった)
運転するのにシートベルトが気になる。
傷に触る。
免許センターにシートベルトのことを問い合わせると、「県警本部に相談してください。」と電話番号を教えられた。
主人が、運転して連れて行ってくれた。
免許証の写真がいまいち、気に入らない。
優良運転者だから、5年間持っていないといけないのに・・・
こんな、でかい顔いやだ!。
5年間、持つのかな私の身体・・・・再発はしないような気はしているのだけれど、弱気になる。
4月14日(木曜日)
2回目のゾラデックスの日。
一回目よりダメージは無いようだ。 身体が慣れてきたのか?
身体がだるいので、「十全大補湯」を処方してもらった。
放射線も、後10回。
それにしても、外来の待ち時間が長い。 予約をしていてもだ。
昼食は、野菜ジュースとトマトジュース。
義従姉妹の病室に行って、お話をしながら飲む。
放射線照射の時間まで居させてもらう。
会計の時に注射の値段にびっくりした。
一回目は入院中で、入院費と一緒の払ったから分からなかっただけ。
注射代と投薬代、放射線科を合計で2万円を越す。
この先、どうなることやら・・・
4月21日(木曜日)
頭痛や右足の付け根が痛い、けれども我慢できないほどでもない状態。
下剤を使用しながらの生活。
(漢方薬でも副作用はあるようで・・・便秘です。)
ご飯の甘みが、気持ち悪い。
つわりの時のようで、ご飯は食べなくても良い。
日々雑用は増える。
入院前にしなければいけなったこと、入院中に郵送されてきた納税関係などなど・・・・
義母のショウートステイの使用料の納付もだ。
空腹感はなく、動き回っても大丈夫なようで安心。
無理をするなと言うけれど、動いて動けない事はない。
寝ているまででもない。働こうと思えば、店番くらいできる。と思ったが「塩、一袋ください。(20キロ)」と言われても、力が出ない。
まるで、アンパンマンのようではないか・・・・
入院中に知り合った、恵子さん。
19日に退院だったのが、風邪を引いてしばし延期。 23日に退院する予定。
いつも、この季節になると、生きているのがつらくなったりするけれど・・・・
今年はがんばらないと・・・・
つづく・・・・