ピアノ広場「柳音〜やなぎおん〜」のはじまり
<設立の経緯>
楽しく学べるピアノ教室 安心して通えるカウンセリングルーム
2004年3月執筆
2007年6月加筆
ここでは、ピアノ広場「柳音〜やなぎおん〜」設立にあたって、私が何を考え、
どのような過程を経てここまできたのかを述べたいと思います。
こういうことをしっかり説明することで、やなぎおんにいらっしゃる方、このホームページを
ご覧になる方が少しでも、より安心して足を運んでいただけることに
つながればと思います。
私がピアノ広場「柳音〜やなぎおん〜」の構想を立て始めたのは1998年。
その時気持ちを突き動かしたのは、
「このまま放っておいては全てがダメになってしまう」
という危機感が始まりです。
私がやりたいと思ったのは、学校で学ぶものを、
(将来的には、義務教育の内容を全て取り入れた)学校以外の機関で得られる
居場所の設立です。
その際、必要とされる条件として挙げたのは、
一つは、子どもだけでなく、
「親と子ども」両方の立場にとって実利性のある環境作り。
もう一つは、上記の要素を持ちつつも、何らかの形で心に問題を抱えた人が、
「治療」という概念抜きで、フリースクールのようにただのんびりと
過ごしていられる環境に、心身の回復につながる具体的手段を取り入れることでした。
このような計画を立てたのも、今の世の中でこういうものが必要とされていることを、
自らの経験も通して実感したからに他ならないわけです。
そして、やれるだけやってみようと決意しました。
ところでみなさんは、音大生が卒業した後、驚くほど進路の選択肢が
少ないことをご存知ですか。
音大に関しては、今も根強く音楽を志す者が目指す最大の目標であり、
『ピアノニストになるためには音大に行けばいい』
という価値観だけがいまだに先行しがちなのですが、
ピアノを習い始めてから入学するまでと、在学して卒業するまでに
費やす労力を考えると、かなりのエネルギーと時間とお金が必要とされます。
進路は主に、まず単独の演奏者
(これは飛び抜けて目に止まりやすい実力と、なおかつ強運が要る)
またはオーケストラなどの楽団に属する演奏者です。
この2つがほんの一握りの運の良い人であり、他の大勢の人は、
学校の音楽の教師、または音楽教室専属の講師か、個人経営で音楽教室をやる、
といった具合になります。
もちろんこれらは、演奏者と比べれば収入が少ないのは言うまでもありません。
今は音大入学希望者も緩やかな減少傾向で、無事卒業しても一般の会社に
就職する人も少なくないようです。
音楽大学が最も脚光を浴びていた時期は、今から約15〜20年ほど前にさかのぼり、
当時は高度経済成長の真っ只中でした。
戦後、高校・大学進学率が飛躍的に上がった流れに沿い、
私立の学校に子どもを通わせる親が急増し、
[教育ママ] [お受験]という言葉がメディアによって作り出されました。
その影響は更に低年齢の幼稚園にまで飛び火し、
「習い事」といわれる分野もその煽りを受ける形になりました。
この当時は、ピアノを習って音大に通うことが一種の子どものステータスのように
持てはやされた時代だったのです。そして私自身も、実はその時代を幼年期として
過ごしたうちの一人です。
この間、一時的にピアノを習う人は増えていき、その歩調に合わせるように、
音大を卒業して就職にあぶれた多くの人達によって、音楽教室の数も
瞬く間に増えていきます。
しかしそれは当然、長くは続きませんでした。
バブルがはじけるのと同時に衰退の一途をたどり始め、西洋音楽の深い味わいを
本当の意味で世間に根付かせるチャンスを失ってしまいます。
また、バイエルなどの偏った教材に依存した指導法が蔓延した結果、
音楽嫌いになる子どもを大量に生み出してしまうという悲劇を招きました。
このバブル崩壊のおかげで、あらゆる分野で様々な影響が出始めるわけですが、
当の子どもを持つ親達の気持ちを集約すると、
こう言い表せるのではないかと思います。
『今までお金を貯めて、良い学校に通わせようとがんばってきたけど、
一体なんのために・・・? さあこれからどうしよう・・・』
これは日本全体が見失っていたことでもあり、物質的に豊かな社会を作ることで、
何を目標とし、何を達成しようとしたのかという根本的な指標を見落としていた
結果ではないかと私は考えています。
と同時にこれは、70〜80年代を必死で生きた親たちが気付かされたことでもあります。
何のために私立の学校に入れて良い学歴を求めたんだろう、
なんのために高いお金を出してピアノを習わせたんだろう、
子どもにどう育ってほしかったんだろう・・・。
このような疑問を背負って立ち往生している大人と、
私は今まで何人出会ってきたかわかりません。
それによって、様々な葛藤を抱えたままほったらかしにされた子どもも、
実に驚くほどたくさんいます。
これは私自身の経験でもあり、1998年から柳音設立のために本格的に
情報収集を始めた時も、改めて嫌というほど痛感しました。
そして、第二次世界大戦に際し、欧米諸国からこてんぱんに差をつけられた国そのもののコンプレックスもあり、ただやみくもに経済の潤いを求めた日本の姿勢には、
「その経済発展を実質的に支える国民一人一人に対するメンタルケア」
「どうしたら楽しく、充実した気持ちで生きることができるか」
という、人間が日々を営む上で極めて重要な要素が明らかに欠けていました。
つまり、福祉の要素です。
私が一番影響を受けた事業に関するスタイルは、80年代後半から増え始めた、
主に不登校の子どもたちを受け入れる「フリースクール」と呼ばれる機関なのですが、
これは世間全体の認知度を見ると、一般層に自然に浸透しているとは言い難く、
長い目で見て、子ども達が元気に育っていける土壌作りにつながるかどうかを
考えると、それには限界があるように私は感じていました。
このフリースクールのスタイルにもっと味を加える必要があったのです。
すでに80年代から、校内暴力の頻発、不登校、高校中退者の増加などの問題が
矢継ぎ早に起こり始め、学校以外の部分で子どもをサポートするシステムの必要性が
声高に叫ばれていました。
そこで着目したのが、先に挙げた、一時的に習い事として持てはやされた
「ピアノ、クラシック音楽」という分野です。
私はこれまでのことを整理し、心になんらかの問題を抱えている人に対して、
具体的な手段を持ったサポートをできるものに、
「楽器を自分の自由に演奏できる喜びを伝える」ことを一つの軸にすることにしました。
これは幸いにも私自身がピアノの技術を体得していたので実現が可能でした。
そして、音楽という優れた手段をもっと生かすため、セラピーの要素を含んだ
対話を取り入れ、心に様々な問題を抱えている人でも安心して
足を運んでもらえるような形を持ちました。
大切なのは、のんびり過ごすという中にも、音楽という極めて幅広い年齢層に
受け入れられる手段があることです。
これらを実現するには、ただ単にピアノの技術を持っていれば
できることではありません。時間をかけてその人の音楽性、能力を引き出し、
会話の中から、その人が本当に(変えたい)所を気づかせながら、
共にエネルギーを引き出していくことが必要とされます。
例えばカウンセリングの世界では、セラピストが直接クライアントの心の問題を
解決するのではなく、クライアント自身が鏡で自分の姿を見るように、
自分の抱えている問題に気づかせる所から始まるのですが、
そういう点では、柳音のコンセプトはそれに近いものがあります。
しかしあくまでも、心の治療をするというものではなく、
手段として音楽があって、それを楽しむ喜びを伝えることから始まります。
そして、これを行うにあたって私自身が学んできたことは、音楽や臨床心理の
専門的な学習だけではなく、あらゆる機関、社会の場においての実質経験が
ほとんどのウェートを占めています。
こればかりはどうしても抽象的にしか伝えることができませんが、
常に出会う人と正面から向かい合い、真摯に接することを
積み重ねていくしかありません。学問の範囲で学べるものではないのです。
私は以前、小学校の学童保育の指導員をしていましたが、非常に悲しく、複雑な思いに
かられることが多々ありました。
今子ども達の置かれている状況は、世間が想像しているよりはるかに、
緊急の助けを必要としています。
子どもが元気に育つ環境を整えることは、社会が成り立っていく上で、
一番の基本であり、全ての可能性を育てることができるのです。
それに気づいている大人があまりにも少なすぎる現状は、大きな問題と
言わねばなりません。
だって、未来をこれから彩っていくのは、他でもない子ども達なのですから。
私達大人は、できる限り力を貸してあげていくのが、大人も含めた
全ての人たちの元気につながっていくことだと私は思います。
