1964年6月16日午後1時2分

それは新潟県民にとって、永久に忘れられぬ “時” となった
地震、火災、津波、倒壊すべてが同時に一瞬のうちに起きてしまった
新潟地震は関東大震災以来の大地震といわれ、損害概算3000億円
深い爪痕をこの大地に上に残した。しかしわれわれは不死鳥のごとく
この爪痕の中から飛び立ち、明るいあすに向かって誓い合った
 1時2分の恐怖

裸婦像が天を指差す新潟市公会堂の時計塔の針は地震発生の1時2分に時の刻みを止めた
 昭和石油付近

昭和石油のタンク爆発で吹き上げられた黒煙は空いっぱいに広がり、付近の住宅団地一帯を黒い影で覆っていた
昭和石油の火災は民家までひろがった
 新潟市藤見町

地震、火災の瞬時の出来事に主婦たちは手回り品と子供を抱いて、安全な砂丘の高台に非難した
東港線道路

地震、石油火災、そして津波、油の浮く濁水の中を手を取り合い、恐怖に脅えるながら非難する子供達
“新潟国体”のために造られた昭和大橋はわずか10数日後に強震に見舞われ橋脚部分から崩れて信濃川の川面に落下した
地震で発火、天に沖する黒煙を上げて燃える昭和石油新潟製油所と、無残にも信濃川に落ちた昭和大橋
まるで将棋倒しのようにだ
昭和大橋西詰め

震度8の巨大なエネルギーは大地をうねりながら揺すり、道路は腹をえぐり裂かれたように不気味な爪痕を残した
万代橋東詰め取り付け道路
万代橋東詰め取り付け道路
万代橋東詰め取り付け道路
東港線にかかる山ノ下橋ではパックリ口を開け自動車を飲み込んでいた
人を飲み込むように大きく陥落した橋詰道路、左後方に見える県政記念館付近は比較的被害が少なかった
 万代橋東詰め取り付け道路
 現ダイエー交差点前

道路はあちこち冠水して、人々はすそをまくり裸足で渡り急ぐひとは難渋した
万代橋

石詰めで作られた万代橋は地震に耐えた
新潟川岸町

鉄筋四階建ての県営アパート郡が激震で仰向けにゆっくりと倒れたが幸い死傷者はなかった
 後に地盤の液状化現象によることが解った
トンネルを覗き込むような姿勢で窓から家財を取り出す住人たち
上空から見た川岸町の県営アパートはマッチ箱をひっくり返したように、思い思いの姿勢で倒れ、近代建築のもろさを暴露した
 新潟地震の象徴ともなった傾いたビル
新潟市明石通り
新潟市明石通り
完成したばかりの 「ホテル新潟」 付近は道路が1bほど沈下してしまった
 現オークラホテル前

万代橋西詰めの新潟中央警察署は道路が陥没して建物が浮き上がり、しばし呆然の署員たち
修理の万代橋
震度8の地震は列車を線路からはじき出し、流砂現象は線路を地中に埋没させた
新潟市花町

流砂現象で噴出した土砂に車はアリ地獄に落ち込んだように地中に吸い込まれた
 新潟市磯町
 新潟市入船町
滑走路も空港ビルも水浸しになった新潟空港周辺一帯は湖水と化し、10日間使用不能となった
 新潟市入船町

屋根の白文字 「SOS」 「水、メシタノム」は、天に向かって叫ぶ被災者の悲痛な声を物語る
地震後、数回襲ってきた津波は信濃川河口から上流に逆流して浸水被害を甚大にした
魚市場は地震と津波で水中に崩れ落ちた
 現県民会館

市営野球場が臨時の救助用へリポートとなり、橋がズタズタになったためヘリコプターが活躍した、野球場は地震後、全国からの支援を受けた記念に県民会館を建てた。県民会館が出来た背景をはたして何人知っているのでしょうか?
この度の新潟中越地震の被災者に心からお見舞い申し上げます