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新潟駅前通り (昭和33年5月3日)

一面の田んぼを埋め立てて誕生したあたらしい新潟駅
バス停の「駅前通り」には違いがないがこのホコリもうもうの広場から
現在の高層ビル群が立ち並ぶ駅前通りはちょっと想像できないでしょう
新潟駅オープンを祝うアドバルーンがなんとも印象的です。
新潟駅 (昭和33年5月)

現在地に移転開業した新潟駅
広い道路の中央に緑地帯を設け、モダンな街路灯とともに市民の目を奪った
駅舎はその後増築して現在の建物になったが、駅前ビルはまだ姿を見せていない
旧新潟駅前の朝のラッシュ (昭和30年7月)

通勤通学を待つバスの列が行儀よく並んで、数少ないタクシーも人待ちをしている。
前方の旅館はいまはなく万代シティへ通じる街路になった。
柾谷小路 (昭和28年5月)

専門店祭のの人出であふれた柾谷小路
整理の交通巡査も群集の中に埋没している。
古町十字路 (昭和29年9月

笛を咥えた交通巡査の後ろをボンネットバスと荷馬車が通る
旧第四銀行本店前 (昭和29年4月)

本店前に作られた東堀の歩道と花壇。この頃、堀はまだ流れていた。
花壇の左奥に人力車の幌が見える。
大和と小林(現新潟三越) (昭和32年8月)

両デパートはよきライバルだった。大火後もことごとく相対抗し、
屋上遊園地でも覇を競った。大火から2年目、柾谷小路の景観もきれいになった。
大和と建築中の市役所 (昭和32年8月)

柾谷小路西堀 (昭和30年7月)

世はまだ戦後の復興期、雨の柾谷小路を走る市民の足もボンネットバスだった。
マイカーなどまだなかった時代歩行者もゆうゆうと渡れて、どこかゆったりした気分があった。
柾谷小路西堀 (昭和32年12月)

上記写真の昭和32年
西堀橋 (昭和36年1月)

昭和9年に竣工したこの橋も39年2月に取り壊され、東西の掘りも埋まって街路になった。
西堀橋 (昭和34年1月)

西堀通り (昭和35年4月)

柳都と言われたころの西堀、正面に新築した市役所が見える。
西堀通り (昭和31年4月)

春爛漫の西堀イタリア軒前の木橋。
西堀イタリア軒前 (昭和32年4月)

カラコロときれいな芸姐さんたちがの鳴らす下駄のおとが情緒豊かな風情が漂う。
旧イタリア軒 (昭和32年8月)

木橋から石橋に架け替えられたイタリア橋。
6年後には西堀とともにこの橋も消えた。
西堀通り (昭和35年12月)

一番手前が千歳橋、バスが渡っているのがイタリア橋でその正面がイタリア軒。
西堀通り (昭和35年5月)

映画が娯楽の王座を占めていた時代
市内いたるところにこんな大きな看板が立ち目を引いた。
五菜堀の雁金橋 (昭和35年11月)

サン劇場は洋画をやっていたが、現在は大要と名を変えてオールナイトの
ポルノ映画館となった。
五菜堀(五番堀) (昭和35年7月)

堀の水かさが増えて道路と水面がすれすれ
このあたりは上大川前通12だがこの堀も埋められて道路になった。
旧市役所前 (昭和39年2月)

西堀橋は壊され、埋め立て工事
大火前の市役所正面玄関前 (昭和30年7月)

鏡橋付近 (昭和31年7月)

柾谷小路から万代橋方向。昭和4年に完成した立派な石の橋だった。
古町6番町商店街 (昭和30年3月)

古町モールに生まれ変わった現在とは隔世の感がある。
古町8番町大竹座前 (昭和31年2月)
古町商店街 (昭和32年12月)

オート三輪が懐かしい。
古町6番町商店街 (昭和32年12月)
東堀埋立て工事 (五番町)
東堀

堀のふちは、西堀は石、東堀は板であった。昭和になってから堀端に飲み屋が
並び、夕方から足を向ける人が多かった。
東堀埋立て 

堀も橋も屋台店もなくなった広い道路になる
万代橋ダイエー側 (昭和30年3月)

正面の白いビルは電話局、制限速度の表示は戦後を感じさせる。
万代橋から駅前通り (昭和30年2月)

鉄塔は新潟交通本社、その向かい左側白い建物はバスステーション。
万代橋 (昭和33年3月)

旧バスセンター (昭和32年7月)

朝のラッシュアワーこのころの通勤はほとんど自転車
旧新潟交通本社 (昭和32年7月)

新潟地震で床が沈下して道路より低くなってしまった。
旧バスセンター前 (昭和34年8月)

ちょっと大雨が降ると水浸しになった下水道工事が始まったのは昭和35年からだ。
他門川 (昭和35年4月)

秣川岸通の裏側は御覧のような風景だった
他門川と鏡橋 (昭和35年7月)

戦後日本の貧しい時代を象徴する風景であった
鏡橋から望む他門川 (昭和35年7月)
鏡橋からみた埋め立て直後の他門川 (昭和39年3月)

上記写真の4年後
早川堀 (昭和35年7月)

西堀、東堀が合流して五番堀となり柳島町から信濃川へと通じていた
ドブ川と一流旅館裏 (昭和35年7月)

篠田旅館はかつて宮さまも泊まり政財界が常宿していた。
その裏手はこんな汚い川だった、現在旅館あとは児童公園、川は道路になっている。
紫竹地区紫雲橋 (昭和34年9月)

排ガスも車の騒音もない時代、閑静な集落に沿って栗の木川はゆったりと流れていた。
対岸は亀田街道
紫竹地区紫雲橋 (昭和34年9月)

現在この川も埋められて栗の木バイパスとなった
高圧線の鉄塔脇の建物は東北電力の変電所
臨港踏切付近 (昭和36年6月)

国道345号線 (昭和31年5月)

国道の上を低空で着陸姿勢の米軍機。この頃、新潟飛行場ははまだ米軍に
接収されており、返還されたのは昭和33年3月だった

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