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ヤイユーカラパーク VOL46 2004.03.30
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第11回 鹿狩りキャンプ2004年3月19日〜21日/阿寒町

昨年の焦慮と苦労を繰り返してはならない、と、周到な準備がなされた……と書きたかったのだが、ついにそれは「話」だけに終わってしまった。狩猟許可の申請地をどこにするか? 「白糠地域にも広げるか?」「前田一歩園(阿寒湖畔)に相談してみようか?」「道東一帯にしてはどうか?」などなど、道や支庁の担当者も含めて、可能性を「話す」ことだけはやったのだが、タイムアップとなってしまった。事務局の繁忙が最大の理由……でした。

「ま、例年通りにやってみよう。大雪の結果がどう出るか分からんし……」という結論になり、申請。果たして、吉と出るか凶と出るか? 内心は、おおいに不安でした。それでも、今年は久し振りにハンターが3人に戻ったので、何とかなるだろう……と。

19日朝、長期予報通り好天のもと、男2名・女3名の乗った事務局車は380kmを快調に走り続け、上徹別福祉会館に到着。昼食とって6時間のドライブでした(後部座席の食べ物談義は、食事中以外は途切れることなく続き……)。現場に近づくにつれて、鹿の姿が増え始めます。「こりゃあ、いいかもしれんぞ!」希望がふくらんできました。その夜は9名が到着し――例によって、連絡もないままに夕食までにやって来る人も含めて――"英気を養いつつ"のんびりと夜を過ごしました。


20日朝、「ハンターが来ない!」……どうにも仕事が片付かないのか、ハンター2名がやって来ません。「今年も1人か……!」ハンター山下へのプレッシャーが強くなりました。

10時前に出発、ハンター+1名が"待ち"の位置についた頃、ほかの6名は雪原に入り"追込み"を始めます。国道と川に挟まれた林の中に横一線に散開して、"待ち"の方へとゆっくり歩きました。それぞれカンジキやスノーシューに足元を固め、例年よりは固く締まった雪の上を慎重に進みます。

私は一番国道側の位置。木立の間にシカの姿を探しながら、ゆるやかな起伏と平地を行きます。鹿道が縦横に走り、シカの糞が大量に落ちていますが、いつもより茶色で粘度が不足していることがよく分かります。「木の皮ばっかり食べてるんだ……」。大雪で餌がなく、樹皮ばかり食べているのでしょう。養分の少ない木の皮で生き抜くためには、大量の樹皮を摂らなければなりません。皮を食い削られた立ち木が、いつもより数多く見られました。

30分ほど歩いたとき、銃声が1発。「やったか!?」……しばらく歩き続けると、2連射の音。「どうなったかな……?」。川近くに集っている人びとのなかに、小柄なシカが一頭横たわっていた。「1発目は?」「少し遠すぎた」「いや、上等、上等……!」と、さっそく解体にかかります。

解体

解体

「時間も早いし、ゆっくりやろう」と、山下さんの指導で丁寧に解体が進みます。"着物を脱がせる"皮剥ぎから背ロースの切り取り、腿肉を切り内臓を取り分け、内ロースを取り……と、交代にナイフを握って作業が進む中で、「レバーを頂こう」と、まだ温かい肝臓の試食も出来ました。いつもながら「美味い!」。

肉の切れ端を木々の枝に、内臓や骨を雪原に残して、それぞれが切り分けた肉塊を抱え

て引き揚げました。上空にはカラスたちが旋回しているし、この近くでは去年クマの足跡

も見られていますから、この後は彼らのランチ・タイム。腹いっぱい、食べてくれ……。


昼食を食べて休んでいると、東京・横浜組も到着です。さっそく午後の狩りに出発。「どこでやろう?」「多分、もうシカが戻っているだろうから、同じ場所でやってみよう。いなければ、上流に移動しよう」ということになり、午前と同じ要領で散開しました。今回は、"待ち"に3名、"追込み"に9名です。

晴天で気温も上がり、午前より雪面がゆるんでいます。スノーシューが埋まることはありませんが、足元が重い。ゆっくり歩いていると、2発の銃声が響きます。「1頭は倒したなっ!」……下流に急ぐと、川岸に細く鮮血の跡が30mほど残っていました。「半矢で走ったのを2発目で仕留めたのか……」と思いながら寄って行くと、人垣(と言うほど大勢ではではなかったが)の中に、2頭のシカが並んで横たわっています。「おー!2発で2頭か!」。ハンター山下は「1発で2頭仕留めたかったんだが……」と宣った。

並んで近寄った2頭のうち始めの1頭を撃つと、被弾したまま30m走って川岸で倒れ、連射した隣りの1頭はその場で倒れたという。面目躍如の、ハンター山下でありました。

2頭を解体し、カラスやキツネの食い分を残して、雪原を戻ります。彼らも、しばらくは飽食の春うらら……でしょう。それにしても、3頭ともすっかり痩せこけた状態で、雪原には餓死したシカの骨と皮がたくさんありました。1月〜2月に阿寒地方を襲った大雪は、シカの群れを深刻な飢餓状態に追い込んだようです。車中から見える道路脇のシカもすっかり痩せ、生気が感じられません。走る元気なんかないんじゃあないだろうか? だから仕留めることが出来たんだ……とは思いませんが……。

どういう訳か1人で上流に"追込み"をやったというメンバーも無事回収し、車は宿舎に戻りました。彼の言……"追込み"を始めたら上流側にシカ数頭を発見、急いで山杖を作って忍び寄り、山杖を投げた。当たらずに逃げたシカが、しばらくすると戻ってきたので、山下さんがいると"思っていた"上流へと、追い上げていたんです。銃声は聞こえたけれど方角はわからず、何となく上流で"待ち"をしていると思っていたから……。そして、「惜しくも山杖での手捕りは出来なかったけれど、来年はきっと捕まえるよ!」と、手捕りへの情熱を燃やしていました。来年は、久し振りに"手捕り"のシカを味わえるかもしれません。


製肉作業

製肉作業

皆で製肉作業。腿肉を骨から切り分け、ブロックにしていきます。カツに揚げたロースを頬張りながら、賑やかに精肉が作られていきました。

「温泉に行こう!」と、入浴タイム。大満足の一同が帰って、夕食です。阿寒湖畔から差し入れを持ってやって来たお客さんも一緒に、"鹿づくし"ディナー。シギ子さんの冷凍キトピロ、栄子さんのキトピロ・キムチは美味しかった! 有難うございます。

初参加メンバーも含めて、初めてここで自己紹介。14名という少人数ながら、実に多彩なメンバーです。飲み、食べ、飲み……村上さんの三線を聞き、しゃべり、笑い……夜が更けていきました。私は結局1頭の姿も見ませんでしたが、ほかの"追込み"メンバーは、それぞれが持ち場で数頭のシカを見届けています。"追込み猟"は成功でした。プレッシャーから解放された山下さんも、シカを見なかった私も、早いうちに寝込んでしまいましたが、夜半過ぎまで、おしゃべりは続いたようです……。


21日。鹿肉はもう充分……と、朝から製肉作業。持ち帰る人数分にパックして、それぞれがお土産を確保しました。

アキレス腱から糸を作る

アキレス腱から糸を作る

雪原の一角にチタラペを張り、シカの頭を安置して、カムイノミ。陽光を浴びた3頭の顔が、穏やかに微笑んでいるように見えました。いつもながら、簡単な儀礼ではあっても、これを済ませると心が落ち着きます。最後に、供えた野菜や果物を切り分け、雪上に散らして帰りました。空腹のシカたちよ、これを食べて雪解けを待っておくれ。

カムイノミ

カムイノミ

昼食後、宿舎の掃除を終えて解散です。「また、来年!」と声を掛け合って、車で、飛行機で、それぞれの家路に着きました。最後まで好天に恵まれ、事務局車が札幌へ帰り着いたのは、まだ西の空に夕陽が残っている時間でした。

鹿狩りキャンプに参加して

澤野 林太郎(札幌市)

2発の銃声。のけぞる鹿。30mは続く鮮血。2体の死体。暖かい体。手でさける肉と皮。ゆげがもうもうとたつ肉塊。けいれんする筋肉。見ひらいた目。切り分けられる体。なまぬるいレバー。ミルクの味。毛皮だけの鹿。

人生の中で、これほど命をもらうということを強く感じたことはない。温度、感触、におい、味、音。体のすべての感覚がとぎすまされ、自分が森の一部になったように感じた。

武安 真規子(札幌市)

「鹿肉はとにかくおいしいよ!」の一言に後押しされての初参加となりました。

天候にも恵まれ、カンジキをはきストックを手に、わくわく気分で林間のお散歩?(追込み)。「鹿の糞だあ」、そして足跡や木の皮を食べた跡、始めて見る光景ばかり。気が付くと、横並びでスタートしたはずなのに、一人ぼっち。太陽の位置を見ながら、汗をかきかき黙々と歩いていると、突然の銃声に「ドッキリ!!」。このまま進んでも良いものかと不安な気持ちで、恐る恐る前進して行くと、やがて川辺に仕留めた鹿一頭を囲むメンバーの姿を発見。「ああ、どうしよう……」とうとうその時がやって来てしまった。

緊張しながら、目の前の解体を遠まきに見ていることしかできませんでした。鹿のやさしい顔が目に焼きついて、何とも言えない不思議な気分でした。そして、心の中で「ごめんね」と言うのが精一杯でした。

やがて夕食。調理された熱々のから揚げやカツ、焼肉にユッケ、「おいしい!!」を連発する、別人のような私が居ました。

最終日にはカムイノミがあり、並べられた鹿たちに只々感謝の気持ちで一杯になりました。そしてわだかまりも消え、清清しい気持ちになりました。

非日常的な経験をした3日間は、まるで大きなご褒美ように思われ、また元気に日常へ帰って行けそうです。来年もまた参加できたらいいなあ……。

浜本 久美子(札幌市)

映像の中でしか見た事のない鹿を、追い込むと言う。初めての参加に、胸ワクワク、ドキドキでした。

カンジキをはくのも、雪の林の中を歩くのもとても楽しく、本当にこれで良いのかと思うほどうかれていました。

でも、ドーンと一発銃声が聞こえた時は、胸にズシーンとひびき、びっくりして、しばし立ち止まってしまいました。

その後2発聞こえて、急いでたどり着いたら、ちょっと目についた光景はショックで、血が引いてしまいました。

命のありがたみをかみしめて、ゆっくり鹿の顔をながめていました。

解体途中、レバーを食べてみると、口の中に入れた瞬間ウニの様な味がして、のどの奥に残る後味は牛乳の味で、初めて味わうことが出来、いい体験でした。ありがとうございます。

その晩食べたお肉も、おいしかったです。

平島 邦生(札幌市)

まるで芸術家によるインスタレーションのようだった。

半円形を描いて、アーチ状に折り曲げられた白樺の群落、幹を二つに折って、同一方向に倒れるハンノキ。阿寒地方の大雪はニュースで聞いていたが、目の前の風景は、それが尋常ではないこと物語っている。

森の中の鹿道が、例年よりもはっきりと踏み固められているのは、ハンターの山下さんによれば、「餌不足で体力をなくした鹿が、雪の上を自由に飛び跳ねる力を失ったためだ」。体力の消耗を防ぐために皆が同じ道を歩くのだろう。鹿道には糞も大量に敷かれているが、その糞さえ固まる力がなく、ボロボロとおが屑のように崩れている。食べられるものが木の表皮しかなくなればそれも仕方がないのだろう。餓死している鹿も多い。

鹿にとっても、増えすぎた個体数が災いしているのかも知れない。先日も支笏湖畔でやせ細った鹿の群れを見たばかりだ。都心に迷い込む鹿も増えた。今はもう、それだけの鹿を受け入れられる自然のキャパシティーが無いということだ。

自然が豊かな北海道……。今回は、「それは幻想だ!」と、鹿に問われた気がする。

そんな中で、「カムイノミをしてもらった鹿は幸せだろうナ……」と考えたい自分がいて、

少しうしろめたい。……美味しい肉をありがとう。   

平田 篤史(横浜市)

タンパ アナク    オヤプ ル    クオマン    カネ   ユク    コイキ    シリ   クヌカラ 

 今年  は   間違った道に 私は行って しまい  鹿    とる   様子  見る事が

ソモキ    ネヤッカ      ヤイユーカラ     ウタラ   ユク    ポロンノ       ア ウクワ

出来な  かったけれど  ヤイユーカラの   皆が   鹿 を  たくさん    とることが出来たので

タンパ カ ユカッテ カムイ   カムイ ウタラ     ソンノ      ヤイライケ アリ 

 今年 も  鹿の  カムイ 他のカムイの皆様  本当に   ありがたい  と

クヤイヌ。

私は思います。

広田 和美(札幌市)

"命をいただく"

この言葉はとても心に響きました。生きるためには毎日何かを食べている。当たり前な行為なだけに、毎日毎食の習慣?なだけに、そのことのありがたみや感謝の気持ちを忘れていた自分に気づきました。

今回体験した鹿狩りのように、狩りをし、解体し、料理をして食べる一連の流れを目にすると、食べるときに、さっきまで生きていた鹿のことが目に浮かびます。とても不思議な感覚がしました。一片一片の肉に鹿の命が入っているようで、とても貴い感じがしました。

今の生活は、命を感じることはほとんどない世界です。いつも誰かの手で処理され、人工的な感じすら思います。

今回のような体験は、"食べる"ことを考えなおすいい機会になりました。

鹿の美しさ、筋肉のしなやかさ、解体してみてキレイと思ってしまった自分におどろきましたが、いい気づきになりました。

村上 健司(東京都)

今年は仕事の都合で初日から参加できませんでしたが、それでも参加して良かったと思います。

例年見ているとは言え、解体を再び体験することによって改めて"生きるということ"を思い知らされます。

実体のないマネーが世界中でふくらんでいき、いつ破裂してもおかしくない、そんなときだからこそ、実のある経験に意味があると思います。

追い込んだ鹿を確実にしとめてくれた山下さん、おいしい料理を準備してくれた智子さんはじめ、ヤイユーカラのスタッフの皆様、ありがとうございました。そして、素敵な贈りものをくれた北海道の自然にもまた、感謝したいと思います。

また来年も、参加したいと思います。

<なぜ始まってなぜ日本が参加しているのか、全く理解できないイラク戦争開戦1周年の日に記す>

山下 輝昭(小樽市)

前回に引き続き桜井は現われず、かなり不安になっている山下デス。

とはいえ、今年は雪がたいへん多く、シカは下の方に沢山いるようです。ちょっと、ホッとしましたね。しかし、とらなければ……。

でも、勢子の皆さん、ガンバッテくれました。午前と午後、合わせて3頭。よかったねぇ〜、皆さんのおかげです。

1ヶ月以上も銃を持っていないと、なかなかあたんないんだ、これが。早く年中撃てるようにならないかなぁと、思っている山下デス。

参加者の皆さん、ほんとにありがとね。 <ウッド 山下>

*5月は"キッチン 山下"になります。こっちも、おいしいぞー。みんな、川原に集合ね。

山下 淑子(小樽市)

今回も、JRとバスでの2日目からの参加です。

ちょっと早めに釧路駅に到着し、前々から行きたかった博物館へと向かいました。北大通を歩き、10分程で幣舞橋に。橋周辺の傾斜地に密集した住宅は、地震が起きたら全部釧路川に雪崩込みそうに見えます。出世坂を登りながら、ガイドブックで見ると平坦な道も、この辺はアップダウンの多いところなんだとわかり、春採湖は丘の上にあるかも?……と想像する私でした。

アップの時は景色がキレイに見渡せてキョロキョロ、ダウンの時は本当にこっちの方向へ歩いて行って博物館にたどり着くのか不安でキョロキョロ。相当怪しい人です。そのうち野鳥を観察できる遊歩道が見えてくると、丘の上に、タンチョウが翼を広げたイメージで建てられたという博物館が見えてきて、やっと目標Get! 春採湖にそって歩いて(湖は丘の上じゃなかった)そして登って、目的地に着いたら、今日はお休み……。

土曜日なのに、なぜ? 春採湖に氷が張ってるから、冬はお休み? 入口の戸を押したり引いたりしながら、よく考えてみたら、今日は祝日。月曜・祝日は休みだって、ガイドブックに書いてあった……。今朝、日めくりカレンダーが赤かった……。1時間も歩いたのに、自分が悪いので、とてもがっかりしました。もう帰りは歩く気になれなくて、付近の市立病院のバス停ベンチで、いつ来るんだかわからないバスをボーッと待っていたのでした。

釧路駅から阿寒行きのバスに乗ったのは、2人。途中数人お客さんが乗り降りしたけど、上徹別に近づくにつれ「○○停で降りるけど、○○前で降ろしてください」とお客さんの声掛けが。なんと、自宅近くで停まってくれるのでした。こうなると、バス停はだいたいの目安でしかなくなり、私も「だいたい上徹別」で、もう1人のお客さんと降りました。私が100Mでも200Mでも「元々上徹別」に戻るくらいはたいした事じゃないけど、こういう地元客へのサービスはずっと続いてくれたらいいと感じました。

と、いうことで、鹿狩キャンプの顔ぶれを見て、なんだか安心。

カムイノミでは、鹿の皮を雪で、本当に丁寧にキレイにしている皆さんの様子を見て、とても感動しました。私はいつも思うのですが、カムイノミの時の鹿の顔が、何事もなかったかのようにほほえんでいるように見えるし、何か、自分が自然のとても大きな魂に包まれてる感じがしてきます。何年か先に、私や皆さんの子供の家族がここに集まり、自然の魂に触れる機会が持てるように、それまでの間、自然が私達を見放さないように努力しなければと思いました。<ハンター山下の妻>

山本 倫子(今は小樽市)

山下さんがシカの解体を終え、「アイヌは山からすべてを持ち去らない」と言って、くず肉を木の枝に引っかけたのが、印象に残っています。

来年も、山がたくさんのシカを与えてくれますように。

渡邉 禮一(江別市)

今年も、皆さんに迷惑をかけず参加を終えることができました。

2日目、午前1頭午後2頭と、充分参加者が必要な恵みを確保でき、山の神々に感

謝したいと思います。

解体は殆んどお手伝いすることなく終わりましたが、製肉は若い参加者に覚えてもらうことができ、嬉しく思っております。

山の雪は例年より少し多かったようで、鹿も食糧難のせいか動きが遅かったこと、有害獣駆除が入っていないことなどで、鹿の姿がそこそこ見られましたが、大きな群はありませんでした。

又、来年も元気で参加できることを祈りつつ、阿寒と別れます。