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ヤイユーカラパーク 連載 キャンプ

VOL402002 07 25第9回鹿狩りキャンプ

1日目

例年より2週間近く早い日程での鹿狩りでした。理由は、今年はお彼岸が連休にならないこと。「ならば、少しでも早いほうが、シカ肉の脂ののりがよかろう」と考えたのですが、これはまったくの素人考えだったようです。1週間、2週間早くなったところで、厳寒期の美味いシカ肉を味わえるわけではないと、ハンター諸氏の言でした。

ともあれ私たちは、雪解けが早い北海道のまぶしいような陽射しのなかを400キロ走り抜け、上徹別福祉会館に到着しました。

今回は、全16名(厨房班も含めて)という、少数精鋭(?)の参加者です。明朝到着の5名を除いて、夕食。酒精で身を清めながら、夜が更けていきました。

2日目

早朝便で到着のメンバーを迎え、朝食後、恒例の“作戦会議”を終えて狩場へ出発。好天に恵まれ、気温も上がっていました。車で走ると、道端まで鹿の群れ(少しオーバー)です。「鹿だ!鹿だ!」の喚声。何年振りかで、我々の狩場に鹿が戻ってきたのです。

少し前に大雪が降り、山の中のえさがなくなったのでしょう、いつも追い込みをする雪原の木立の中に、点々と鹿の姿を見ることができます。「!」……期待が膨らみました。雪原の川上側から追い込み班が、ハンター山下とともに移動します。待ち伏せ班は、ハンター桜井とともに下流側の雪原に入って行きました。去年の雪よりは、カンジキ、スノーシュー、ともに歩きやすいのは何よりです。

桜井さんの後を、少人数の待ち伏せ班が進んでいくと、木立越しに鹿がちらちら見えてきます。桜井さんが止まって銃を構えるたびに、我々も足を止め、息を止め、見守ります。……どうにも、木々が邪魔になります。木に当たっての跳弾を気にして、なかなか撃つことができないようでした。

やがて、雪原を横断した私たちは、川にぶつかりました。「!!!」対岸の小山の稜線に、20頭ほどの鹿が一列に並んでいます。私たちを見ながら、動こうともしない鹿の群れ。

ムムム……! 鹿に馬鹿にされている……!

悔しがっている私の耳に、轟音一発。射的屋の的のように並んでいた中の一頭が倒れました。「頭にきた」と桜井さん。ハンターを馬鹿にすると怖いということを、思い知ったか!?

しかし、例年ならば何ヶ所か渡れる場所がある川が、今年は水かさが多く勢いも激しくて、渡河できる場所がありません。「参ったなァー」、「こりゃあ、駄目か……」と言っているうちに、渡辺さんが「折角倒したんだから、行って、運んでくる」と、下流に向かって歩き出しました。下まで行けば向こう岸に渡れるからと……。

残ったメンバーは、“待ち”に入ります。明るい日差しのなか、上流側の雪原の木立を透かしてウオッチすることしばし……。やって来ました! 我々の待機場所から50m〜100mの辺りで、上流から来た鹿たちが川を渡って対岸へ向かって行きます。桜井さんの後方で息を止めて凝視する私たち……。「ドキューン!」……一瞬宙に跳ね上がり、落下して脚を震わせる鹿の姿を、はっきり見届けることができました。

駆け寄る――スノーシューとカンジキ履きですから、あくまでもこれは言葉のあやです――私たちの前には、首の付け根に被弾した小型の牝鹿が横たわっていました。上流で一発の銃声。「山ちゃんも倒したか?」………あとで聞くとこれは勢子弾で、下流に鹿を追ったものだということでした。木立の中を逃げる鹿が見えると、桜井さん。「国道方向だから、危なくて撃てないな」と見送ったようです。

やがて合流してきた“追い込み班”と一緒に、解体にかかります。2〜3歳と思われる牝鹿は、可哀そうなくらい痩せこけており、深刻な食糧不足を実感させました。それでも胎児を抱えているのですから、その生命力には感嘆させられます。

初めてのメンバーも交代しながら、30分程で解体終了。温かいレバーの試食もしました。「肉を手分けして運びましょう……」という時になって、「渡辺さんは?」。

すっかり忘れていた渡辺さんの姿を、対岸に探しました。「あ! いた!」……対岸の小山の中腹を降りてくる姿が……「鹿を引っ張ってるよ!」……確かに、それは尾根で倒れた鹿にロープをかけて引いてくる、渡辺さんの雄姿でした。山下さんが、川に架かった倒木を渡って対岸へ。我々が見守るなか、やがて鹿を引いた二人が対岸に辿りつきました。大きな鹿です。「並んだなかで、一番でかいやつを狙ったんだ」と桜井さん。確かに……。

長いロープをこっちへ渡し、川に落とした鹿を引っ張りあげることにします。早い流れに逆らって6〜7人で引っ張り、無事に鹿は引き上げられました。氷で覆われた細い倒木を渡って、山下さんが戻ってきます。続いて渡辺さんが……。「!!」……滑って川のなかへ! 川幅は狭いとはいえ、腰上までの急流です。流されながらも、なんとか無事に岸に上りついた渡辺さんに、一同「ホッ!」としました。

濡れねずみの渡辺さんを会館へ送る間に2頭目の解体をすませることにして、車で往復して戻ると、ちょうど作業が終わっていました。「腹が減ったぁー」。会館へ戻り昼食です。


午後、再度の追い込み猟に大半のメンバーが出かけます。私は午前中の“歩き”に疲れ、残った渡辺さん、厨房班の上野さんとともに製肉作業。2頭の鹿肉から骨を外し、ブロックに切り分けます。今夜の料理用の肉も用意しました。やがて夕暮れが迫る頃、ハンティング班が戻ってきました。「撃つには到らなかった」と、猟果はなし。

遅く到着した淑子さんが加わり、夕食はいつもの賑わいでした。“一口カツ”という新メニューや、定番・山下製ユッケや塩焼きタン、レバーと心臓の刺身……鹿づくしです。山本栄子さんからの差し入れ、“十勝風ラタスケプ”も好評でした。

そして、この1年で上達した村上さんの三線を楽しみ、心地良い疲労感に沁みていくアルコールを楽しみながら、夜が更けていきました。

3日目

相変わらず、好天。最後のハンティングに「行こう!」とがんばる人もいなかったので、全員で鹿肉をそれぞれ持ち帰れるように切り分け。その後、カムイノミのために前日の雪原へ出かけました。

日が照って風もない絶好のコンディションのなか、山下さんを祭司に、カムイノミが行なわれました。上座に安置された2頭の鹿の顔が、心なしか幸せそうに映り、私たちの心もゆったりと和んだのです。

会館に戻って昼食の後、会館を掃除して、それぞれが帰途につきました。猟果は2頭と少なかったけれど、今回の参加者にとっては充分な肉の量でした。皆さん、お疲れ様でした、そして、また来春に……!


追記:一度釧路市内に出て博物館を見てから、阿寒湖温泉へ向かう事務局車が湖畔近くまで来たとき、前の車が突然ハンドルを右に切って何かを避けました。「ア!」……わが車も同様に急ハンドル。小鹿が目の前の道路に倒れ、脚をばたばたさせていたのです。切通しの上から滑り落ちて頭でも打ったのでしょうか。

前日狩場の近くの国道で、鹿にぶつかって大破した車も見ました。それ程たくさんの鹿たちが、国道近辺に群れている春の阿寒でした。

追記2:鹿狩りキャンプの度に話題になり、「その内にやろう」と話していた「穴熊狩り」を、ウタリ協会旭川支部が道に申請し、許可が出て、4月〜5月にかけて実施するという新聞記事が出ました。首尾よく仕留めて、カムイ・ホプニレ(山の神を送る)が行なわれることを祈ります。これも、私たちが鹿狩りを続けてきたことの成果だと思います。

鹿狩りキャンプ感想文

生駒 薫(釧路市)

鹿狩りには、はじめて参加しました。

雪のうえを歩いたり、川を渡ったり、とても楽しかったです。

鹿が獲れた時(午前中)に、参加できなかったのは、残念でした。

山を歩く途中、キハダという木の名前を教えて頂いたり、うさぎの赤いオシッコを見たり、フンをひろったりしました。

カムイノミを、はじめて、みました。

鹿が、煙と一緒に、空へ昇っていく気がしました。

鹿肉、美味しかったです。どうもありがとうございました。

栗原 哲(札幌市)

3/8〜10、はじめてシカ狩りキャンプに参加した。

こういう事をやっているという事は以前から知っていて、一度参加してみたいと思っていたら、たまたま新聞にヤイユーカラの森の講座の紹介が小さく出ていて、さっそく問合わせた次第だ。

最近は少し足が遠のいたが、道東にに足繁く通った時期があったり、毎年夏場は山に登っていることもあって、エゾシカの姿や痕跡(足痕、食痕、フン、落角、死体等)を見ること自体はさほど物珍しくはない。

実は、98年から00年にかけて「エゾシカの会」(正式名は「動物の権利を考える会」)で、毎月いろいろな人(シカ笛の研究者、生態の研究者、狩猟者、アイヌの人、写真家などなど)の話を聞いたり、道庁の人とやりとりし、道の「保護管理計画」について公開質問状を3回出し、その都度膨大な回答をもらったりしていた。(このやりとりは、環境サポートセンターの会のファイルに入っている。最後は道側から、ではどうしたらいいか提案を出してほしいというところまでいった。)

又、2月には今回のシカ狩りをやったすぐ北で釧路の人たちが、ワシたちがどのくらい鉛に汚染されているか調べるため、生けどりにしようとしている現場があり、前田一歩園の自然セミナーで見学に来た。シカ肉で誘っているのだがさっぱり捕まらないとボヤいていた。「自然保護」といっても、何でも反対というのではなく、このように具体的な事で地道に活動している人たちが実は大部分であることを、ぜひ知ってもらいたい。

つまり、今までは実際にエゾシカに触れるということ以外の所でのかかわりだったわけだ。

ヒグマに関しても、ここ10年余、「ヒグマの会」という会で、各地の研究者、狩猟者、農業者の話を聞いたり、畑の被害を見たり、山に登った時には痕跡を見たり、姿を見たりしてきた。せっかく北海道にいるのだから野生動物のことをよく知り、あるがままの姿で見たいと思っているからなのだが。

今回のように狩猟の場に立合い、解体をやらせてもらえるというのは、めったにない機会であった。

ライフル銃を持たせてもらったが、さすがに重い。この銃を自在に扱うのは、なかなか大変だなという感じがした。しかし、勢子の側に入っていた時、すぐ側で山下さんが「勢子弾」を撃った時、不意討ちだったので驚いたが、思ったほどすごい音ではなかった。

解体は、撃ってすぐだったのでおもしろかった。

1頭目はまだ若い小さい♀だったが、解体していくと、手の平にのるくらいの胎児が入っていた。ドレスのように皮をはぐと、体の各部の筋肉がよくわかるようになった。何せはじめて見るので、興味津々であった。

2頭目は、対岸のものを撃ったので、こちら岸に上げるのが大変だったが、こちらはかなり大きな♀だった。解体してみると、やはり胎児が入っていた。親の大きさは大分違ったが、胎児はほぼ同じ大きさだった。

宿に戻って焼いたり、揚げたりしてシカ肉を食べたが、なかなかうまかった。やはり、撃ってすぐに肉をきちんと処理するとうまいということが実感できた。

道の「保護管理計画」では、農林業被害を減らすために、防護柵を延々とめぐらし、とにかくどんどん殺してもらって(ハンターに)数を減らせということが中心で、野生動物を殺すことの意味を考えたり、殺したらその命をいただく〜できるだけ有効に食べ、又毛皮、骨などを活用する〜という視点が欠けていると思う。

「自然保護の人たち」も、狩猟や頭数管理自体を否定する人はほとんどいないはずだ。できればいろいろな考え方の人たちが参加してくれるといいと思う。山下さん、桜井さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。ヘビースモーカーが多くて閉口しましたが。シカ肉も酒も煙草もセックスも、多すぎるとさまざまなあつれきを生むものです。

長岡 伸一(札幌市)

今年の鹿肉料理を、さらにおいしくした、智子さんの手料理の数々に、まず感謝。

それから、阿寒湖畔の山本栄子さんからの特別の差し入れのラタシケプは、大なべ一杯のキビたっぷりの十勝風。おふくろの味でした。

また、淑子先生の新メニュー「鹿肉カツ」は、生のレバーやハツを食べすぎた胃にやさしい、ヘルシーな味。平田さんが、油であげながら、鹿肉カツだからユクカツだと名づけて、「ユクカツ、ユクカツ」と口ずさんでいるうちに、「ユクカツロマンポルノ」と口をすべらせた。

いつもひとこと多い僕も調子にのって、「ああ、このピンク色の肉ひだが……」とあえぎ声をあげたら、智子さんにしっかり聞かれてしまい、人間性を疑われました

西野 猛生(京都市)

鹿狩りキャンプの話は以前から聞いており、機会があれば何時か参加したいと常々思っていた。今回全日程の参加ができ、また昨年五月の山菜採りキャンプで知り合った人との再会もできて本当に良かった。

私にとっては、北海道の冬は初めての経験であり、防寒具に身を固め、カンジキをこれまた履いて、積雪の上を鹿を求めて歩く。何かわくわくさせるものを感じ、これでやっと念願が叶った。カンジキの履き方も充分に体得しておらず、時々外れて締め直さなければならなかったが、一日目が終わる頃には、大分上手になっていたように思う。新鮮な経験の良さを味わった。

農林学校時代に、山に網を張って兎の追い込み猟をしたことがあるが、鹿のような大きな動物の追い込み猟は初めて。第一日目の午前中の追い込み猟では、雪上歩行に自信がないので、待ち伏せ班に入る。数日前の降雪のために食料がなくなったのか、あちこちの樹皮が新しく剥がされており、鹿の気配を感じる。国道から阿寒川に向かって進み、先ず川向こうの山に逃げる鹿を桜井さんが仕留められた。続いて、山下さんが空砲を撃って、追い込みを継続。川岸に近づいて来た鹿の喉元を狙い、再び桜井さんが仕留められた。幸いなことに、丁度その鹿を双眼鏡で覗いており、しかも近距離だったので、しっかり観察できた。初参加で、地形を考えた基本通りの追い込み猟を具体的に体験できたことは、本当に幸せという以外に言葉がない。

仕留められたばかりの鹿の解体が始まる。先ず、喉元から尻に向けて、乳房を避けながら皮を剥ぐ。「着物を脱がせる」と言うのだそうだが、そう言われてみれば、そのように見えて来る。肉は水に触れると味が落ちるので、積雪の上ではなく、鹿皮の上で解体が進められた。ロースや肝臓・心臓、そして後ろ足のもも肉、舌などを取り出す。雄鹿は大体山中におり、麓に下りて来るのはほとんど雌鹿だそうだ。胎児の栄養補給のためだろう。子宮からは胎児も出て来た。

手際よく解体作業は進み、短時間で終了。解体作業の作法と仕種は、何か芸術的な趣を感じさせる。永年、人類が積み重ねて来た営みがその中に深く籠もっているような、厳かな気持ちを抱かせる。それはハンター同士の信頼関係や勢子とハンターとの呼吸などにも通じるものを感じた。久しぶりに不思議な感動を覚える素晴らしい出来事に出合える機会を与えてもらった。と同時に、これが翌日のカムイノミに自然につながっているのだろうと納得した。

頭部の付いた鹿皮は、カムイノミのために肉と一緒に持ち帰るが、他の内臓や肉の付着した骨などは、山に棲む動物や鳥たちのために、雪の上に置いたり、雪の中に埋めたり、また木に引っ掛けたりして残しておくのだそうだ。人間だけがこの世界に生きているように思わせる社会の中にあって、動物も植物も、空気も水も、みんな互いに支え合いながら生きているのだと、体験を通して教えてもらったことも併せて感謝したいと思う。

計良さんをはじめ、皆さん、ありがとうございました。 

八谷 智子(札幌市)

初めて参加してみました。

鹿の解体、楽しかった。

皮がかんたんにはげるのに、びっくりしました。

自分で手をかけたお肉は、とてもおいしかったです。

おいしいものをいっぱい食べれて、外で思い切り遊べて、とにかく楽しかったので、また来年も参加したいです。

そして……いつか、熊の解体もしてみたいです。

最後に、おいしいごはんをたくさん作ってくれた方々に、お礼を申しあげます。ありがとうございました。

平田 篤史(横浜市)

今年は、1泊2日の参加でしたが、シカからたくさんの肉と着物をいただくことができました。

ユカッテ カムィ タンパカ ソンノ イヤイライケレー

(鹿まく神様 今年も 本当にありがとうございました)

村上 健司(千葉県柏市)

今回で6年連続、6回目の参加となりました。毎回、突然休みが取れることになったり、なぜか不思議と参加できているのも、何かの縁なのかと思います。

今年も無事2頭を獲ることができて、レバ刺、ハツ刺を食べることができて、本当に満足です。解体も毎年見ているのに、また新たな発見があり、新鮮な驚きもありました。

狩りの場所も例年どおりでしたが、初めて、追い込んでの捕獲となったことも感動しました。鹿の姿も数多く見られ、自ら追い込んでいるという実感が持てたのも幸いでした。

普段、毎日、大きな額のお金を扱っていて思うのは、「お金」というものについての、「この国」の行方です。このまま行けば、残念ながらマネーの暴走はさけられず、日本では今の様な豊かな(?)生活はできなくなるでしょう。

それが良いのか悪いのか私には分かりませんが、そんな時代に役に立つのは、きっと、人と人とのつながりであったり、鹿狩りで学べる知識やものの考え方でしかないと、強く思います。

でも、スキーよりスノーシューの方が良かったかなー。三線も、もっと練習します。

毎年のことですが、大変お世話になりました。ありがとうございました。また来年も参加したいと思います。

渡邊 禮一(江別市)

2月の降雪で深雪を心配していたが、思った程足許も悪くなく、3日間好天に恵まれ、楽しい時を過せた。阿寒の山々に感謝! 感謝でイヤイライケレ!

さて、今年の課題の骨抜き・整肉の勉強も、仕上げの段階をクリアし、これからは若い人達に伝えることができるかなと思っています。

また、ハプニングとして、3月の水浴を生れて初めて体験!

平衡感覚の衰えを感じ、年齢(とし)を改めて実感しました。本当に、年寄りの冷や水でした。

お世話下さいました計良夫妻、上野さん、ハンターの山下・桜井の両氏にお礼を述べ、阿寒を後にします。