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ヤイユーカラパーク 事務局点描

VOL402002 04 09

  • 葛野エカシの訃報を知ったのは3月27日で、お通夜・葬儀は30・31日ということでした。29日から31日まで予定が決まっており、二人とも身動きができないので、28日に弔問に伺いました。穏やかで美しいエカシの表情を見て安心し、心が晴れやかになりました。神の国へ旅立ったエカシを実感できたのでした。  

  • 手仕事のすべてを片付け、“お迎え”を待ってあの世へ逝ったステノ・フチといい、葛野エカシといい、ほんとうに人の在り様、生き様を教えてくれる生き方であり、逝き方でした。私たちにこんな生き方、死に方ができるのでしょうか……。

  • 今回のブラジル行きは、’99年冬にアユトンとともにやって来た日系二世、エリザ・大塚さんの力によります。昨年秋、彼女からの電話は、「私も手伝っているNGOが毎年4月頃にやっている先住民の文化祭に、参加できるアイヌのグループがあるか?」というものでした。「あるよ」と答えたところから、すべてがはじまりました。

  • 彼女から送られてきた資料・ビデオによって、それはIDETI(インディアン伝統文化開発協会)という組織で、これまでに2回(2年)、ブラジル先住民の諸グループの伝統舞踊などをサンパウロ、リオデジャネイロという大都市で公開する活動をしていることがわかりました。さっそく阿寒湖の秋辺日出男さんに「ユーカラ座はブラジルでの公演が可能だろうか?」と打診、「費用さえみてくれれば、行けます」との回答を得ました。そう、渡航費の捻出が最大の難問でした。

  • ブラジルからは正式な招待状と、“国際交流基金”に助成金を出させてくださいという手紙。あちこち当たってみましたが、資金援助の可能性はなく、国際交流基金も新年度の助成計画ができるのは3月末なので、間に合わないだろうという担当者の言でした。なにせ、現地では可否の結論を12月中に必要というのです。これは、今回は駄目か……と、その旨をエリザには伝えて年が明けました。「今回は駄目でも、計良さんだけは見に来てヨ!」「わかった、行くよ」と。

  • ところが、1月も半ばになろうとする頃、「やっぱりアイヌを入れて、プログラムもそれで作るから、何とか来てね」の電話。「金はどうするんだ?」「なんとかこっちで用意するから」「大丈夫か?」「がんばるから……」……ムムム、です。

  • 進行状況(?)を阿寒に伝えたところ、「航空券が手元に来るまで、行けるかどうかの結論はでないよ」「わかった」「もし駄目でも、計良さんだけは行って、様子を見てきてネ」……エリザと同じことを言う。「そうするよ」と、単身でのブラジル行きを覚悟していました。 

  • 2月末、「航空券を送るから、アイヌ・グループの労働ビザを申請してネ」の電話。「えー!」「彼らにはギャラが出て、それも含めて飛行機代にするけど、観光ビザじゃなく労働ビザが要るの」「…!」「いよいよヨー、がんばって準備してねー!」「……はい」「それと、一緒に航空券は送るけど、計良さんの分は後でもらうからネ」「わかった……」。 

  • ということで始まった“準備”作業。いやはや、色々なことがあるもんです。それらについては、帰国後の報告のなかででも……。心配していた労働ビザは出発前日に手元に来ることになり――なぜか私の観光ビザが当日成田での受け取りになりましたが――とにかく出発は出来そうです。あとは、このニュースと次回刺繍講習会の案内と春のキャンプの案内と……。大丈夫かな?

  • 2週間後に帰国したら、政局はどうなっているのか? まさか、内閣がなくなっているなんてことにはなるまいが……。