233.液化-Liquefaction-
1991年1月1日(火)PM:16:16 手稲区二十四軒手稲通

 雪が降り始めた寒空。
 その中を歩く二人。
 古川 美咲(フルカワ ミサキ)と三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。
 空も大地も白一色で覆われている。
 その中を進む。
 どちらも浮かない顔をしていた。

「三件目か」

 空のように、どんよりとした声。
 無意識に呟いた義彦。

「目撃者もなし。襲撃者の情報が何も無いってのは参ったな」

「そうだな」

「警備カメラの僅かな映像から、最低でも二人なのは間違いないが」

「人相がわからないと探しようがないな」

「あぁ」

 二人の足取りも心無し重い。

「それで、稲済さんが泊めてくれるのは有難いが。元旦真っ最中ってのはどうなんだよ?」

「別にこっちから提案したわけじゃないぞ。態々札に直通で連絡してきたんだ。緊急連絡用のにな。まったく、禮愛らしくもない。私からお前に連絡させようとしてたんだろうけどな。これからお前と会って手稲に向かうって事を話しただけだ」

「確かに生真面目な禮愛さんらしくないな」

「たぶんだが黒恋と禮那ちゃんが、お前に逢いたいがってたんじゃないのか?」

「いやまさか? 禮那ちゃんとは数えるぐらいしか会った事ないし、黒恋は会えば文句言ってくるだけだぞ?」

「だからお前は乙女心がわかってないんだよ」

「え? いや、何言ってるんだ?」

 唐突に乙女心と言われた義彦。
 正直よくわからない。

「黒恋の黒いフリルまみれのドレスは、かわいいとは思うけどさ。もっと他にもいろいろな服を着てみてもいいと思うんだよな」

「まぁ、気持ちはわからんでもないけど。それが彼女の趣味なんだろうさ? でもそのうち禮那ちゃんが色々な服を着せるようになるんじゃないか?」

 雪に覆われた道を歩く。
 角を曲がった二人。
 遠くに見えるコンクリートの壁。
 その壁の一部が消失していた。

「何だ? 行くぞ」

「あぁ」

   走って消失した壁に向かう古川と義彦。
 辿り着いた壁は、溶解したように見える。
 何気に玄関の表札を見た義彦。
 そこには稲済と記載されていた。

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1991年1月1日(火)PM:16:17 手稲区手稲駅前通

 雪が降り始めた寒空の中を歩く二人。
 狐色のダッフルコートの少年。
 隣の少女は、少し暗めの柑子色のピーコートだ。
 手袋にマフラーも装備している。

「小父(オジ)さんと小母(オバ)さんは、今年も仕事で来れないんだよね?」

「うん、毎年の事だけど。お祖父(ジイ)ちゃんとお祖母(バア)ちゃんは残念がるんだろうな」

 少し淋しそうな顔になる少女。

「しょうがないよ。いつも忙しそうだし」

「うん、そうだね」

「それにさ。毎年俺達が来るのを楽しみにしてるんだし。そんな顔してたら心配しちゃうよ?」

 そう言いながら、少女の手を握った少年。

「僕もそんな顔みたくないし」

 少しだけ照れながら、少年はそう言葉にした。
 淋しそうな少女も少し微笑んだ。

「ありがと。それと後免ね」

「ん? 何で謝ってるの? 別に僕は何もしてないし。思ったことを口にしただけだよ」

「うん、わかってる。だからこそ、ありがとと後免ね。私は両親も――」

 その先は、言う事ができなかった。
 少年が少女の口に指を当てたのだ。
 その為に、少女は噤んでしまった。

「それはいいっこなし。確かに僕は、両親の顔どころか記憶すらない。だけど、そんな事は気にする必要はないよ。僕だって毎年遊びに行くのは楽しみなんだし。血の繋がりはないけど、家族みたいに思ってくれて、接してくれて感謝してるんだからさ」

「うん」

「さ、ついたよ。確かここだよね?」

「え? あ、うん」

「そんな暗い顔してたら駄目だよ?」

「うん、そうだよね。わかってる」

「お婆ちゃんは先に来て待ってるんだよね?」

「うん、そのはずだけど」

「元旦に態々知り合いのプロに頼むなんて凄いな。僕も顔だけ出すか。ほら、にっこり笑って」

 少年の微笑みに釣られた少女。
 彼女も、徐々に笑顔になっていった。

「うん、その笑顔。やっぱ笑っている方がいいと思うよ」

 少年に言われた少女は、耳まで真っ赤になる。

「それじゃ、二時間後に迎えに来ればいいんだよね?」

「うん」

「それじゃ、二時間後にね」

 その後、少年に促された少女。
 二人で中に入っていく。
 しばらくして、少年だけが一人出てきた。

「さて、僕も時間までお爺ちゃんの手伝いでもしてくるか」

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1991年1月1日(火)PM:16:23 手稲区稲済邸一階

「これは・・・」

 液化したらしい壁。
 そこから敷地内、更には居間に土足で入った二人。
 古川と義彦は驚愕の表情になっている。
 目に入った光景に絶句していた。
 しかし、直ぐに倒れている二人に駆け寄る。

 一人は体の表面が溶け始めている。
 一見して誰かわからない。
 だが辛うじて稲済 佑一(イナズミ ユウイチ)だと理解。
 古川はそう判断した。

 体に針の様な貫通傷がいくつも見られる。
 側に落ちている刀にも同様の傷が見られた。
 更に貫通傷が液化しはじめている。

 何とかしたいが迂闊に触れる事も出来ない。
 そこで佑一が呼吸をしていない事に気付いた。
 歯を噛み締める古川。
 怒りと悲しみに打ち震える。

 少し離れたところにいる稲済 禮愛(イナズミ レア)。
 左手の肘の近くと、左足の膝。
 そこから溶け始めているのが判断出来た。
 彼女は痛みに呻いている。
 それでも、義彦と古川の存在に気付いた。

「み・美咲によしひ・・こ君、む・むすめとこ・こくれんちゃんを・・」

「禮愛、しゃべるな」

 言葉が震える古川。
 思い出したかのように電話に駆け寄る。
 受話器を取り、百十九番にコールした。

 徐々に液化していく二人。
 見ている義彦。
 どうしていいかわからない。
 ある程度の、手当ての方法は教えてもらっている。
 だがその中に、溶けた場合の対処方法。
 そんなものはなかったのだ。

 突然轟く轟音。
 かすかに開いていた扉。
 急いで廊下に出た義彦。

 稲済 禮那(イナズミ レナ)と陸霊刀 黒恋(リクレイトウ コクレン)。
 二人を抱えている男。
 玄関で片足を上げている。

 その側にやにやしている男。
 義彦を見ている。
 玄関の扉が、周囲の壁もろとも砕け散っている。
 状況から見て、蹴り破ったと推測した義彦。

 数十個の水の鎗のようなもの。
 にやいやしている男が掲げた手から放たれる。
 義彦は、居間に飛び込むように戻った。
 扉や壁を貫通し、溶かし始める。
 その光景に義彦はゾッとした。
 だが、即座に怒りが湧き上がって来る。

「義彦、禮愛が呼んでいる」

 彼女の側で座り込んでいる古川。
 禮愛の右手を握っていた。

「犯人がまだいたんだろうが、先にこっちだ。黒恋の生死にも関わりかねない」

 古川の言葉に、追撃を渋々諦める。
 義彦は、禮愛の側に近づいた。

「命に関わるとはなんだ?」

「これから禮愛と黒恋の契約を一時的にお前に引き継ぐ」

「はっ? 何言ってるんだ? そんな事より追跡しないと」

「焦る気持ちはわかる。私だって友人家族をこんな目に合わせられて、腸が煮えくり返りそうなんだ!!」

 見たことの無い怒りの形相の古川。
 彼女を見た義彦も、その怒りを感じ取る。
 取り敢えずは、表面上は怒りを沈静化させた。

「ちっ。わかった。でどうゆう事だ?」

「黒恋が何なのかは知っているな?」

「あぁ、もちろん」

「禮愛は、彼女に普通の女の子として生きて欲しかった。だから契約とは言っても、最低限生活に必要な霊力の提供しかしてない。そうゆう契約を禮愛が望んだからな。そして黒恋もそれを受け入れた」

「それが生死とどう関わる?」

 古川の言わんとしている事。
 義彦には、それがわからない。
 話しの終点がわからず、疑問に眉を潜める。

「もし黒恋が、禮愛の補助も無しに戦えば、そう長くは持たずに消失する。だから同じ闇属性を持ち、かつ禮愛以上のお前に黒恋との契約を譲渡するんだ」

「よ・よしひ・こ・・君、お・お願い・・わ・私達の二人のむ・むすめを・・たす・・」

 義彦には最後、何と言ったかは聞こえなかった。
 しかし、何を言おうとしたかはわかる。
 禮愛の側に屈んだ義彦。

 古川から手を離した彼女の右手を両手で握った。
 一瞬黒光した二人の手。
 禮愛から義彦に、契約が受け継がれた光だった。