267.依頼-Reliance-
1991年7月14日(日)PM:15:44 中央区精霊学園札幌校時計塔五階

「突然呼び出して済まないな」

 左手を吊るしている古川 美咲(フルカワ ミサキ)。
 彼女はソファーに座っている。
 対面に座っているのは一人の少女。
 テーブルにはコーヒーカップが二つ置かれていた。

「いいえ、こちらもお伺いしたい事がありましたので」

 少しだけ声が震えているアティナ・カレン・アティスナ。

「本当はもっと早く話しをしておきたかったんだけどな。先程やっとシルヴァーニ・オレーシャ・ダイェフと連絡が取れた。彼の意見を一応確認した上で、君に話そうかと思っていた」

「そうですか。おそらく兄の事なのでしょうね」

 少しだけ、悲しそうな表情になるアティナ。

「そうだな。何があったのかは知っているのかな?」

 彼女は俯いたまま唇を噛んだ。

「目撃していた方々からお話しを伺いましたので」

「そうか。おそらく概ね聞いた通りではあるが、君の兄、ヴラド・エレニ・アティスナが暴れたのだ」

「三井さんと銀斉さんに襲い掛かったんですよね」

 アティナの膝を握る手に思わず力がはいる。

「そこまで知っていたのか。その通りだ。幸い負傷者はなく、むしろヴラドの方が重症ではあったがな。あぁ、ヴラドに命の別状はないから、そこだけは安心してくれ」

「そうですか」

「ヴラドは、女性蔑視人間軽視の傾向は確かにあった。だがいくら吹雪に恋慕していたとしても、白昼堂々と襲いかかるような馬鹿だとも思えない」

「私もそう思ってました。でも違ったのかもしれませんね」

 ぎゅっと瞼を一瞬閉じたアティナ。
 俯いていた顔を上げる。
 古川と視線を合わせた。

「シルヴァーニさんは何とおっしゃってましたか?」

「その前に聞きたい事がある。二人は吸血処女と聞いたが間違いないか?」

「はい。生物に歯を突きたてて啜った事はありません」

「そうか。もしかしたら血を直接生物から吸血した事により、理性を本能が上回ったんじゃないか? と言っていた」

 視線を逸らさずに、じっとアティナは見ている。

「私はただの人間だからな。吸血による快楽や悦楽がどんなものなのかは知らない。だが、シルヴァーニ曰く、強靭な精神力がなければ抗えないらしいからな」

「はい、私もそう聞いています」

 ほんの少し間を開けて答えたアティナ。

「それに、実際に吸血されたと思しき事件が起きている。本来は口外していい事ではないがな。事件発生は推定だが七月八日の月曜日二十二時から翌九日火曜日の六時の間だそうだ。時間的に授業終了後行ける事は行ける。だが、学園の監視網を確認した限りでは、ヴラドが外出した痕跡は認められなかった」

 アティナは驚きの表情のまま口を開いた。

「兄は少なくともその事件には無関係という事ですか?」

「本人が何も話さないので、確証はない。だが状況証拠的には無関係の可能性が高い。もちろん何らかの方法で監視網を誤魔化した可能性も有り得るが、ここの監視網のシステムを完全に把握している人間は極限られる。ヴラドが知り得る可能性は非常に低いと言わざるを得ない」

「はい」

「だがもし、事件を起こした犯人と何処かで、偶然にせよ必然にせよ接触したとしたら? 接触した上で吸血についての知識を得て、してしまったとすれば? もちろん、根拠も証拠も何もない。状況とシルヴァーニの話しを総合して考えれば、一応辻褄は合うってだけだな」

 古川の話しを真面目に聞いていたアティナ。
 彼女は何故古川が、自分にこの話しを聞かせたのか。
 様々な可能性を考えている。
 しかし、その理由が思いつかない。

「私に聞かせて良かったのですか?」

「構わないさ。その上で頼みたい事がある。無理強いはしないが、ヴラドが何を思って義彦と吹雪に襲い掛かったのか、吸血衝動によるものなのかどうかを聞いて欲しい」

 思案顔を浮かべているアティナ。
 しばらく考えるも、決断出来ない。

「少し考えさせて貰ってもよろしいでしょうか?」

「わかった。どうするか決心がついたら、教えてくれ」

「はい、わかりました」

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1991年7月14日(日)PM:15:57 中央区精霊学園札幌校第一学生寮男子棟四階四○一号

 ベッドに寝転がっている桐原 悠斗(キリハラ ユウト)。
 疲労困憊の体を休めている。
 浅い眠りに陥りつつある彼。
 扉が開かれる音でうっすらと瞼を開けた。

 彼の瞳には、歩いて来る少年。
 雪乃下 嚇(ユキノシタ カク)が映り始めた。
 手には何か紙袋を持っている。

「おかえりー」

「あ、起きてたんですね。ただいまです。おみやげ買って来ましたけど、明日以降の方が良さそうですね。お疲れのようですし」

「何があったかは知ってるの?」

 寝転がったまま、嚇に問う悠斗。
 視線だけを嚇に向けている。

「正面入口で、山茶花先生が説明してくれました」

「山茶花? 誰だっけ?」

「高等部の先生だそうです。自己紹介の上で説明してくれましたので。先生一人では厳しいようで、銀斉さんとかも説明に協力しているみたいですね」

「へぇ? 意識を失っている義彦のところに行きそうなもんだけど、意外だな」

「そうですね。少しだけ悲壮な瞳はしていたので、本当は行きたいのかもしれませんが」

 紙袋から中身を取り出した嚇。
 そのまま冷蔵庫に入れた。

「簡単にしか何が起きたかは聞いてませんけど、凄まじいですね。あっちこっち崩れてたり、大きな植物が散乱してたり」

「うん、そうだね。正直何度か本気でやばかった。もっと強くならないと駄目だなぁ」

 戒めるような悠斗の言葉。

「きっと、僕なんかじゃ、何も出来なかったんだろうな」

 独り言のように呟いた嚇。

「そんな事もないと思うけど? うーん、やっぱり体がだるい。寝るね」

「おやすみなさい」

 嚇の言葉を聞いた悠斗。
 まどろみの中に沈んでいった。

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1991年7月14日(日)PM:16:37 中央区精霊学園札幌校第四学生寮女子棟四階四○二号

 ベッドに腰掛けているエレアノーラ・ティッタリントン。
 立ち上がろうとしていた。
 彼女を押し留めているのは、朝霧 紗那(アサギリ サナ)。

「駄目ですよ。おとなしく休んでて下さいね」

 少し厳しい眼差しを向ける紗那。

「アイラさん、クラリッサさんにも頼まれてるんですから」

「だが、皆が事後処理を行っている中、私だけ寝ているわけには」

「駄目です。怪我人って自覚持って下さいね。肋骨が肺とかに刺さらなくて良かったと思って下さい」

 駄々っ子に言い聞かせるような口調だ。

「私は兄達と研究所の方で処理に追われてました。兄や兄の友人達が協力してくれたのと、植物の化け物が相手だったので、負傷する事はありませんでしたけど、エレアノーラさん達は違ったんです。もしまた襲撃された時に、無理して動いて完治してなかったらどうするんですか? それだけでエレアノーラさんの戦力半減じゃないんですか?」

 彼女の厳しい指摘。
 ぐうの音も出ないエレアノーラ。
 襲撃された当日。
 紗那は襲われる事を前提に話しをしている。
 その為違和感を感じる事が出来ない。
 エレアノーラはおとなしくベッドに寝転がった。

「素直でよろしいです。何か必要なら言って下さいね。後夕飯当番ですけど、怪我人を台所に立たせるわけにもいかないので、完治するまでは私がやります。文句はありませんね?」

 紗那にシーツを掛けられたエレアノーラ。
 強い眼差しで見られている。
 その為、何も言う事が出来ない。

 専用の鞘に入れられているサンクトゥムグライ。
 近くに立て掛けられている。
 まるで失笑しているかのようにきらりと輝いた。