079.匿名-Anonymous-
1991年6月4日(火)PM:21:32 中央区環状通

 スーツ姿の男が運転する一台の車。
 助手席には、スポーツ刈りに眼鏡をかけている少年が座っている。

 環状通を走っている車。
 目的の場所より、少し離れた駐車場にはいっていく。
 引かれている白いラインにそって、車は綺麗に駐車された。
 怪訝な顔の少年が、運転席のスーツ姿の男に問いかける。

「何でわざわざ別の駐車場に?」

「念の為さ、念の為。ナンバーでも控えられて通報されたら、後々で面倒な事になるからな」

「なるほど」

 納得した三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。
 車を降り歩き始める。
 運転席の男、三井 龍人(ミツイ タツヒト)も車のキーをはずした。
 車を降りた上で、ロックした事を何度も確認する。

 義彦を追いかけた龍人。
 数分後には目的の場所に到着した。
 そこは、桐原 悠斗(キリハラ ユウト)と義彦が出会ったマンション。

「義彦、どうだ?」

 主語のない龍人の問いかけ。
 意味は通じているようだ。
 義彦は疑問を差し挟む事無く答える。

「今の所は誰かがいるような気配は感じないな」

 二人は同じウインドエレメンターだ。
 と言っても能力には、得意な分野と不得意な分野が存在する。

 ウインドエレメンターとして見た二人。
 純粋な一点への破壊力ならば龍人の方が上。
 しかし、周囲の風の流れを感知するのは、義彦の方が得意だ。
 龍人よりも広範囲を、把握出来る。

 二人の目の前にあるマンション。
 人が住まなくなって、かなりの年月が経過しているという話しだ。
 窓ガラスは半分以上割れている。
 外壁の至る所には、亀裂が入っている有様だ。
 これだけでも、長期間まともに管理がされていない。
 そう考えて問題ないだろう。

 マンションの入口。
 警察が使う、黄色地に黒文字のバリケードテープ。
 二人はそのテープを潜る様にして、中に入っていった。
 一階は、長谷部 和成(ハセベ カズナリ)が暴れた時の影響だろう。
 奥の方には、大小様々なコンクリートの破片が散乱している。

 しかし、床に散乱しているコンクリートの破片の中。
 ある一部分だけが不自然に綺麗だった。

 十三日前、長谷部と相対した義彦。
 当時の事を思い出すかのように、しばし目を瞑った。
 その行動が終わり、目を開けるまで、龍人は話しかけない。
 黙って彼を見ていた。

「話してた場所の一つがここか」

 目を開けた義彦の顔。
 彼の顔を見ながら、しばしの間を空けて、龍人が小さな声で言った。
 そう、彼は龍人に、長谷部との遭遇の一部始終を話してあるのだ。
 経緯についても、知ってる限りは伝えてある。

 あの日、ここに来るまでの事を思い出す義彦。
 ある一本の匿名の電話により、長谷部の所在を確認した。
 義彦は古川 美咲(フルカワ ミサキ)に、そう聞いている。

 しかし、他のメンバーはタイミング悪く出払っていた。
 その後方支援も含めて、古川も直ぐに動ける状態ではない。
 更に、情報とは言え、匿名の為、その真偽も定かではなかった。

 念の為、間桐 由香(マギリ ユカ)を現地に派遣。
 情報の真偽を確認させる事にした古川。
 しかし、古川は万が一の事を考えた。
 たまたまその日その時、研究所にいた義彦。
 彼を由香の相棒として同行させたのだ。
 そして彼を同行させた事は、結果として良かったと言える。

 マンションに着いた義彦と由香。
 迂闊と言えば迂闊。
 だが、由香は経験がまだ足りない。
 馬鹿正直にマンションの駐車場に車をいれてしまう。

 義彦も、基本正面衝突前提の時に借り出されている。
 その為、今回のような情報の真偽の確認。
 隠密行動のセオリー等は知らなかった。

 おそらくこの時点で、長谷部には気付かれていたのだろう。
 正面玄関から堂々と入っていく義彦。
 彼とは反対に、警戒しながら不安を隠しきれない由香。

 二人は、マンションを一階から確認して行く。
 そうは言っても、放置されてからかなり年月が経過している。
 何処も彼処も埃が積もっていた。

 逆に何者かが侵入したかどうかの判断がしやすい。
 非常階段の扉を二階、三階と順番に確認してゆく二人。
 埃を見る限りしばらく開かれた形跡は無い。
 状況が変化したのは、五階に上がってからだった。

 非常階段の五階の扉を開け、廊下に一歩進んだ義彦と由香。
 その方向を見ることもなく、義彦は人が複数いる事を把握した。
 しかし、同時に、廊下の向こうからの飛来物も把握する。

 風の壁を展開し飛んでくる飛来物を取り囲んだ義彦。
 極小さな爆発を起こし、風の壁と共に消失した。
 それだけで長谷部の能力は火、それも爆発関係だろうと推測。

 飛来物の可否を把握する事は出来る。
 とは言え、進む方向の限られる廊下だ。
 待ち伏せされる側としては、余り楽観視は出来ない。

 義彦が前衛、由香が後衛という形で、廊下をゆっくりと進む。
 廊下の角を曲がった所までは長谷部の動きを把握していた義彦。
 そこで突然動きが途絶えたままだ。

 長谷部の消えた丁字路、左側を見るがいない。
 ただ廊下の床にも天井にも穴が開いていた。
 その穴のどちらかに逃げた可能性が高い。

 穴を上下に通過する風。
 その影響で長谷部を見失ったのだろう。
 追跡する事も考えたが、由香を一人にするわけにも行かなかった。

 どうするか判断に迷っている義彦。
 丁字路になっている廊下の、穴とは逆側。
 一番奥、半開きの扉から少しだけ明かりの漏れている。

 その奥から、微かにすすり泣くような声が聞こえてきた。
 全方位に注意しながらも、義彦は由香と共にその扉の前に進んでいく。
 義彦はドアノブに手をかけ、静かにゆっくりと開けた。

 扉を開けて視界に入ってきた者。
 それは身動きが出来ないように、縄で縛られている少年と少女。
 少年がすすり泣いており、少女が囁くような声で慰めているようだった。

 義彦と由香に気付いた二人。
 少女が義彦を見つめている。
 安堵したかのように、目の端に涙が溜まるのがわかった。
 囚われている少女を、義彦を知っている。

 由香が少年の側に行き縄を解きはじめる。
 義彦は、ここでまさか、その少女に再び会うとは思わなかった。
 その為、警戒が一瞬緩んだ。

 まるで狙ったかのように、背後に現れた長谷部。
 同時に飛んでくる飛来物。

 一瞬の隙が対処を遅らせる事になった。
 押え込む事は無理と、瞬時に判断した義彦。
 由香達と自分の間に風の壁を展開。

 展開と同時に、飛んでくる飛来物を風の壁で取り囲む。
 しかし、完全に爆発力を抑える事は出来なかった。
 周囲を埃と爆風が舞い上がる。
 視界と共に風の流れも把握出来なくなった。

 その間に轟いた爆発音。
 狙いがそれたのか、由香達のいる部屋。
 かなり後方で爆発したようだ。

 追撃が来ると考えていた義彦。
 全方位を警戒しつつ由香達が無事なのを確認。
 しかし一向に追撃が来なかった。
 長谷部はその場にいないと判断する。

「由香、その二人を任せた」

 言うが早いか走り出した義彦。
 廊下の先に開いている穴に飛び込む。
 彼は、飛び込んだ穴の下に、長谷部を見つけた。
 どうやらこの穴は一階まで続いているようだ。
 着地時に攻撃してくると予想した義彦。

 一階の床に衝突する寸前、下に向って風の力を解放。
 その場に積もっていたコンクリート片を周囲に撒き散らす。
 予想外の義彦の行動に、一瞬視界を封じられた長谷部。

 彼は封じられた視界で、即座に反撃。
 しかもその後の長谷部の行動は、義彦の予想してないものだった。
 相手の行動を読み負けた、と言っても差し支えないだろう。

 解放した風の力の反動を利用。
 その場よりも後方に着地した義彦。
 長谷部の能力と言っても過言ではない、球体の飛来物が飛んでくる。

 予想してた義彦。
 風の力で捻り潰し、爆発を最小限に留める。
 しかし、その僅かな視界の消失を突いた長谷部。
 義彦の頭上にも球体を飛ばしていた。

 長谷部の前面に注意を集中していた義彦。
 僅かにその球体の把握が遅れる。
 天井の穴に吸い込まれていった球体。

 爆発により風の流れが狂う。
 長谷部の動きを完全に把握出来なくなった。
 同時に義彦の頭上にて、ほぼ同時に爆発音が轟く。

 煙が少し薄くなり始める。
 天井が複数階に渡って崩落していた。
 一階には、コンクリートの山が出来上がっている。

 焦りと焦燥の表情をしていた長谷部。
 マンションの玄関の扉は大きく歪んでいた。
 その隙間を通れば、問題なく外に出る事は出来る。
 しかし彼は、腹いせするかのように球体をぶち込み爆破。
 その煙の中に消えて行った。

 突如、コンクリートの山が吹き飛ばされる。
 頭部など、数箇所から血を流している義彦。
 赤黒い闘気を纏って立っていた。

 一度その場に膝をついた義彦。
 再び立ち上がり、ゆっくりと前に足を出して歩き始める。

 玄関から外を見た義彦。
 長谷部の後姿と、見知らぬ少年が見えた。
 球体を横に飛んで交わす少年。

 彼の着地するだろう位置に即座に移動。
 結果的に少年を助ける事にはなった。
 実際には、そんな事を考えて行動したわけではない。

 その後、怪我をした義彦の姿を見た少女。
 泣かれそうになった。
 由香にも、説教とも心配ともとれるような小言を言われる。

 手当てを受けた義彦。
 連行される長谷部と共に、その場を後にする。
 少年と少女の事は、由香に任せるという形で押し付けた。

 思い出していた義彦。
 龍人の言葉に現実に引き戻された。