130.撤退-Withdrawal-
1991年6月10日(月)PM:13:04 中央区人工迷宮地下一階南ブロック

 しばらくして、泣き止んだ銀斉 吹雪(ギンザイ フブキ)。
 気持ちを落ち着かせているようだ。
 何度も深呼吸を繰り返す。

 目の下には、涙の後が残っていた。
 赤くはなっている。
 それでもとりあえずは、涙を出し切ったようだ。

「一人は、吹雪と学校で戦っただろう、エルメントラウト・ブルーメンタールだってのはわかるが・・・」

 三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)に微笑んでいるルラ。
 クナは、興味津々に見つめている。
 不安そうなラミラの眼差し。
 レミラは、胡乱な瞳だ。

 横一列に並んでいる四人。
 彼女達を見ている義彦。
 四人を見る彼の目は、若干訝しげだ。

「仲間か?」

「彼女達は、私達二人を助けてくれたの。左からルラ、クナ、ラミラ、レミラ」

 名前を呼ばれる度に、該当者は頷いた。
 そこで吹雪は、もう一人の猛者に顔を向ける。

「土御門 春己(ツチミカド ハルミ)様、おさひしぶりです」

「吹雪ちゃん久々じゃのぅ。とりあえず無事で何よりじゃった。聞きたい事言いたい事あるじゃろうが、吹雪ちゃんとエルメントラウトだったか? のお嬢ちゃんの怪我も、軽くはなかろう? 状況整理は後でも出来るじゃろう。一度撤退するべきじゃな」

「そうだな。じじぃに賛成だ。それでいいか?」

 六人全員が、首を縦に振り肯定の意を示す。
 それを見た義彦は、歩き出そうとした。

「悪いが儂は、まだやる事がある。だからこやつを連れてけ」

 一枚の文字と図形の書かれたお札。
 懐から取り出した春己。
 義彦達には、意味のよくわからない言葉。
 彼は呟くと、お札を前方に投げた。

「式神召喚か」

 義彦の呟きは正しかった。
 春己のお札が光に包まれる。
 現れたのは一人の少女。

 肩まである桃色の髪。
 露出の高い、袴と巫女服を合わせたような服。
 少女らしい小振りな胸の膨らみ。

 左手には梓弓が握られている。
 しかし、矢の束や矢筒等はない。

 ぱっと見は人間と同じだ。
 しかし、一つだけ明らかに違う所がある。
 まるで鬼のような角が、頭に生えていた。

「主様、お仕事でしょうか?」

「うむ。義彦と二人で、この者達の護衛を頼む」

「畏まりました。義彦様、吹雪様。お久しぶりでございます」

「鬼那、ひさしぶりだな。一年振り位か。怪我は大丈夫なのか?」

「ご心配ありがとうございます。この通り、一年休息させて頂きましたので、問題ありません」

「そうか」

「鬼那ちゃん、完治したんだね。良かった。それと護衛よろしくね」

「吹雪様、その節は、大変ご心配をおかけ致しました」

 義彦と吹雪は存在を知っている。
 しかしエルメ達五人は、目の前の現象。
 それと起きている現実に、理解が追いつかない。
 それぞれが、顔を見合わせては、首を傾げていた。

「皆、説明は後。まずはここから出ましょう」

 吹雪の言葉。
 とりあえず、目の前の謎を考えるのを放棄。
 五人は首肯する。

「戻る道は俺がわかるから先頭をいく。鬼那は最後尾で警戒を頼む」

「畏まりました。義彦様」

 義彦が先頭。
 その後ろをラミラとレミラ。
 吹雪に肩を貸しつつ、ルラとクナが歩く。
 そして、最後尾がエルメと土御門 鬼那(ツチミカド キナ)。

 来た道を戻る形になる義彦。
 吹雪達と、距離が離れすぎないように注意。
 時折背後を振り返りつつ、歩みを進めていった。

 その場に一人取り残された春己。
 懐から四枚のお札を取り出した。
 一枚一枚同じ物がない。
 鬼那ともまた違う文字が書かれている。

 何事か呟きながら、四枚を同時に前方に投げた。
 鬼那の時と同じように光に包まれていく。

 現れたのは一振りの鎗を携えた鎧武者。
 半透明の蜻蛉のような小さい虫。
 それぞれが、微妙に形が異なっている。

 蜻蛉のような三匹の虫。
 即座に、義彦達が向ったのとは別の、迷宮通路に消えていった。
 鎧武者は槍を構えて、春己の周囲を警戒する。

 春己の視界は、目の前の景色ではない。
 三匹の虫、それぞれの目から見えている景色。
 同時に見えている三つの光景。
 その為、慣れている者でなければ、すぐに気分を害するだろう。

 春己でも、三つ視界を共有する事が限界だ。
 ただしこの間は全くの無防備。
 そのの為、護衛として鎧武者を出している。

 飛んで行った蜻蛉達。
 迷宮内を、くまなく探索していく。
 その間に二度。
 醜小鬼(アグリゴブリン)の、十人程の群れに襲撃された。

 側にいる鎧武者。
 まるで意思を持っているかのようだ。
 醜小鬼(アグリゴブリン)、屠っていった。

 鎧武者の戦いぶり。
 速度は義彦や春己に及ばない。
 しかし、彼らが春己にちょっかいをかける隙。
 それすらも見出せない程に、圧倒的だった。

「この階には無いようじゃな。下りる階段があるようじゃし、そっちに向うかの」

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1991年6月10日(月)PM:13:14 中央区人工迷宮地下一階南ブロック

 意識はちゃんとある。
 とはいえども、決して軽くない傷の吹雪。
 その事を考慮しているのだろう。
 義彦達の移動速度は、決して速いとは言えない。

 まるで何処からか沸いてきたかのようだ。
 前方に現れた、醜小鬼(アグリゴブリン)の群れ。
 その数は三十程だろう。

 群れの後衛から何かが飛んできた。
 飛来してきたのは無数の矢。
 しかし、全て義彦が防ぐ。
 刀に纏わせて放った黒い炎の斬撃。
 全て、燃やし尽くす。
 その間に、前衛部隊が肉薄してきた。

「義彦様の手を、煩わせる事もありません」

 最後尾から聞こえてきた鬼那の声。
 彼女は弓を構えて弦を引く。
 そこに矢のように、横長の細い風の渦が現れた。

 鬼那の梓弓から放たれた風の渦の矢。
 義彦を通り過ぎた辺りで、三十程に分裂。
 一切外れることもない。
 醜小鬼(アグリゴブリン)の群れを貫いていく。

「さすが鬼那だな」

 ただそれだけで全滅させられた集団。
 義彦の言葉。
 顔を赤らめて嬉しそうな鬼那。

「もったいない言葉です。ですが、褒められるのは嬉しい限りでございます。特に義彦様のような強者様のお言葉ならば」

 吹雪も彼女の実力を見るのは初めてのようだ。
 驚いた顔をしている。
 もちろん他の六名も同様だ。

「凄いです」

 エルメの、感動とも驚嘆とも取れる呟き。

「エルメントラウト様、ありがとうございます」

 更に嬉しそうな表情になった鬼那。

「いくぞ」

 義彦の言葉に、再び歩みはじめる。
 こうして彼らは、問題なく進んでいく。
 吹雪達からしてみれば、義彦達と遭遇する前。
 その時と比べて、雲泥の差の安全度。

「三井、一つだけ聞いてもいいです?」

「何だ? エルメントラウト」

 特に敵意もなく、普通の受け答えの義彦。
 エルメは若干動揺した。

「あなたと戦ったはずの、カルバとクルファは?」

「クルファだったか? 変態女? そいつなら俺が倒した。カルバはたぶん、柚香に倒された方だろうな」

「生きているです?」

「たぶんな。倒した後に、縛り付けて隔離した時は生きてた。もし暴れたりしてなければ、そのまま閉じ込められているはずだ」

「そうですか。ありがとです。他の仲間の事はわかるですか?」

 とりあえず安堵の表情のエルメ。
 だが更に質問を続ける。
 その事について、誰も咎める事はなかった。

「倒した後に、じじぃに情報を貰った上で、真っ直ぐここに来たから、わからないな」

「そうですか。わかりました。ありがとです」

 時折苦しそうな表情の吹雪。
 彼女を気にしながら、歩みを止める事のない義彦。

「吹雪、悪いが出口までもう少しだ。頑張ってくれ」

「はい。義彦兄様、ご心配ありがとうございます。私は大丈夫です」

「そうか。でも本当にやばそうなら言えよ」

「はい」

「ふぶきんの憧れの人です?」

 エルメの呟き。
 声にすらなっていない。
 誰にも聞こえてはいなかった。

 辿り着いた謎の機械と魔方陣。
 全員が魔方陣の上に乗ったのを、確認した義彦。
 点滅しているボタンを押した。

 徐々に競り上がっていく床。
 吹雪とルラ達四人。
 突然のその動作に驚いている。

 義彦は手の平を上に向けて、炎を作り出した。
 周囲を照らすには、充分な明かりとなっている。
 真っ暗闇になる事は、なくなっていた。
 その間も上昇していく床。

「ところで、エルメントラウトと、吹雪が共闘しているのは何でだ?」

 義彦の質問は至極当然だろう。
 エルメはとイーノム・アルエナゼムの手紙の件。
 そこから淡々と、説明して言った。

 彼女以外の七人。
 一切口を挟む事なく聞き入っている。
 義彦と春己に出会うまで全て説明し終わったエルメ。

 その間に既に床は停止している。
 外に出て、地上の太陽の光を浴びていた。
 最初に口を開いたのは義彦。

「とりあえずわかった。イーノムの捨駒にされたって所だろうな。奴の目的はさっぱりわからんが。ただそれが真実だとしても、捕まえる事は無理だろうな」

「どうして?」

 若干感情的にそう言ったのは吹雪。
 彼女の言葉にも、義彦は特に動じる事もない。

「簡単な事だ。真実がそうだとしても、イーノムが関与した証拠が何も無い。その手紙とやらが手に入り、裏付けでも取れれば話しは変わるかもしれないがな」