@有岡城跡 忘れられた城跡が一躍「国指定史跡」に
有岡城の本丸跡から国鉄伊丹駅(現JR)方面を望む。まだ、付近に高層ビルは
建っていない。 〔小さい写真の上をクリックすると、画像が大きくなります〕
JR伊丹駅前の丘陵地帯にある有岡城跡は、戦国武将・荒木村重(1535〜1586)の
居城跡である。村重は、織田信長配下の摂津守(戦国大名)だった。
天正2年(1574)、荒木村重によって構築された在りし日の有岡城は、本丸とその西側に
連なる侍町や城下町をすっぽりと城壁(土塁と外堀)の中に包み込んだ、“総構え”の城で
あった。その領域は、北は猪名野神社(宮ノ前3丁目)から南は鵯塚(ひよどりづか・伊丹7丁目)
まで。淡路島の形状に似た南北1.5キロの高台が、そっくりそのまま“町ぐるみの城塞”だった
のである。
しかし、村重が主君の信長に反逆したため大軍に攻囲され、天正7年(1579)、有岡城は
落城する。その後、城は再興されぬまま、廃城となった。
なお、有岡城のルーツは伊丹城であった。嘉元元年(1303)の史料に「摂津國伊丹村」と
の記述があるから、このときすでに伊丹城の城下集落が形成されていたのであろう。伊丹氏が
長期にわったって本拠を構えたこの場所が、現在の伊丹市の“原点”ともいえよう。
左=高台の本丸跡に残っていた古い土塁。右=国鉄伊丹駅(当時)の東側に
あった外堀の痕跡。付近の地形に特異な起伏はあるものの、城の建物などは一切
なく、有岡城は完全に忘れられた存在だった。
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