魚菜王国いわて

イースター島の教訓

17世紀にヨーロッパからの移住民がイースター島に渡ってきたときには、アフと呼ばれるこれらの石像は、かつてのすばらしい文明?数十年で崩壊してしまった文明?の名残をとどめるにすぎなかった。考古学者が再現したところによれば、この社会が終焉に向かったのは、有限の資源基盤が破壊されたことが引き金であったという。イースター島の人口が増え、作物用に土地がどんどん開墾され、残った木々も燃料やアフを動かすために伐り倒された。木がたりなくなったので、釣り舟や家を建造できなくなり、その結果重要な蛋白資源が減り、人々は洞窟に移ることを余儀なくされた。森林消失が土壌浸食につながり、食糧供給がさらに減った。圧力が高まるにつれ、村々のあいだで武装紛争が起こり、奴隷制度が一般的になり、最後には人肉を食して生き残ろうとすることすらあったという。
イースター島は、他の場所から食糧を得られない孤立した土地で、その資源が枯渇してしまった例である。ここに明示されているのは、資源が限られているにもかかわらず人間経済が拡大しつづけたらどうなるか、というものである。いまや残されていたわずかなフロンティア(未開拓地)もなくなり、隅々まで統合されたグローバル経済が出現し、人類は全体として、イースター島が16世紀に立ちいたったのと同じ転換点に達したのである。
(「地球白書1999-2000」p18)

アフについては、へろきちさんのサイト「へろきち亭(イースター島のページ)」で紹介してありまして、画像でも見ることができます。

(2004年10月1日作成)

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