魚菜王国いわて

イラク報告

坂本卓(アジアプレス)

第1回 衛星放送の受信が解禁!

廃墟となったテレビ局
フセイン政権が崩壊して約8か月。イラクのメディア事情は大きく変化したのがテレビ放送だ。
フセイン政権時代は、2つのテレビ局がバグダッドから送信していたが、フセイン元大統領が軍服姿で国民に国土防衛を呼びかけたり、米軍との戦闘で捕虜にした米兵の姿を映し出すなどしていたのが「国営イラクTV]だ。
米軍は、開戦前からテレビ局や送信設備を攻撃対に選定しており、開戦直後、国営イラクTVに対して電磁波爆弾「Eボム」を実戦初投入し、マイクロ波パルスによってテレビの送信機能を一時停止にまで追い込んだ。
通常爆弾による空爆で、建物や送信設備が徹底的に破壊されたのが第2のテレビ局「シャッバーブTV」だ。同局の代表を務めていたのはフセイン元大統領の長男であるウダイ氏。実は、このシャッバーブTVは国民に人気が高かった。というのも、番組の多くが外国映画や人気ドラマなどだったからだ。ウダイ氏は著作権などおかまいなしに、他国のアラビア語人気番組を衛星で受信しては、放送していたのだ。
私は瓦礫となったシャッバーブTVの社屋を訪れた。
壁は崩れ落ち、鉄筋がむき出しになっていて、地面には膨大なフィルムやビデオテープが散乱していた。
近くに住むレシールさん(45歳)は、コンクリート片に埋もれたテープを拾い上げながらこういった。
「サダムの映像はもう見たくありません。しかし空爆では、歌や映画などの貴重な映像も破壊されたのです。米軍にとってはイラクの歴史を刻んだ記録などどうでも良かったのでしょうか?

新生イラクTVは失敗?
フセイン政権を支えたテレビ局に替わって、新生イラクTVとして放送を開始したのが、連合軍暫定当局(CPA)管轄下の「IMN(イラク・メディア・ネットワーク)」だ。IMNは現在、プレスセンターがある国際会議場内のスタジオで番組を収録・制作し、バクダッド北にある送信塔から地上波放送を行っている。
IMNには300人以上の職員がおり、旧情報省で放送部門を担当していた技術者の他、亡命先のアメリカやイギリスでラジオ局「自由イラク」にたずさわっていた者なども働いている。
IMNは、10月末から日本のドラマ「おしん」にアラビア語字幕を付けて放送を開始した。日本政府のイラク復興支援事業の1つとして、IMNに提供されたものだ。
ちなみにイラクでの「おしん」放送を発案し、日本とIMNの橋渡し役を務めたのは、11月末にイラク北部・ティクリットで殺害された外務省外交官の奥克彦参事官だった。
イラク市民に自由メディアを与えるプロジェクトの第一歩として始まった新生イラクのテレビ放送だが、実は、このIMNを視聴している市民はほとんどいない。IMNを「アメリカの宣伝装置」と感じている市民が多く、またフセイン政権崩壊後に解禁となった衛星放送の受信が爆発的に普及し始めたからだ。

大ブレイクの衛星放送
フセイン政権時代は、衛星放送の受信は禁止されていた。受信セットを所持しているだけで6か月以上投獄され、約6万円の罰金の上、機材は没収された。隠れてパラボラを設置している家を摘発するために治安部隊が投入され、定期的にヘリコプターで上空から巡回していたという。さらに、衛星放送視聴者を密告した者には、報奨金まで払われていた。
しかし、秘密警察がなくなった今、衛星放送の受信に規制はない。
バグダッドの秋葉原こと「カラダ・アルバラ通り」には大小あわせて100近くの電気店が軒を連ねている。現在、その半数以上で衛星放送の受信機材を扱っている。
衛星放送機器専門店NEXTの店先には、80cm?1.5mのパラボラが並んでいた。イラク北部の町でアイスクリーム店を営んでいたアハメッドさん(32歳)は、バグダッドで衛星放送受信セットが飛ぶように売れていると聞き、4か月前に店を開いた。
チューナーとパラボラの受信セットは1万?2万円。一般市民には決して安くはないが、アハメッドさんの店だけでも1日100セット以上が売れるという。
「フセイン時代は、世界で何が起きているか分からなかった。今はいろんなチャンネルを比較して見られるのがうれしい」と、アハメッドさんは語る。
チューナーはすべてのデジタル方式。1つの方角にパラボラを固定するだけでも90チャンネル近くを受信することができ、方角を自由に変えられるパラボラを使えば15の衛星から1000以上ものチャンネルを視聴することができる。
アラブ諸国のチャンネルを視聴する人が多く、最新のアラビア語ヒット曲や映画を放送するエジプトの「ライルサット」の人気が高い。また、イランやレバノンのイスラム教シーア派「ヒズボラ(神の党)」は、衛星放送を利用してイラク国内のシーア派向けの番組を相次いで制作し、政治的影響力の拡大を狙っている。
「バグダッドで起きた事件は衛星放送で知る」といわれるように、市民はアラブ系チャンネル「アル・ジャジーラ」や「アル・アラビア」を通じて情報を得ている。両局ともアラブ寄りの報道姿勢で、時にアメリカのイラク政策を厳しく批判している。
一方、米国防総省のラムズフェルド長官は、「米主導の連合軍に敵対的なテレビ局だ」と批判し、これに対抗して独自の衛星テレビ局を開局させる計画まで発表した。
当初の米英軍の思惑を裏切るかたちで、「戦後」のイラク情勢は混迷の度合いを深め、イラク全土がゲリラ戦の戦場になりつつある。そして今、はるか上空にある衛星という場においても、テレビ・メディアが熾烈なバトルを繰り広げているのだ。
(「ラジオライフ」2004年2月号p6)



第2回 新型無線機の弱点

フセイン大統領の拘束を機に、一気に反米武装勢力掃討を目指すアメリカ軍だが、イラクの治安ハ一向に安定せず、米英軍などの外国の駐留軍の占領統治に反対する武装襲撃は後を絶たない。

神経質になった米兵
自爆攻撃を警戒し、イラク内の米軍関連施設は強固なバリケードで覆われるようになった。バグダッド市内を巡回する軍用車両ハンヴィの銃座には必ず兵士が立ち、M2重機関銃を構えて周囲を威嚇している。
「米軍はああやって占領を見せつけているんだ」
連合軍暫定当局(CPA)の指揮下で、検問の任務にあたるイラク人警察官でさえ、そうつぶやいていた。市民は、米軍の銃が治安を守るためでなく、自分たちに向けられていると思っている。
米兵も必死だ。次にねらわれるが自分かもしれないからだ。
何人もの米兵と話したが、好きな映画やロックバンドの話をしたりと、みんな純朴な青年たちだった。一方で、その米兵が市民に銃を向け、反感を買い、襲撃されて死んでいくという現実がある。
「米軍はイラク市民にとって歓迎されないゲストなのか?」
私はある米兵にそう聞いてみた。すると、それまで気さくに話をしていた米兵は押し黙り、厳しい目つきで私を睨みつけながら次のようにいった。
「みんなまいっているんだ。そんな政治的な質問はやめてくれ」

やっぱりモトローラ?
今回のイラク戦争では、米軍はさまざまな新兵器を使ったが、軍用通信機器も最新のものが投入された。部隊間の交信で使われたのが、地上・空中単一チャンネル無線システム「SINCGARS]だ。20年以上にわたって開発が進められてきたSINCGARSは、VHF帯のFM波を使う無線システムだ。セキュリティには「周波数ホッピング技術」を用いており、核戦争時の電磁波障害をも想定した設計だという。
ところが、米軍が巨費を投じたこの無線システムには、意外な弱点があった。
広大な砂漠では威力を発揮したものの、アパートが立ち並ぶ都市部ではノイズが入ることが多く、屋内で使用すると、時に通信が途切れるというトラブルが発生した。それゆえに、敵陣での孤立を恐れた兵士が不安に陥ってしまったこともあったという。
「だからね、近距離の交信だったらこのハンディ機が最も信頼できるんだ」
CPA施設を警備する第124歩兵連隊のホウィントン軍曹は、左肩に付けたモトローラを指差した。同連隊のモトローラ「XTS3000系」は、3マイル(5km弱)が実用範囲とされているが、レピータを利用することによって、バグダッド全域で交信可能となる。
「かつてのPRC型軍用無線機はもう使わないの?」と聞くと、目を点にして、「そんな化石のような代物は、もう博物館にしかないさ」と笑われてしまった。

治安組織の編成へ
フセイン元大統領が潜伏していたイラク北部では、連日、米軍が大規模な掃討作戦を展開している。私は、北部の都市、ドホークにあるクルド民兵組織「ペシュメルガ」のザウィータ基地を訪れた。モスルに駐留する第101空挺師団が軍事視察に来ており、主要火器であるAK銃やRPG?7対戦車ロケット砲を熱心に観察していた。
「せっかくだから記念に」と、米兵たちはRPGロケットを標的に向けて発射し始めた。米兵の放った砲弾は山肌に置かれた標的を大きくそれ、なかなか当たらなかったが、米軍襲撃に最も使われている対戦車砲を米兵が肩に担ぐ光景をみていると、何とも複雑な気持ちになった。
反米武装勢力掃討のため、米軍は新イラク軍再編とは別に、ペシュメルガなど反フセイン組織各派の民兵組織を投入して治安部隊を編成する方針を打ち出した。しかしイラクには、旧クルド労働者党(PKK)のゲリラやイスラム教シーア派民兵など、幾つもの武装勢力があり、微妙な軍事バランスが存在する。治安部隊の編成によって、このバランスが崩れると、各派の内戦にも発展しかねない。
恐らく、占領統治と反米勢力への襲撃はしばらく続くだろう。市民が平穏に暮らせるようになるには、まだまだかなりの時間がかかるはずだ。
(「ラジオライフ」2004年3月号p6)



第3回  イラク市民の戦後

フセイン政権を支えたのは、強大な権力を持つ情報機関だ。中でも特別情報局「ムハバラット」は、治安・政治・軍事情報の収集や、反体制分子の摘発及び暗殺を任務とし、10万以上の人員がいたとされている。ムハバラットの重要な任務の1つが電話の盗聴だった。国民は、たとえ家族に電話をかける時でも「盗聴されているもの」という前提で、政治的な会話はしないように心がけていた。イラク戦争開戦直後、米軍はバグダッドの電話局を爆撃し、電話回線のほとんどは不通となった。復旧プロジェクトはようやく始まったが、市内にはまだ断線したままになっている地区も多い。

携帯電話が解禁!
そのバクダッドで、現在、大ブームなのが、衛星携帯電話「スラーヤ」だ。フセイン政権時代には、携帯電話が禁止されていたため、そもそもアンテナ網は存在しない。アラブ首長国連邦(UAE)のスラーヤ社は、2001年から衛星携帯電話サービスを開始し、中東で爆発的に普及した。本体収納式のホイップアンテナを伸ばして南東の空を向けるだけで使うことができ、ヨーロッパから西アジアまでをカバーしている。フセイン政権下では、携帯電話を所持しているだけで投獄されたが、現在は何の規制もない。戦後、イラクに大量に持ち込まれたスラーヤ携帯電話は瞬く間に広がった。イラク人にとって初めての携帯電話は、つまり衛星電話なのだ。今、新たなビジネスチャンスを掴もうとする商人たちが、こぞって買い求めている。
花屋を営んでいたモハメドさん(28歳)は、フセイン政権崩壊前後、バグダッドでスラーヤショップを開いた。スラーヤは飛ぶように売れ、収入は今までの10倍以上になったという。
「もう何台売ったか分からない。イラク人はおしゃべり好きだから、これからもどんどん売れるよ」
モハメドさんは、笑顔でいった。
現在、米軍は、GSM方式をベースにした米国MCI社の携帯電話アンテナ網をバグダッド市内に敷設し、要人やNGO関係者などに約1万台の専用電話を配布している。今後、さらに携帯電話網が整備されていくのは間違いないだろう。

バグダッドでワッチ
私は、ハンディ機(アイコムのIC?T90)を取材現場に持っていく。電話事情が悪い紛争地では、無線機が緊急時の命綱になるし、現地で飛び交う電波をワッチするためにも使えるからだ。米軍によると、イラクでは現在、周波数帯を124バンドに分けているそうだが、今後、通信網の整備に応じて、より詳細に周波数割り当てを行っていくという。バグダッドでは、米軍の軍用無線はさすがに受信できなかったが、140MHz帯でイラク警察の交信を受信することができた。「退屈だな。はやく仕事が終わらないかな」
米軍や警察を狙った襲撃事件が相次ぐ中、意外にものんびりした警察官同士の会話がだらだらと続いていた。
面白かったのは、コードレスホンもワッチできたことだ。日本のコードレスホンの周波数とは少しずれていて、370MHz前後で最もヒットした。「米軍襲撃の秘密連絡でも聞くことができるのかな?」と、通訳と一緒になって耳をそばだてていると、小声でボソボソと話す若い女性の声が聞こえてきた。やがて女性は、相手の男性に愛の言葉をささたき始めた。しばらく甘い会話が続いたが、「ダメ、父が帰ってきたわ」と女性は慌て、突然、電話は切れた。「何だかムハバラットになった気分だね」と私は笑ったが、通訳は興奮し、その後もIC?T90にかじりついてワッチを続けていた。

兵器はジャンクに・・・
フセイン政権崩壊の際、権力の真空状態の中で、政府施設への略奪行為が横行した。この時の盗品の多くが、市内の青空マーケットで売られている。「何に使えるのか分からないけど、とにかく何でも売る」と、イラク軍の戦車の計器を売っていた男性はいった。
こうした兵器の計器類などの部品は、戦闘車両廃棄場から持ち込まれる。市内から5kmほど郊外にある広大な砂地に、戦車や高射砲の残骸が広がる廃棄場があった。
焼け焦げた兵員輸送車や、砲身の折れ曲がった戦車が無残にうち捨てられている。100両にも及ぶ戦車は、すべて米軍との戦闘によって撃破されたもの。米軍はバグダッドを占領すると、ただちに市内のあちこちに放置された兵器の回収を始めた。これらの戦車は、戦闘機能を完全に破壊された上で、すべてこの場所に集められた。搭載されていた無線機や計器類は根こそぎ引き剥がされている。
軍用トレーラーからエンジンを取り外していたサアルさん(33歳)は、かつてイラク軍で対空機関砲の射手をしていたという。「『兵士よ、自分の兵器を愛せ』とサダムはいった。今はそれを解体してクズ鉄として売る。家族は生きるのがやっとだ。いつまでこんなことが続くのか・・・」
サアルさんは力なくいった。
フセインの独裁と、米軍の占領。この1年でイラクはめまぐるしく変わった。復興ビジネスでチャンスをつかむ者がいる中で、何の支援も受けられず、極貧の生活を強いられている市民もいる。「イラク復興」が貧富の差を呼ぶだけになるなら、あまりに悲しい。
(「ラジオライフ」2004年4月号p6)

(2004年4月16日作成)

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