魚菜王国いわて

ジャーナリストの活動の正当化

暇なんで、少し愚痴を書きます。
どうもあの人質になった3人や後からいなくなった2人について、否定的な意見ばかり目にするので、こっちの5人の方を応援します。
あまり傾く言論は恐いですからね。

さて、幸いにイラクで人質にされていた3人が、昨夜解放されました。
解放される日のお昼ごろのニュースで、あの影の首相と揶揄される福田官房長官が、記者会見で、後から行方不明になったジャーナリストに対し、「みんなに迷惑がかかる」と非難しています。
私には納得いかない発言でありました。

紛争地域を取材するジャーナリストは、もともと命懸けなのであり、不幸にも、紛争に巻き込まれて亡くなったジャーナリストはたくさんいます。
このことは、映画にもなっていますよね。
彼らの取材活動がなければ、真実は伝えられず、政府発表を鵜呑みにするしかないわけです。
しかし、その政府の流す情報というのは、政権に有利な情報しか流さない。
こんなことは常識であり、誰も政府の流す情報を完全には信じていません。
最近のイラク報道をみても、「天下」のNHKなんて、民放の半分ぐらいしか情報を流さず、その辺の大根役者のコメントを主に流しています。
そんな情報統制の中で唯一奮闘しているのが、命懸けで取材しているジャーナリストたちです。
これは、世界中のジャーナリストに言えるわけですが、彼らがいるからこそ、不正を隠す政府や人物が浮き彫りになると思うんです。
彼らは、命を半分、あの世に預けて取材活動しているのであって、覚悟の上のことですから、たとえ不運にも亡くなったとしても、国のせいにはしないでしょう。
安全なところにいて、自衛隊に指示を出す政府首脳とは雲泥の差です。
自らの情報統制を棚にあげておいて、「迷惑がかかる」とか何とか言って、ジャーナル活動を否定するような発言はどうもおかしい気がします。

それにしても、イラク人たちが持つ情報量って、すごいと思いませんか?
今回の件といい、ブッシュが極秘に在イラク米軍を訪問したときのイラク人たちの反応(ブッシュの訪問理由は、アメリカ大統領選挙のためだ、とイラク人は言っていた)といい、テレビを見ていて感心させられます。
一般市民の持つ情報としては、日本よりも優れているかもしれません。
で、実は、「ラジオライフ」誌に、その理由が載っていました。
イラクでは、衛星放送が大流行であり、それゆえこちら側(アメリカ)の一般に伝わる情報は、すべて伝わるわけです。
あまり良いことではありません(いつものことです)が、ラジオライフ掲載(ラジオライフさん、ごめんなさい)の坂本卓さんの記事を転載しておきます(←リンク先を読んでください)。

また、同誌上では、写真入りで、「湾岸戦争ゲーム」のことを載せています。
ゲームの内容は、米兵になってイラク軍と戦うストーリーだそうですが、しかし、イラク人たちは、みんなゲームを割り切って遊ぶんだそうです。
記事の内容から、イラク人も、日本人とたいして変わりません。
ふ〜ん、そうなのか!って、思うことも相互理解の一つだと思いますし、こんなつまんないところから、交流というのが生まれるかもしれません(と願います)。
(2004年4月16日)

加筆
今回の人質事件で「自己責任」がクローズアップされています。
「自己責任」と、民間やNPO、そして個人の善意の活動とが争う形で議論されていて、日本政府は危険地帯でのこの善意の活動を、「自己責任」を理由に露骨に批判しています。
が、少し控えめな政治家や言論人たちが、これを真面目に考えようとしているのは、テレビの討論番組や新聞などからわかります。
そもそも「自己責任」は、「自由」を獲得した人間が持つものであり、ジャーナリストは「自由」な取材活動において、自らの生命は「自己責任」で管理しているわけです。
彼らは、自分の命がその活動で奪われても、取材を制限しようとするあらゆる権力のせいにはしないでしょう。
私は、このサイトで、大きな政府になり過ぎ、何でも政府がやってくれて、いつのまにか国民が持つべき「自己責任」の範囲が狭まっている、と書いています。
そして、結果からいえば、自民党の利益誘導戦略により、日本国民は、強制的に「自己責任」を放棄させられたと言ってもいいかもしれません。
それを逆に捉えれば、「自己責任」が国民のそれぞれにないのならば、国民の不幸の責任は、すべて政府にある、ということです。
実際には、政府あるいは政治家に責任を取れ!といっても取れるわけないし、「自己責任」を放棄した国民は、自らは何もしようとしなくなり、責任だけは政府のせいにしますから、お先真っ暗の将来となります。
これを機会に身近な問題で「自己責任」というのものを真剣に考えてもらいたいと思います。

ちなみに、私はこの通りの自立主義者ですから、政府が彼ら5人を助ける理由はない、という立場です。
彼らは「自己責任」で行ったんですから。
しかし、卑怯なアメリカに、強制的に行かされた自衛隊の撤退(人質解放の条件が自衛隊の撤退)と、自らの善意で支援活動をしようとして人質にとられた民間人の救出とを天秤にかけると、自分の感情で考えれば、やはり私は「自己責任」で行った人たちの救出のほうをとります。
いろいろこのサイトの主旨と反対のことを今回書きましたが、背景を見れば我慢できないことでした(主義が曲がったことをお詫びします)。

ここで、この政府の言い始めた「自己責任」について、もう少し考えたいと思います。
海外旅行の行き先として、エジプトに行く日本人もいると思います。
過去に事故に巻き込まれた日本人のことが報道されたこともありましたよね。
これらの観光に行った日本人が、金目当てに人質に取られたとしても、やはり日本政府は出てきて、いろいろと対策を練ると思います。
この時に、日本政府は、この海外旅行者に対して、「自己責任」を持ち出すでしょうか?
今回のことで「3人や5人のためにどれだけのカネがかかるのか?」って言う人もいますが、冷静に比較すれば、ここで例に挙げた海外旅行者のことでも、カネがかかるのは同じです。
どっちみち政府は、海外渡航した人はどんな理由にせよ、無視するわけにはいきません。
海外渡航の目的から言えば、つまり、ジャーナル活動やNGO活動と海外旅行とを比較した場合、海外旅行で政府機関を動かすことのほうを「ふざけんじゃない!」といいたくなりますよね。
「日本人は金持ち」というイメージは全世界的なもので、常に狙われる危険は存在しており、世界中どこを旅行するにしたって、常に「自己責任」で自分を管理しなければなりません。
海外渡航する人たちに、政府は「自己責任」を持ち出しませんよね。
ということは、日本政府があのように「自己責任」を持ち出して、口に出して非難することはしてはならないことだ、と私は思います。
ここで両者の決定的に違う点は、自衛隊派遣の存在です。
今回は、人質をとった側の要求に、「自衛隊の撤退」がありました。
政府とすれば、そりゃあ、せっかく派遣した自衛隊を撤退せよ、という要求は、おもしろくありません。
その怒りの矛先を、ジャーナリストやNGOにぶつけたんだ、と私は解釈しています。
まるで子供みたいですよね。
(2004年4月19日)



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