魚菜王国いわて

監訳者解説(抜粋)

独裁体制づくりに利用された有事

田中 宇


アメリカの上層部ではブッシュ政権になるずっと前から「有事を契機として軍事政権(警察国家体制)に移行する」という方向性が希求されており、9.11はそのきっかけにすぎなかったと考えられる。9.11が起きたから米政府は独裁的になったのではなく、より独裁的な体制に移行するために9.11が必要だったということだ。
本書を読めば分かるように、この戦略はブッシュ政権が決めたのではなく、共和党・民主党という二大政党の枠組みを越え、遅くとも1990年代のクリントン政権時代からの戦略であり、おそらくもっと古くからのものだ。9.11事件は、アメリカを事実上の軍事独裁国家(警察国家)にする戦略の「仕上げ」の段階をスタートさせるために発生したと思われる。
かりに、米政府が9.11事件の発生を防ぎたかったのだができなかったのだとしても、事件の発生の直後から大急ぎで「米国愛国法」が作られ、米国民の主権が侵害されていった経緯を見ると、少なくとも米政府は9.11の発生を、かねてからの戦略を仕上げる好機として使ったことは間違いない。

シラキュース大学の研究所(Transactional Records Access Cleaninghouse)の調べによると、9.11以降の2年間で、アメリカではテロ関係の容疑者として6400名以上がFBIによって送検されたが、有罪になったのは879人で、しかもこのうち506人は罰金刑など禁錮刑未満の量刑だった。禁錮刑になった373人のうち、懲役20年以上の重刑が科せられたのは5人にすぎず、平均の禁錮期間はたったの14日だった。軽い刑の人は、FBIが逮捕する際に使った別件(交通違反とか、何か役所への届け出を怠ったことなど)に対する罪で、本件のテロ容疑は無罪になっている。http://trac.syr.edu/tracreports/terrorism/report031208.html
この調査から分かることは、9.11事件はテロリストの容疑をかけられた人のほとんど全員が無罪になっている不思議な事件だということだ。本書を読むと、無実の人にでっち上げの容疑をかぶせて陥れるやり方は、米当局が以前から行っていたことだというのが分かるが、それは9.11以後、ますますひどくなっているのである。
同時に、9.11後のアメリカでは政府の腐敗もひどくなっている。エンロンやワールドコムといった新興企業がホワイトハウスや議会など政界に金をばらまいたあげくに倒産し、その後噴出した疑惑に対する捜査も進んでいない。イラク復興に関しても、チェイニー副大統領が以前に経営トップをつとめていたハリバートン社や、共和党重鎮が顧問や幹部に名を連ねてきたべクテル社といった建設・エンジニアリング系の企業が、国防総省から巨額の復興プロジェクトをいくつも受注し「急いで復興事業を始めなければならないので」という名目から入札も行われずに発注が決まってしまう事態になっている。
2003年後半になって、アメリカはイラク戦争後のゲリラ戦の泥沼に陥った。米政府が開戦事由として主張したイラクの脅威もウソだったことが判明し、ブッシュ政権は窮地に追い込まれ始めた。そういったなか、2003年末から2004年にかけて出てきたのが「アメリカが再びアルカイダのテロに襲われるかもしれない」という見方である。
2004年正月には、搭乗者名簿にアルカイダとみられる不審人物の名前があったとして、ヨーロッパからアメリカに飛ぼうとしていたエールフランスなどの旅客機の運航が停止される事件があった。当初、米政府の指摘を受けてフランス当局が調べたところ、疑われた数人はいずれも身元が明確な人で、テロ組織の関係者ではないと分かった。仏政府が米政府に対し、「ご指摘はありがたいが、間違っていますよ」と伝えると、パウエル国務長官が「どうしても運航を中止してくれ」と外交的な圧力をかけてきて、政治的にエールフランスの飛行を止めてしまった。
米政府はこのときアメリカ全土にテロ警戒警報(オレンジ・アラート)を出しており、その理由が「エールフランスなどの旅客機でハイジャックが行われるかもしれないから」ということだった。米政府は、米国民にテロの恐怖を忘れさせないため、何が何でもエールフランスの飛行を差し止めねばならなかったのだと思われる。
2003年11月には、米軍の制服組の最高位である統合参謀本部議長を同年7月に辞めたばかりのリチャード・マイヤーズが、シガー・アフィシオナドという雑誌のインタビューに答えて「次に米本土で大規模なテロが起きたら、アメリカ合衆国憲法は停止され、米政府は軍事政権に移行するだろう」と予言めいたことを述べている。

ブッシュ大統領は、2003年12月13日に「米国愛国法」の拡大改訂法案に署名し、発効させた。この改訂により、FBIは裁判所から捜査令状を取らなくても、金融機関や旅行代理店、自動車販売店などの企業や郵便局などの機関に対し、個別の顧客についての取引データを開示させることができるようになった。しかも、その企業があとで顧客に対して「あなたの取引データをFBIが見に来ました」と言ってはならない、という条項も付いており、FBIは、裁判所も本人にも許可を取らずに、各個人がどのくらいの収入があり、いつ何を買ったか、いつどこに行ったかといった情報を引き出せるようになった。従来は、こうした作業に対しては裁判所の令状が必要だった。
興味深いのは、この法案が署名された日付である。2003年12月13日は、サダム・フセインが拘束された日で、土曜日だった。アメリカの大統領は、緊急の時以外は、土日には法案に署名しない。ブッシュがその前に週末に法案に署名したのは、署名しないと月曜日に政府の一部が資金不足に陥ってしまうという事態の時だった。この法案は、そんな緊急性を持っていないので、ブッシュはフセイン拘束のニュースでアメリカのマスコミが気をとられている時期を狙い、法案に署名したことがうかがえる。
アメリカでは2004年11月に大統領選挙がある。クリントン政権にいたデビッド・ロスコフ(Devid Rothkopf)という共和党系の研究者は、2003年11月23日のワシントンポストに「選挙前に大規模なテロが起き、現職のブッシュ有利になるのではないか」と懸念する記事を寄稿している。
(「監視と密告のアメリカ」p341)

(2004年8月15日作成)

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