魚菜王国いわて

宮城県志津川で起きたこと

岩手県漁連発行「ぎょれん」の羅針盤40からの引用する。
この羅針盤は、東京水産大学助教授水口憲哉氏が書いているもので、題名は「ギンザケ養殖で言っておきたいこと」である。

日本で最初に、ギンザケ養殖が大規模に行われたのは、宮城県志津川である。
ここでは、アメリカからの種苗卵の輸入とふ化稚魚の販売を株式会社ニチロが行い、給餌して製品の大きさまで育てるのを志津川漁協の組合員が行い、できた製品を再びニチロが販売する、という形で、養殖産業が成立した。
リスクが大きく苦労も多く大変なところを、漁民が請け負い、儲けの多い美味しい部分を、企業が受け持った。
しかし、病気や大量死、過剰生産、価格低下などが起こると、ニチロは志津川から手を引き、より儲けの多いチリの新漁場でギンザケ養殖を始め、その製品を、日本に輸入して価格破壊の引き金を引いた。

志津川の漁民は、それをどう見たのであろう?
もし、私なら、ニチロ株をすぐ売却するように漁協に談判し、ニチロ排斥運動を行うだろう。
そして、漁協自体が不利益を被ったのだから、系統を使って、このような行動をする企業と取引しないように運動すべきだ。

その後、国内鮭大豊漁が起きて、浜値は大暴落し、チリの養殖も利益が上がらなくなっている。
所詮、グローバルとはそのようなものだ。
地道に地場産業を支える人たちの頑張りには必ず負ける。

似たような事例が岩手県と宮城県を主漁場とするイサダ漁である。
大手水産会社の海外からのイサダの輸入などで、国内に在庫を多く抱え、今は暴落したままだ。
地元の各船は、仕方なく最低限の経費で、必死にしのいで漁をしている。
大洋漁業は、南氷洋からの撤退を決めている。
このまま、安値が続けば他社も追随するだろう。



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