魚菜王国いわて

二つの国民性

ここで、利益誘導を起点として、二つの国民性を考える。
利益誘導を期待しない国民とは、どういう人たちか?
それはズバリ、「国家があろうとなかろうと自分は生きていけるんだ。自分のことは自分でやるんだ。」という人たちである。
そんな人はどこにいるのか?
すべてを自分でやるということは至難の業であるが、それに近づこうとする思想はある。
また、本人が自覚していなくても、そう生きている人もいる。

アメリカでは、リバータリアニズムという政治思想があり、それを実践している人たちがいる。
彼らこそ、国家からの干渉を嫌がり、なおかつ、自分の食いぶちは自分で賄うという人たちである。
彼らは、道路まで自分で作るという。

NHKで昔放送された「大草原の小さな家」をご存知であろう。
彼らが、代表的なリバータリアンなのである。
ああいう生活を実際にしている人たちがアメリカにはいるのだ。
副島隆彦さんは、そのことを著書で紹介している。
彼は、アメリカの政治思想、そして、リバータリアニズムを詳細に発表した、はじめての日本人である。(本人いわく)

さて、ここで日本に目を向ける。
公共事業は、基本的インフラ整備に大変役立ち、特に終戦後のそれは、特筆に価する。
しかし、どんどん変質し、公共事業が利益誘導の最も簡単な手法となった。
関連産業は、超繁栄した。
彼らは、直接、国から仕事を与えてもらっていたのである。
そして、もう国の事業なしに、彼らは生き残れない。

私は漁業者である。
もちろん、政府から直接仕事などもらったことはない。
当然のことであるが、漁業者のほかにもそういう人はたくさんいる。
国の政策で、仕事を失った人もゴマンといる。

ここでは、宮古市ですぐ目の見える構造物がある都合上、建設業と漁業を対比して考えてみることにする。

藤原須賀を知っている方は、もう40代以上じゃないといないはずだ。
私でさえ、現在の「ホテル近江屋」の目の前にあった磯鶏海岸しか記憶になく、すでにそこまで埋め立てられていた。
その後、黄金浜、トド浜まで埋まり、現在の海岸線となる。
藤原埠頭は、俗に4万トン埠頭とも言われ、4万トン級の貨物船を横付け、陸揚げを目的としたと言われるが、単なる防波堤に過ぎない。
広大な藤原埋立地にたくさんの企業誘致をして、有効利用する目的があったのだが、かなりの年月にわたって、ただの広場か、あるいは、材木置き場となっていた。
最近は、数社の企業が入っているが、それでも空き地はたくさんある。
すでに漁業補償した埋め立て予定海面はまだあるのだが、埋めててもここに進出する企業はないのだろう。
まだ埋め立てられてはいない。
このような無計画な埋め立ては、ただの自然破壊にしかなっていない。
美しかったといわれる藤原須賀から磯鶏海岸は、もう見ることはできない。

埋め立ては漁業者の同意なしでは成立しない。
当時の漁業者の埋め立て反対運動は、さまざまな条件を県側がのんで、ようやく収拾がついた。
埋立地の実効的な利用法が決まっていなかったのに、どうして急いで埋めようとしたのだろう。
どう考えても建設業の仕事を作為的に作ったとしかいいようがない。
これにはさまざまな力が働いていたはずだ。

浦の沢をご存知だろうか?
重茂半島の宮古湾をはさんで見える数件の家があるところである。
あそこに立派な港があるのは見ての通りであるが、はて、あの構造物はどのような目的でできたのであろう?
それは、先ほどの4万トン埠頭建設の影響で、対岸のこの地区の侵食がひどくなり、その護岸ために行われたものである。
つまり、藤原埠頭事業で、関連建設業は、二重に儲けたのだ。

地形は、何万年もして出来上がったものであるから、それを短期間で、山を切り開き、海を埋めたりすると、必ず弊害が生まれる。
対岸の護岸工事は、後始末事業であり、皆の税金を無駄にしてしまった悪例である。

 「漁師なら漁港を作ってもらって便利になったじゃないか」と言う人が大勢だろう。
確かにそうだ。
しかし、直接仕事をもらった訳ではない。
漁師は漁港があろうとなかろうと魚を獲らなければ話にならない。
魚を獲る技術、努力は、政府の関与など介在しない。
これが建設業とのはっきりした違いである。

さてここで、まとめてみよう。

今、日本の国民を、政府なしでは生きていけない人と、政府なしでも生きていける人の二つに分けることができる。
前者がほとんどであろう。
選挙を見ればわかるのである。



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