魚菜王国いわて

宮古は子育ての地?

高校再編で県内の教育関係者は、頭を悩ませていると思います。
まず一般的に、宮古には商業高校が必要だ、水産高校が必要だ、と言われますが、私みたいなひねくれ者は、「本当に必要だろうか」と思ってしまいます。
それにしても、宮古商業って人気ありますよね。
岩手日報Webサイトの表を見ると、宮古高校と同じくらいの競争倍率です。
でも、競争倍率が高いことと私が書くことは、まったく別物です。
今日は、存続理由の一つである「就職に有利」ということについて考えてみます。

高校を終わって就職するとして、その就職先の所在地は、いったいどこが多いのでしょう?
少なくとも市内ではないことだけは確かです。
市内にそれだけの雇用はありませんし、県内でもかなり厳しいと思いますが、ここで市内か市外かだけを考えると、圧倒的多数で市外就職が占めると思います。
ということは、宮古にある高校は、宮古市以外の労働者を育成するための教育施設だった、と言えるわけです。
極端だと思われるかもしれませんが、地域社会の人口流失や高齢化が現実問題である以上、このことは明らかです。
親たちは、この事実に無自覚で、それでもって高校のあり方を論じるわけですから、本当は地域のことなどどうでもよく、ただ自分の子供がどこであろうと就職さえすればよい、と考えているのではないでしょうか。
これならば、いくら市内で少子化対策を講じても無意味です。
就職先がほとんど市外で、税収が増えるわけではありませんし、そのまま高齢化は進行して、結局、宮古市は、福祉事業に押しつぶされる運命となります。

宮古商業が就職に有利であるというのが正しいとして、しかも地元に商業高校がある。
これは、親にとって、これ以上に願うことがないくらい理想なのかもしれません。
しかし、上述の構造でこれを考えるならば、宮古というこの地は、子育ての地でしかない、ということです。
ただの子育ての地。

私は今まで愛国心というのを真面目に考えたことがありませんでした。
しかし、故郷を想うことは、日本を想うことと同じこと。
宮古という地域社会がどうなればいいのか?については、それぞれ考えが違うと思います。
しかし、宮古がただの子育ての地だった、となると、ものすごく寂しくがっかりしてしまう。
これは宮古を想う人たちに共通するのではないでしょうか。
本当にそれだけの地域社会でしかなかったのか。
「就職に有利」なためだけの高校教育とは、なんと悲しいことか。

新規の漁業就業者のないことは宮古の苦悩で、その反面、漁業に見る経済では、今年度のトロール漁業は史上空前の景気。
それでさえ、乗組員の高齢化は避けられず、たとえ船頭が若くとも、船は動かなくなる恐れがあります。
養殖漁業しかり、定置網しかり、小型漁船しかり。
あと10年経ったらどうなるのだろう?
あと20年経ったらどうなるのだろう?
今の漁業の規模はとても保てず、3分の1になるのか、5分の1になるのか、私にはわかりませんが、中央から販売収入は、確実に、しかも大幅に減ります。

「宮古商業高校を守る会」だけでなく、すべての親たちに問います。
本当に必要な高校教育とは、何なのか?
あまりに難しすぎて、私には皆目見当もつきません。
前に書いた「基礎的な学習の重要性」(←ファイル消失)とて、その行き着く先は市外就職です。
減少する漁業人口だけを考えて答えを出せば、それは簡単かもしれない。
「漁業従事者を増やす。そのような教育をすればいい」。
しかし、それをどうような方法でやればいいのだろう?

宮古はもうダメなのだろうか?


と、書きましたが、私は別に悲観していません。
これは現実として受け止めるべきものであり、漁業者人口が減っても、宮古が消滅するわけではありませんから。
私が考えうる20年後の予測として、宮古市にカネがなっていくのは確実ですし、それにともなって人口も減り、かなり寂れると思います。
私はそれでもいいと思います。
宮古を想う気持ちのない自分勝手な考えの人は、宮古にいても仕方がない。
そんな考えの人は、本当は厳しい自由世界、グローバルな経済社会が似合っています。
宮古が寂れても、小さくなっても、それに見合った政治行政組織をしっかり構築しさえすれば、今よりも自然は回復し、住み良い宮古になると、私は想っています。
その中で、宮古を想う者同士が、自分の考え、気持ちを語り合う。

うまい酒やうまい食べ物を食しながら。
(2005年2月19日)



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