魚菜王国いわて

エチゼンクラゲ

11月19日、福井市で、日本海大型クラゲフォーラムが開催されました。
フォーラムでは、(独)水産総合研究センター日本海区水産研究所の飯泉仁日本海海洋環境部長が、基調講演「エチゼンクラゲに関する知見」を行い、その後、全体討議もなされた模様です。
週刊「水産新聞」からの転載です。

生態
飯泉部長によると、分類はビゼンクラゲ科エチゼンクラゲ属。ミズクラゲなどと同じ仲間で、それから推定すると寿命は約1年。傘は茶褐色で直径は通常60?80cmだが、2mに達することも。重量は50?150kg。
生活史は、雄雌別の親からの精子と卵子で受精して浮遊幼生(プラヌラ期)になり、硬い岩盤の上で着底生活(ポリプ期)したあと、1mm以下ぐらいの小さなクラゲの形の幼生(エフィラ期)になって海中で浮遊。それが変体して大きなクラゲに成長。餌は動物プランクトン主体と考えられ、触手に付着させて捕食。ミズクラゲとほぼ同じ生活史と思われる。
夏から秋に急激に成長し、対馬暖流に乗って日本海沿岸に来遊すると考えられている。
運動は水温20度以上で活発となり、15度以下で活力が低下して死滅するといわれるが、10?12度でも生きた例がある。棒カギなどで裂かれれば、遊泳能力を消失し底に沈んで餌がとれなくなり、そのまま死ぬと想像される。
毒性は、他のクラゲと同様に刺胞毒を持つが、その毒性は弱い。ただし、素手で触手をさわらない方がよい。エチゼンクラゲに刺された魚については、刺胞毒が外皮外側の数μにとどまり、通常は可食部まで達しない。毒が弱いうえ、熱に不安定であることから、刺された魚の外皮を食べないかぎり心配ないと思われる。
また、全体討議での「日本海クラゲの研究者」の発言によると、クラゲは傘の周辺に8つの感覚を持ち、その感覚の回りにある神経網が傘の中央に向かって伸びている。8つの感覚で体の平衡をとり、明暗や音に反応する。エチゼンクラゲの卵は水温2,3度でも死なない。
出現
飯泉部長によると、日本海では1920年以降、約20回の大量出現が記録されている。58年には津軽海峡を経由して太平洋に入り、噴火湾など北海道沿岸から千葉県の犬吠まで来遊。
95年は東シナ海あるいは朝鮮半島南西沿岸水域で大量発生し、山陰沖に形成された大きな暖水塊に滞留して9月に各地の沿岸に押し寄せ、北上して津軽海峡を抜け太平洋側にも出現したと推定されている。
山口?宮城の14府県の報告によると、昨年は8月に島根、鳥取、兵庫、京都、福井、石川、新潟、山形の各府県沿岸に来遊。9月には富山、秋田、の両県と青森県日本海側に広がった。10月には青森県の津軽海峡と太平洋、岩手県の沿岸全域まで達し、11月には宮城県の北部からさらに南下。来遊終息は、京都と岩手が12月ころ、鳥取、兵庫、秋田が1月、富山が2月。死んだクラゲが福井では1月まで入網し、新潟でも底曳網に12月から2月にかけ大量に入った。
今年は、8月の上旬に島根、中旬に兵庫と石川、下旬に山口、京都、福井に来遊。9月に入ると上旬に鳥取、中旬に富山と新潟、下旬に山形と拡大。秋田、青森、岩手は10月上旬から。宮城は11月中旬ころからとなった。
95年は定置網など沿岸中心の漁業被害だったが、昨年は底曳きなど沖合の被害が多く、出現は95年より約一ヵ月早かったことになる。今年は昨年に比べ、出現時期の遅れた府県が大半で、出現数は兵庫県が「若干少なめの印象」、石川県は「外浦海域(能登半島の西側)で多いよう」、秋田県は「とくに沿岸部でかなり多い」とみている。
飯泉部長は今年の来遊について「暖水塊が去年より西に偏り、暖水塊と能登半島との間の山陰・若狭沖冷水塊がかなり南を通って張り出した。その間を対馬海流の第二分枝が南下して接岸するような構図となり、これに乗り若狭沖に大量のクラゲが来遊。9月21日、22日に太平洋沖を通過した台風の影響で、クラゲが沿岸まで寄り、それ以降、各地の定置に急に入りはじめた」と推定。
(2003年12月1日付「水産新聞」8面)

今年の岩手県沿岸では、定置網の被害が非常に大きく、鮭の水揚げにかなりの影響を及ぼしました。
クラゲが多すぎて、ただ網を解放した日が何日もあった模様。
私なども、イカ釣りで、岸よりにアンカーを入れて操業していると、エチゼン君が流れていくわ流れていくわ。
針が、そのエチゼン君の中を上がってきて、どろどろしたものの切れ端を、船の中に入れてきてくれます。
針が団子になったのを直したりすると、そのクラゲが手に付き、今度はその手も洗わないで顔なんかを掻いたりなんかしたら、しばらくその部分がかゆく、最後にはかさぶたになって、皮膚が変色してしまいました(色男がもったいない?)。
定置網の網人たちは、その十倍以上大変らしい。
顔が腫れたり、頭が腫れたり。
12月23日現在、まだたくさん泳いでいます。
それにしても、過去をさかのぼれば、意外にも、エチゼン君の歴史は古かったようですね。
勉強になりました。
(2003年12月24日)

加筆
掲示板で、yamaさんより、エチゼン君の加工輸出の提言がありましたが、そのことについて、以下に転載しておきます。

エチゼンクラゲの食品利用では、福井県立大の赤羽義章教授が「塩クラゲを作る技術は確立しているが、東南アジアで安く生産され完成品として輸入されており、量的にも価格的にも難しい」との見方を示した。中央水研でも「東南アジアから完成品として7,000トンから10,000トンを超える水準で輸入され、需要は満たされている」とした。民宿で提供される京都府の例から地域産品としての加工は期待されたが、量産は困難と判断。
(2003年11月24日付「水産新聞」)

ということで、輸出はとても無理なようです。
(2003年12月26日)



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