魚菜王国いわて

「難民の世紀〜漂流の民」を読んで

これは、豊田直巳さんが書いた本で、写真が半分を占めます。
世界各地の難民を、実際に行って取材しています。
取り上げられた難民は、パレスチナ難民、コソボ難民、ボスニア難民、インドネシア難民、ブータン難民、カンボジア難民、北朝鮮難民で、このうちカンボジアと北朝鮮を除くと、すべて「民族浄化」を目指した結果であることがわかります。
民族浄化が行われる前、つまり民族主義があまり盛んでない時期には、これらの地域では、さまざまな民族が和を保ち、仲良く暮らしていました(当然ささいな対立はあったのでしょうが)。
ところがあるきっかけで、隣人同士が敵として戦わなければならない事態に陥ったわけです。
そのきっかけはさまざまあり、このうち先進国(といっても欧米、特にアメリカ)が関与しているのが、パレスチナ、コソボ、カンボジア。
間接的にはボスニア、北朝鮮もです。
多民族国家として繁栄をしているアメリカが、自国の国益のために、民族主義を煽っているのは非難されるべきものを通り越して、ずるいと形容したほうがいいですね。
あれ?今日もアメリカを非難してしまいました。

ん?
せっかく「アメリカ」を「アメリカ合衆国政府」と書くと宣言しておきながら、また「アメリカ」と書いてますね。
長いのでアメリカと略させてください。
アメリカ人の方々に失礼ですが、お許しを!

アメリカだけでなく、日本も非難されなければならないようなことをしています。
その例を書きますが、まずそこで、ブータン難民について説明します。
ブータンは、ドルクバ民族、ガロップ民族、ロシャンバ民族などの多民族国家で、国王はドルクバ民族。
1987年に政府の不正を暴いたのが、ネパール系ブータン人であるテク・ナット・リザル氏。
さらに、1988年に国勢調査をした結果、ドルクバ民族が少数派になる可能性があり、それを受けて政府は、ドルクバの言葉であるゾンガ語の強制、ドルクバ民族衣装の強制をしました。
それに対し、人々が民主化要求したら、その人々を「ネパール人」とみなし、組織的に強姦、虐殺などを含む民族浄化を行いました。
その難民がネパールに流入しています。
1999年、ネパールが、国連総会でブータン難民を取り上げると、ブータン政府は、それを機会にようやく難民問題をネパールと話し合い始めました。
この一連の動きに、日本政府はどう対応してきたか?
次に引用します。

日本の外務省は今も「現国王は前国王が布いた近代化、民主化路線を推進する一方、国家開発計画に意欲的に取組み国民一般の信望は厚く政情は安定」(外務省のHPより)と評価している。同じ日本人の緒方貞子さんが、国連難民高等弁務官としてブータン政府に難民問題の解決を強く求めていたのに、である。
こうした君主制国家、プータンへの日本の「理解を示す」姿勢は、60万人の国民に対して2000年までに約250億円ものODA(政府開発援助)を供与するという事実として表れている。ブータンが外交や軍事をゆだねる特別な関係にあるインドを除けば、日本はブータンの最大の援助国なのである。ブータン国民一人当たり約4万1千円という援助額は、ブータンの一家族の年収を超える。それでも、その援助が、ブータン政府の進める偏狭なドルクバ民族中心主義を克服して、難民の帰還を受け入れ、平和裡に多民族共生の社会をつくっていくことに役に立つならば、私には理解できる側面もある。
しかし、ブータン国立銀行の行員だった難民は「援助は政府の高官を富ませるだけで、地方に住む普通の人々のもとには届かない」と言い切った。残念ながらここでも、日本の援助が支配者を富ませる一方、より弱い立場の人々がそのツケを払わさせられ、貧しい人々をより貧しくさせているようだ。
(「難民の世紀?漂流する民」p136)

外務省のサイトをのぞくと、確かにブータンのことが書いてありました。
難民の発生原因も載っていましたが、どうような民族浄化が行われたかについては載せてません。
知っていても載せないのだと思いますし、知らないなら外務省の職務怠慢ですね。

この本では、さらに、インドネシア難民の発生地域で、日本の関わりが指摘されています。
インドネシアの国内避難民(と本では書いています)はどのように生まれたか?から始めます。

東ティモールの虐殺は有名ですが、その他に、アチェ、というところでも虐殺が起きました。
この背景には、イスラム教とキリスト教の宗教対立があるわけですが、ある時、単なる両教徒の金銭トラブルから大きく発展した、とされています。
それ以前は、非常に仲良く、両教徒は暮らしていました。
実際に、「イード(イスラムのお祭り)にはキリスト教徒だろうと招いたし、クリスマスには招かれた」とたくさんの現地の人々は証言しています。

これらの騒動を鎮圧するのにインドネシアの軍隊が活躍しました。
というより、これを契機にインドネシア国軍が再生された、と言ったほうがいいかもしれません。
この一連の宗教対立でもっとも得をしたのは軍隊であり、インドネシア国軍のやらせではないかと疑う人もいます。
で、このインドネシア国軍は、アチェでひどいことをしています。
アチェと日本の関わりもいっしょに、次に引用します。

マルク諸島の惨劇が国軍による「間接的な虐殺」なら、アチェ特別州で起こっている事態は、国軍による「直接的な虐殺」である。
(以上、前掲書p119)
(中略)
アルバディッドという小さな村からの避難民は「アチェには天然ガスはあっても正義はない。人々が自由や独立を求めているのは、そのためです」と説明する。じつは、アチェの天然ガスのほとんどは日本で消費されている。そのために日本が318億円ものODA(政府開発援助)を供与して、ここに液化天然ガスの精製プラントを建設しているくらいだ。しかし、先の村人は「ここには仕事もないし」と、人々が正義を求める理由を続けた。プラント建設によって村人が土地を追われたり、漁民がプラントの温排水などによって漁に大打撃を受けることはあっても、利益の配分にあずかることはなかった。
(以上、前掲書p121)
(中略)
アチェ人権NGO連合の調整官マイムル・フィダルさんは、日本の市民団体の招きで来日した際に、驚くような数字をあげて報告した。「アチェが国軍のDOM(軍事作戦地域)に指定されていた89年から98年の間に、(死者だけで)7,000名以上の犠牲者がでました。そしてGAM(自由アチェ運動=政治、ゲリラ組織)と国軍の停戦期間中の国軍の停戦違反は87%にものぼり、DOM時代と同じ状況が続いています。今でも毎日3名もの人が死んでいます。女性も、一般市民も。昨日も20名もの人が殺されています。
(以上、前掲書p122)

この内容は本当にひどいものです。
あとは自分で読んでください。
私たちはこのようなことを全く知らされていませんでした。
インドネシアといえば、東ティモールの独立がどうのこうの、だけですね。
外務省のサイトには、この悲劇の後のことが書かれています。
試しに読んでみてください。
それが信用できるかどうか、そして、実際にはどうか、ということは別にして。(私は行っているわけではないし、知り合いもいるわけないですから、わかるわけないですが)。

最後に、9.11テロの報復戦争で、さらに増加したアフガニスタン難民について、17年間アフガニスタン難民への支援を続けてきた中村哲医師の重い言葉を紹介して終わりにします。

「爆弾を落とされるお百姓さんたちはたまったものじゃない。ニューヨークで死んだ人の死を悼むと言いますが、こっちの人の死は悼まないのですか。この間の飢饉で死んだ100万人の人々の死は悼まないのですか」
(前掲書p14)
(2003年3月15日)

補足説明
外務省サイトの「各国・地域情勢」にある、ブータン情勢については、少し書き換えられていて、暴力を伴った民族浄化のことは書いていません(ある意味当然か!)。
また、インドネシアの情勢について見てみると、天然ガスの日本の依存度は、世界第1位であることがわかります。
(2003年12月6日)



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