魚菜王国いわて

ラジオライフ7月号、8月号より

まず最初に、この雑誌の「新聞キリヌキ帳」から引用です。
この「新聞キリヌキ帳」は、新聞記事のキリヌキ(コピー)で、つまり、ここでは、コピーのコピーということになりますね。
題名は、「うっかり焼却炉へダイナマイト爆発」。

2003年2月10日午前7時ごろ、大分県中津市の土木建設会社の敷地内で、同社の社長がゴミと一緒に燃やしていたダイナマイトが爆発し、振動などで周辺住宅7軒の窓ガラスが割れた。幸いにも近くにいた社長を含め、けが人は出なかった。
大分県警中津署は、火薬取締法違反の疑いで調べている。
ダイナマイトは長さ約25cmで5,6本あり、工事現場で発破用に使用した残りだったという。同社長は「起爆装置がなく、普通に燃えると思った」と話している。(2003年2月11日/朝日新聞)
(「ラジオライフ」2003年7月号p133)

お笑いのネタになりそうな事件です。
しかし、ダイナマイトを燃やす、という勇気ある行動をとる人は、なかなかいないと思うのですが(笑)。
こんな社長に使われている従業員は、ものすごくツカレタでしょう、きっと。

さてと。
次は本題。

鈴木明さんが書いているラジオライフ名物のコラム「波」で、ルーズベルトの批判を何ヶ月か続けてやっていました。
中でも、真珠湾攻撃のことを2ヶ月続けてやっています。
これらを抜粋して引用します。
長くなりますが、おもしろいので読んでください。
今日は終戦記念日ですから(関係ないですが)。

<日本に真珠湾を攻撃させる>
ルーズベルトは当初、日本をはじめとするアジアには全く関心がなかった。しかし、満州事変の頃から日本の動きに目を向けるようになり、妻の父が中国貿易で大儲けしたこともあって、日本に厳しい目を向けるようになった。
(中略)
ルーズベルトは、日中戦争が進むにつれ「何としてもアメリカがこの戦争に参加すべきだ」と思うようになり、自らその先頭に立った。しかし、アメリカ国民のほとんどは戦争に反対だった。にもかかわらず、ルーズベルトは、いかなる手段を使っても「日米戦争」をやらなければならないと考えていた。
ヨーロッパでは1939年9月に第二次世界大戦が始まり、日本はドイツとイタリアと三国同盟を結んだが、この年の11月、ルーズベルトは3選を果たした。その時の公約は「アメリカの若者を戦争には出さない」であった。
そこで、ルーズベルが最後の切り札として考えたのが「日本軍に真珠湾を攻撃させる」という奇策だったのである。
後にイギリスのBBCテレビは「どのようにしてルーズベルトは日本に真珠湾攻撃をやらせたか?」という、1時間の特集番組を放送している。興味深い内容なので触れておこう(以下の「」の中はBBCテレビの見解である)。
「イギリスのチャーチル首相は、日米戦争が起きるとしたら、それは日本の真珠湾攻撃しかないと予言していた。アメリカは1940年に日本の暗号パープルコードの解読に成功しており、これを”マジック”と呼んでいたが、JN25という日本海軍が独自に使っていた暗号は実に巧妙にできていて、解読することができなかった。ところがイギリスには、日本海軍と親交があり、なおかつ日本語もできたネイヴという情報局大尉がいた。ナネイヴが日本海軍将校と一緒に写っている写真も残されているが、彼のお陰で、イギリスはいち早くJN25の暗号文を解読することに成功した。
その頃、山本五十六の頭の中にも、日米戦争が始まるとするなら、日本が最初に真珠湾を攻撃するのが1番有効な方法だというアイディアがあった。それは1940年11月、イタリア南部のタラント港にイタリア海軍の艦隊が集結している時、イギリスの攻撃機が夜間奇襲攻撃をかけ、それによってイタリア海軍の主力が30分余りで潰滅してしまったことを知っていたからである。山本は日米開戦主義者ではなかったが、作戦家としては非凡なものを持っていた」
<見放された2人の司令官>
ハワイに、キンメルとショートという2人の将軍が太平洋地区の最高指令としてやって来たのは1941年1月のことである。キンメルはアメリカ海軍の中でも最もすぐれた将軍の1人で、その作戦能力や専門知識は、すべての海軍軍人がみとめているほどであった。
キンメルは真珠湾を守るにはそれなりに防衛能力が必要だと考えていたが、なぜか真珠湾にいた有力な戦艦や空母は、”ヨーロッパ戦争のため”という理由で、次々と真珠湾から去っていった。また、キンメルにとって、これと同じくらい大切であるはずの暗号傍受施設がハワイにはなかった。
実はアメリカ海軍にとって最も重要な施設は、サンフランシスコ・マーケット通りにあるビルの最上階にあった。スパイなどは周囲に気付かれないような格好でこのビルの裏口から出入りし、そこで得た情報はすべてワシントンの参謀本部に送られたいた。
これらのことを全く知らされていなかったキンメルは、ワシントンに対してペンとインクでメッセージを送り続けていた。しかし、ワシントンからは一向にいい返事はなかった。ハワイにあった唯一の情報機関には、日本海軍はまだ呉と横須賀にいると報告されていたのだ。
12月2日、”ニイタカヤマノボレ”という日本の暗号をサンフランシスコでキャッチした時、アメリカは日本がいよいよ開戦を決意したのだと確信した。ワシントンは、日本海軍がハワイの北、約2,700kmのところまで迫っていることを既に知っていた。
となると、知りたい暗号は”何時にハワイ攻撃が行われるか”ということだけだった。ワシントンが”東の風 雨”という暗号をキャッチしたことで、ハワイ時間の早朝に真珠湾が攻撃されることが確定的となった。
何となく不安を感じたキンメルはマーシャル総司令官に対して何回か電文を送ったが、返事はいつも「今、ハンティングに出かけているためおりません」だった。
ハワイ時間の12月7日早朝、ワシントン時間の午後2時、日本による真珠湾攻撃はついに行われた。
BBCテレビ制作のこの番組は、次のような言葉で終わっている。
「真珠湾は計画的なだまし打ちというわけではなかった。キンメルとショートは翌年2月28日に退役処分となったが、2人の名前は、アメリカの歴史の記憶としていまだに残っている」
(前掲書p104)

続けます。

ルーズベルトは、ハワイの司令官2人を騙し続け、日本の真珠湾攻撃を「リングに上がった2人のうち、日本は片方(アメリカ)がまだコーナーで準備している時、突然殴りかかってきた」というイメージをアメリカ国民の心に植えつけることに成功した。しかし、本当の仕上げは、実は日本側の手落ちにあったのだ。日本はアメリカの日本大使館に向かって、「日本は正式に、アメリカに向かって宣戦布告する」という秘密電報を、日本がハワイに攻撃を行う少なくとも2時間前には、通告していたのに、結果的に守られていなかったのである。
日本がハワイを攻撃したのは日本時間12月8日の「未明」。これはハワイ時間の夜明けとほぼ同時で、さらにワシントン時間にすると12月7日午後1時過ぎということになる。しかしワシントンの日本大使館は、前日の夜に職員の結婚式があり、朝、職員が事務所に行くと、細かく書かれた暗号文が積み上げられていた。
宣戦布告の暗号文だから、これは1字の間違いも許されない。まず日本文が完璧に訳され、これを馴れない職員が英文タイプで打ち込むのにはかなりの時間を要した。ワシントンの来栖、野村両大使がアメリカ国務省にこの文書を持っていった時には、日本のハワイ攻撃は既に始まってから1時間近くも経っていた。
<ルーズベルトの大芝居>
宣戦布告文を持っていった日本大使に、国務長官ハルとルーズベルトは、机を叩き怒り、「かくも欺瞞に充ちた恥ずべき文章を、私は生涯で体験したことがない」と怒鳴りつけた。CBSネットワークの有名なニュースキャスターであったエド・マローはこの時の様子を直ちに知り、「私は大統領、国務長官の怒りを見て、如何なる名優でも、あのような演技はできないと驚かされた」と公言している。
そして、それが「演技」であったことは間違いない。なぜなら前号にも書いた通り、アメリカは1年以上前に日本の暗号文の解読に成功し、「マジック」という名前を付けていたのだ。ルーズベルトは日本が真珠湾を攻めることを熟知しており、彼の演技は真に迫るどころか、真を超えたものであったに違いない。
この日から、10日も前に「ハル・ノート」といわれるものが国務省に3通用意されていた。1つは日本が日独伊3国協定を破棄し全中国から(但し、満州を除く)撤退することがアメリカの条件であるというもの、第2はさらに期日などの厳しい条件を付けたもの、第3では「満州を除くという但し書きを削除したものである。アメリカは「満州」の文章を入れない方が確実に日本は攻めてくるであろう、という確信のもとに、はじめから「第3」のノートを日本に送っていた。
これを受け取った日本の方も「全中国」とは満州を含むものかどうか疑念を持つ者もいたが、首相の東条英機は「12月8日早朝(7日のアメリカは日曜日)を除いてチャンスはないと決定し、予定通り「真珠湾攻撃」は行われた。
(中略)
<ルーズベルトと北方領土>
ルーズベルトが日本に残した1番大きな「悪のプレゼント」は日本の北方領土の問題である。スターリンは日露戦争の結果、ロシアが正式に日本領と決めた南カラフトや明治8年以来決まっている南千島のすべてを、「ソ連領」にしたいと思っていた。しかし、ソ連と日本はkの時はまだ不可侵条約を結んでいたので、仮に南千島をソ連領としたら、国際条約の上からいって違反行為である。しかしルーズベルトは1本のタバコよりも無造作に「そんなものでいいなら軽い条件だ。それより一刻も早く日本と戦いを始め、アメリカの負担を少なくしてくれ」といった。ルーズベルトはカラフト、南千島などの勉強は全くしていなかった。そればかりか、南満州鉄道と大連の要港を中国とソ連が共同して使うことも密約し、余力を原子爆弾の完成に注いだ。
ルーズベルトについては改めて書こうと思うが、今回はこれで終わりにする。
(「ラジオライフ」2003年8月号p112)

この記事を載せた意図は、決して旧日本軍の行動を正当化しようとするものではありません。
アメリカの戦争の口実を作る巧妙な手口は、現在のアフガニスタンやイラクに始まったものではない、ということを示したかったのです。
このような戦争誘導戦略は、常に行われており、真珠湾の場合、「リメンバー・パールハーバー」という迷文句をアメリカ国民の頭に叩き込みました。
この言葉を、そっくりそのまま、アメリカ大統領にお返ししましょう。

当時のアメリカ政府は真珠湾攻撃を知っており、その攻撃を全く防ごうとしなかった。
これは厳然たる事実です。
恐ろしいことに、この真珠湾攻撃の背後事情は、9.11米中枢同時テロに酷似していることであり、もしかして、CIAは、テロを事前に知っていて、それを防ごうとしなかったのではないか、という疑いまで出てきます。
真珠湾の犠牲と同じように、3,021人の犠牲でもって、アフガニスタン攻撃の理由付けにしたのかもしれません。
もっと恐ろしく予測するならば、CIAを使って、アメリカ国内あるいは他国で偽装テロを起こすかもしれません。
CIAとは単なる情報機関ではなく、諜報活動、つまり、政権転覆活動をしているわけですから。
もうこうなると、どれが真実かわからなくなります。
嫌な時代になったものです。

日本では南京大虐殺がなかったとし、太平洋戦争を正当化しようとするバカモノどもがいます。
中には、真珠湾攻撃のこの事実を反撃材料として使ったりする人もいて、私は怒りを感じます。
ルーズベルトの行為を悪辣だということが、日本軍の行為を正当化する理由には全くならない。
仮に南京大虐殺が全くなかったとしても、日本の戦争行為は正当化されることはない。
大東亜共栄圏の思想も比較思想であるにすぎず、日本が大東亜共栄圏を達成したなら、本当にアジア地域の諸民族が自立ができたであろうか?
その辺を考えれば、当時の日本の戦争思想は否定されるべきであると思います。

現代社会のおいても「自立」は最も重要なキーワードであり、それは自らの手で成し遂げるべきあり、他国に干渉されるべきものではないでしょう。
アメリカが独立した経緯を見れば、このことは明らかです。
(2003年8月15日)



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