魚菜王国いわて

判断とは誰がするのか?

自分の行動の判断は、誰がするのでしょう?
まさしくそれは、本人以外にはいないはずです。

今、ここ宮古じゃなく、都会の方の言論界では、北朝鮮に残された拉致被害者の家族のことを取り上げるだけで、「国賊」扱いだそうです。
取り上げるだけでですよ。
そうなると、それに対する言論はもう聖域タブー化し、マスコミ自らが報道規制しているらしいです。
結果がどうなるのかわかりませんが、これは言論統制でしかなく、すでに戦争直前状態かもしれません。
アメリカのように、言論統制が始まると、戦争し始めます。
過去の第二次大戦の日本もそうでしたし、今のアメリカも、反戦イコール「国賊」ですから。

で、北朝鮮の話に戻しますが、曽我ひとみさんの米国人の旦那さん、チャールズ・ジェンキンス氏へのインタビューを、「週間金曜日」が行ったことに対し、ものすごいバッシングがあったのは周知です。
訪朝の際、実は、蓮池夫妻、地村夫妻の子供たちへのインタビューも可能だったようですが、北朝鮮側からインタビューしたらどうか、と持ちかけられたにもかかわらず、拒否して逃げ回ったらしい。
ところが、この持ち掛けられた、というのはちょっと違っていて、関連報道バッシングが起きる前、朝鮮総連に対し、マスコミ側が事前に取材の申し込みを行っていただけの話だそうです。
その後、バッシングがあったため、取材をドタキャンした、というのが真相。
まったく情けない。

もっとひどいのは、天下のNHK。
北朝鮮への取材許可が下りていても、バッシングを恐れて、入国すらしなかったといいます。
せっかくの取材のチャンスを自ら放棄し、国内の言論統制、情報操作に加担しているマスコミ人は、もう仕事を辞めなさい、と勧告したい気持ちになりますよね。
これらのソースは、「噂の真相」今月号で、前後関係がわからない人は買って読むこと。(ちなみにこの雑誌はあと1年で休刊予定。)

「子供たちの発言は、北の情報操作の中にある」との発言は山ほどありますが、彼らの発言をどう考えるかは、私たち個々の判断で行うものであり、マスコミがするものではないはず。
その子供たちにだまされた、というより、北朝鮮にはめられた、となったら、それは私たちがバカだった、と自覚すべきでしょうし、逆に北朝鮮を非難できる理由にもなるでしょう。
いちいち国民の考え方にまで干渉して、あるいは、信用しないで言論統制する、というのは、あまりにも国民をバカにした行為だ、と考えることができます。

同じようなことが身近にもありますよね。
あの有害図書指定。
あれなんか笑っちゃいます。
有害図書は、インターネットでは、その辺に転がっています。
転がらなくなれば、地下に潜ってますます規制は難しくなります。
大体にして、そんな有害図書指定を主張する教育パパやママは、子供にまっとうな判断力を期待してないから、そう考えるんじゃないんですか。
それほど、手取り足取り、何でもやってあげたいんですかね。
子供としては迷惑です。
そんな過保護政策を主張するから、失敗したときの挫折が大きいし、立ち直るのが遅いか、立ち直れない。
そして、大人になっても自分の意見が通らないと、子供みたいにダダをこねたりするのが多くなる。

子供のうちは柔軟だから、いろいろ失敗があっていいじゃないですか。
子供は失敗しても許されます。
ダダも許されます。
法律上もそういうようになってます。
俗にいう「有害指定図書」を、有害かどうか判断するのも個々の自由であり、自由が与えられているから選択できるのだと思います。
選択の自由が奪われれば、自ずと判断力は鈍ります。
大人は、子供たちに対し、情報を選択する能力を身につけるよう、教育すべきなのです。

で、ついでに思いついたこと。
選択の自由が保障されているのに、どうして報道規制をするような言論統制がなされるのか?
ちょっとキレイ事になりますが、これはもう矛盾ですね。
この矛盾は、国民を政府(言論統制は必ず政府が関係してます)が信用していないことを示すものです。
逆に考えれば、国民の自由な判断を、政府は嫌っているのです。
いろいろな言論が交錯すれば、困るのは政府などの統治機関。
そこで巧妙に言論統制を行って、政治をし易くするわけです。

この権力の手法は、昔と大して変わってませんね。
歴史は繰り返すそうです。
こうなったら、どっちみち、国民の側も政治家を信用してませんから、思い切って地方分権を全部やり、みんな好きなことやればいいんです。
(2003年1月13日)



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