魚菜王国いわて

「正しい戦争」は本当にあるのか

この本は、藤原帰一さんという東京大学大学院法学政治学研究科教授が書いたものです。
こんな本なぜ?と思うでしょうが、これは、休刊した「噂の真相」の「メディア異人列伝」で紹介されていました。
彼のインタビューで、次の言葉に感心させられ、信用して買ってしまいました。

個人情報について、私は規制が必要だと思う。マスメディアでの個人の人格攻撃は目を覆うばかりです。言論の自由が無制限だと思わないし、無制限だと考えたときに言論は信用を失う
(「噂の真相」2004年2月号p87)

言えてますね。
あの文春の、田中真紀子代議士関連の記事、あれを見るとねえ・・・。
さて、今日は3部構成でいきたいと思います。
本自体は、6章から成っていますが、特に目を引いたところを紹介します。

核兵器は高い
「核兵器は安上がり」というのはウソらしいです。
というのは、戦略的に意味があるように使うには、運搬することを考えなければならず、衛星監視から逃れるために一番安定した核の搭載場所は、海なんだそうです。
核兵器の基地というのは、ミサイルでやられれば終わりですし、地下に入れれば、そこを核兵器で攻撃されて、ハイ終わり。
これは、現在の核戦略ではあまり意味をなさなくなっているらしいです。
海といえば、原子力潜水艦。
ここで引用します。

さまざまな兵器のなかで最も高価なもののひとつで。ソ連は50年代の末期、フルシチョフの時代に無理して原潜を作りますけれども、それが国家財政を大きく崩していくわけで。しかもその原潜っていうのがいかに悲惨なものだったかってこの間『K?19』でしたっけ、映画で公開されましたよね。大体史実に忠実だと思いましたけど、あれは本当に起こった原潜事故ですよね。
いま中国はそのあたりにいて。いまの中国の原子力潜水艦ぐらいだったら壊されちゃう。で、だけどそれをさらに本格的な原潜の方に持っていくっていうことになると大変な負担になりますね。中国にとって核はいまお荷物だって言っても言いすぎじゃないと思います。
(「『正しい戦争』は本当にあるのか」p100)

中国の経済成長は著しく、中国も本当はこんなことに費用をかけたくないというのが本音である、というのはわかる気がします。
それが1国だけでなく、軍拡競争になれば、周辺諸国もすごい費用がかかることになります。
バカくさいですよね。
最後の原潜保有国はアメリカになるんでしょう。
勝手にやってください!

アメリカのウソ
アメリカの軍事行動の理由に、よく「民主化」を掲げますが、過去のそれぞれの国の民主化は、むしろアメリカが足をひっぱったこともあります。
その事例を次に引用します。

フィリピンのマルコスを追放したとき、レーガン大統領はマルコスを支援する側にまわっていたわけで、国内のマルコスを追放する運動が激化したので、ワシントンはその事実を認めざるを得なくなっていく。韓国の87年の軍政崩壊も、アメリカの政策の結果とは言えません。アメリカから見れば、北朝鮮に対抗する政府ならデモクラシーじゃなくてもよかった。インドネシアのスハルト政権の崩壊は87年の通貨危機による経済的混乱が引き金になりますが、それでもワシントンが壊したわけじゃない。この辺の民主化の例は、どれも国内の要因から説明できます。
(前掲書p121)

それからソ連にも少し触れます。
東西の冷戦はアメリカの圧力で終わった、というのは、誇張のしすぎなようです。
東側の崩壊は、何といってもゴルバチョフの登場にあります。
ブレジネフの末期、アンドロポプ、チェルネンコの時期から、ゴルバチョフの時代にかけて、アメリカのレーガン政権は圧力をかけながら、交渉も模索しました。
しかし、最初にゴルバチョフ政権の緊張緩和政策に乗ったのは、アメリカではなく、ヨーロッパの国々です。
なぜなら、もし冷戦ではなく本当の戦争となると、戦場となるのはアメリカではなく、ヨーロッパとなる確率が高くなり、このことから西ドイツとかフランスが、アメリカの強硬な反ソ政策を警戒していたからです。
ヨーロッパ各国は、このソ連の態度を歓迎し、逆にワシントン側は、あんなのは偽物だ、ゴルバチョフ政権は見掛けだけだ、とレイキャビックの米ソ首脳会談でも、強硬姿勢を崩しませんでした。
その後、積極的なゴルバチョフ政権は、アメリカに行って、IMF条約(中距離核戦力全廃条約、これによって、ヨーロッパはソ連の核の恐怖から解放される)を結び、ゴルバチョフは平和の使徒、という感覚を世界的に受けます。
逆に、アメリカは、世界中に対して影響力が下がります。
これによって、ソ連の衛星国であった東欧諸国がゆるみはじめます。
最初はハンガリーで、共産党政権のまま複数政党制を導入し、さらに国境の規制を取り除きます。
そうすると、東ドイツの住民がハンガリーからオーストリアへ流れ込む事件が起き、このような状況は東欧全体へと広がります。
ゴルバチョフがどうして緊張緩和路線に踏み込んだか?っていうのは3つあり、アフガニスタン問題、ソ連の衛星国維持問題、アメリカとの軍拡問題、これらの対費用効果ともいうべき経済問題が理由となったようです。
以上、大雑把に書きましたが、これは第4章の「冷戦はどうやって終わったか」に書いてあります。
レイキャビックのアメリカの行動を見れば、ゴルバチョフの行動に最もうろたえ、そして、最も嫌がったのはアメリカだったのかもしれません。

日本の外交政策の成功の一例
汚点だらけの日本の外交にも、成功したものもあるんですねえ。
ベトナム戦争後のベトナムで、です。
日本は戦争後のベトナムに経済援助を与え、西側に引き寄せようとしますが、最初はうまくいきませんでした。
この時アメリカは、日本の行動を批判しますが、アメリカはベトナムで敗戦してますから、ベトナムに何ら行動をおこせません。
この後、ベトナムはカンボジアに侵略し、中国政権の支援してきたポル・ポト政権を打倒、中国はベトナムを侵略します。
再び、日本は経済援助をするからカンボジアから手を引け、と提案し、米ソ冷戦終結、すなわち、ソ連の後ろ盾を失ったという背景もあり、ベトナムはこれを引き受けます。
日本単独ということではなかったのですが、しかし、アメリカを離れた日本外交の成功例の一つです。
そこを示す記述を少し引用します。

日本、オーストラリアとASEANはこれを利用して、経済援助をえさに、カンボジアのプノンペン政権から兵力を撤退させた。中国にも呼び掛けて、中国もクメール・ルージュ、ポル・ポト派に対する支援から手を引きます。おかげでベトナムと日本やASEANとの関係は好転して、そのあとのASEAN加盟の筋道を作る。カンボジアでいえば、中国とベトナムの代理戦争の振りまわされる状態が終わって、内戦を終わらせる展望も開いた。日本外交が独自の役割を果たした、めずらしい例です。
(前掲書p279)

やるじゃないですか、日本も!
これは、本の最後のほうのさまざまな外交交渉の提言へと続きます。
日本が単独でイニシアティブを取れば、第2次大戦のこともあり、反発を買うことになると。
そこで、ベトナムの件のような多国間交渉を利用し、その交渉の中で日本の経済力を利用すれば、アメリカの核抑止にそれほど頼る必要もなくなる。
さらに、そんな協議に中国を誘い込めれば、一気に東アジアの緊張は緩和するんじゃないかと。

ここで思いつくのは北朝鮮ですが、そのことも書いてあります。
しかし、拉致問題の双方の硬化で、北朝鮮問題は進展しないでしょう。
あ〜あ、この拉致がなかったら、今頃、東アジアはもっと経済繁栄していた、と私は思いますよ、ホント。
戦争という手段を使わない外交、という内容の本で、なかなかヒントになるものがたくさんあったように思います。
(2004年4月25日)

加筆
「K-19」について紹介します。
これは、1961年に起きたソ連の原子力潜水艦の事故を描いた映画で、ソ連崩壊までの28年間封印されていた実話です。
アメリカ映画で、俳優もアメリカ人、セリフも英語。
それでも見る価値があると思います。
以下、大雑把なストーリー。

金がないのか、いろんな準備も不備で、工事も杜撰。
その上、全くのテスト航海もしないで、いきなり実戦配備。
いろんな訓練をし、目的どおり威嚇のミサイルを発射。
悲劇は、その後に起こる。
原子炉の冷却水が水漏れし、炉心溶融の危機に。
冷却水の漏れている配管を修理することになるが、なにせ準備不足で放射線の防護服もなし。
慰めにビニールカッパみたいなものを着て、原子炉の水漏れ部の溶接工事をする。
2人が10分ずつ3交代で、30分の作業。
悲壮感漂う描写がその恐ろしさを物語る。
水漏れ工事は一応完了し、炉心温度は無事下がる。
が、溶接工事に関わった6人は、瀕死の重傷。
艦内は放射能汚染を起こし、不幸はさらに続く。
溶接工事した場所が再び水漏れ。
核爆発の危機。
場所は西側基地の近くで、しかもアメリカの駆逐艦がそばにいる。
ここで核爆発を起こせば、ソ連へアメリカのミサイルが飛んでいくという事態になる。
そこで深海に潜航し、回避しようとする。
深海で自爆すれば、巻き添えがなくなるからだ。
しかし、潜航しながら原子炉修理をしていた原子炉の責任者がいた。
実は、最初の修理工事でおじけついて、そのメンバーに加わらなかった原子炉の責任者であったのだ。
1人で18分も原子炉の中にいて修理完了し、再び浮上し、帰還する。
原子炉に入った人が、間もなく死んだというのは言うまでもない。
(2004年4月30日)



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