魚菜王国いわて

恐ろしい財産をめぐる兄弟間の争い(山口宏・副島隆彦著「裁判のカラクリ」)

兄弟が複数いる場合、家を継ぐのは、たいていは長男です。
つまるところ、親の面倒を死ぬまで見るのも長男(または長男夫婦、長女夫婦)です。
人間の長寿化が、特にこの跡継ぎ夫婦にとって、問題となることが多々あります。
そこに財産をめぐる他の兄弟からの圧力があるなら、跡継ぎになることが、なんと割りに合わないことか。

今日は相続をめぐる遺産分割裁判を一つ紹介します。
長男、長女の方は必見です。
山口宏・副島隆彦著「裁判のカラクリ」からの抜粋転載です。
なお、文中の1人称の「私」は、山口宏弁護士です。

亡くなった88歳のおばあちゃんの面倒を見てきた長男が被告で、次男と長女、次女、三女の4人が原告だった。この長男夫婦は東京・世田谷の奥沢に住んでいた。土地家屋の名義は死亡したおばあちゃんの名義で、45坪の敷地に、2階建ての昔ながらの日本家屋が建っていた。まだ周辺にはダイコンやネギが植えてある畑が散在していた1953年に、おじいちゃんとおばあちゃんが購入したものである。
長男夫婦は、おじいちゃんとおばあちゃんに望まれて結婚1年後から同居するようになった。おじいちゃんは晩年、痴呆を発症させたが、嫁である長男の妻は献身的に介護した。7年前に91歳で亡くなったときには、おばあちゃんからも心から感謝された。
ところが、おじいちゃんが亡くなった途端、生涯のパートナーと失ったためか、おばあちゃんの言動がおかしくなり、ときどき徘徊するようになった。
「満足にたべさせてもらえない」「私だけ除け者にする」と近所の昔なじみのお年寄りに愚痴をこぼすようになった。もちろん、実の娘にも涙声で訴えるものだから、長女や次女などは嫁ぎ先から頻繁に実家へ立ち寄るほど心配した。
長男の妻はおばあちゃんの豹変にとまどわざるを得なかった。
「ボケがきているのだから、我慢していままで通り対応していくしかありませんよ」
医者からはこうアドバイスされ、自らも納得させて介護に努めたが、フラストレーションはたまるばかりだった。長女や次女などの小姑たちと、日に日に険悪な関係に陥っていったのだから、当然といえば当然だ。
そのおばあちゃんがインフルエンザをこじらせ、突然、死亡したのは4年前の2月だった。長男夫婦が入院先の病院へ駆けつけたときは、もう亡くなった後だった。臨終に間に合わなかった次男、長女、次女が、怒りをこらえながら通夜と葬式に参列した。
長男夫婦が驚愕したのは、葬儀から4ヶ月後の親族会議の席だった。
「おばあちゃん名義の遺産をきちんと分けてくれ」と長女、次女、次男、はては疎遠だった三女も押しかけてきて要求したのである。
遺産といっても、両親と同居していた長男夫婦が住む土地と家屋だけだった。バブルがはじけたとはいえ、自由が丘周辺は一坪200万円はくだらない。土地は45坪で、評価額は1億1千250万円であった。
現在、日本における遺産相続は、子どもの数に従って均等にわけることが法律で定められている。遺産相続を自ら放棄しない限り、親の遺産は子どもが平等に分割しなければならない。
長男夫婦にとって、遺産を均等に分割せよという他の兄弟の要求は理不尽そのものだった。おじいちゃんとおばあちゃんの面倒を亡くなるまで見たのは自分たちであるし、他の兄弟は実質的になにも手伝ってくれなかった。気が向いたときだけ実家に立ち寄り、おばあちゃんのご機嫌をとりむすぶだけで、金銭的な援助も皆無だった。自宅にしても老朽化が進んでいたから、ローンを組んで大改築したのは自分たち長男夫婦である。
かつては両親の家だったかもしれないが、現在のそれは紛れもなく自分たちが苦労して建てた自宅だった。
遺産を均等に分割するには、おばあちゃん名義の土地を売らねばならない。そうなればいま住んでいる自宅から立ち退かざるを得ない。改築のローンも払い終えていないのに、こんな理不尽なことがあるかということで長男夫婦は私のところに相談に来た。ところが、これは裁判になれば最初から負けるのは目に見えていた。
親の面倒などを見た子どもに配慮し、遺産分割の際に他の子どもより多めに分けることが法律で認められている。この多めの遺産分割相当分のことを「寄与分」という。現在、日本の裁判所が認める寄与分としての通常の相場は、大体、遺産総額の約20%が上限である。これをどんなに多めに認めるとしても、30%には届かない。
この遺産分割請求訴訟では、30%近い寄与分が認められた。裁判官は年老いた両親の介護を献身的に行った長男側に、最大限の配慮をしたのだろう。
しかし、それでも長男夫婦にとって、総額7,000万円近い大金を現金で他の兄弟に支払わなければならない。それができないときは、土地を売らざるを得ない。売った現金を、遺産分割のカネとして各々に渡さなければならない。
決定を下した家庭裁判所の裁判官にしてみれば、「普通の相場を超えた寄与分を認めてあげたのだから、あなた方の勝ちですよ」と内心思っていたのかもしれない。だが、長男夫婦にとっては、そんなもの勝ちでもなんでもない。自宅を手放すことに変わりはないからだ。
長男夫婦は徹底抗戦に及んだ。いつまでも土地家屋を売りに出さず、そのまま居座ることに決めたのである。
ところが、次男や長女たちは自らの相続分のカネを求めて裁判所に強制執行を申し出た。すでに遺産分割についての決定は下りているから、なす術はない。
長男夫婦は自宅を売却し、埼玉へ引っ越したのはそれから半年後であった。
裁判は、果たしてこの長男夫婦と次男、長女らの争いを解決したのだろうか。解決というのが、長男夫婦とその他の兄弟姉妹との関係を好転させることであるとしたら、裁判はなにも解決のために寄与しなかったといわざるを得ない。
(「裁判のカラクリ」p38)

このあと山口弁護士は、「この遺産分割問題は兄弟間の心の病であり、裁判で解決するものではない」と言っています。
詳しくは、この本を参照してください。

兄弟姉妹とは、こんな骨肉の争いをするためにあるのでしょうか。
現代の風潮である「もらえるものなら、何でももらう」という考えが、この争いの根底にある、と私は思います。
また、生活している空間を失うような財産は、そこで生活している間に限り、相続争いの対象とならないような法整備があっても良いように思います。
(2002年6月22日)



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