魚菜王国いわて

中村修二氏(中村正三郎著「Linux狂騒曲第3番変マ短調作品30〜42」)

今日は、ある優秀な技術者の講演を紹介します。
これは「月刊Linux Japan」の中村正三郎氏連載の「Bravo! Linux」2001年2月号で紹介されたものですが、私の場合、中村正三郎著「Linux狂騒曲第3番変マ短調作品30〜42」で読んだものです。
日本の技術者は割りに合わない仕事をしている、ということですが、これは、副島隆彦さんも指摘しています。
理系の技術者はその功績にも関わらず、恩恵を受けていない。
今の日本は、文系人間に支えられたのではなく、理系人間に支えられて、世界に先例のない急激な進歩を遂げたのだと。

私のWebサイトにあまり関係ありませんが、それは問わないでください。
たまにはいいじゃないですか。
ってなことで以下、抜粋転載します。


さて、もう一つの目玉は、日本企業から、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)校に転身した中村修二氏の講演でした。
中村氏は、世界中の研究者がたばになって研究してもダメで、20世紀中の実現は不可能とさえいわれた青色発光ダイオード(LED)や青色レーザ(実際には紫色レーザだそうです)を実用化して、世界をあっと言わせた人です。青色LEDの実用化は、ノーベル賞級の発明と言われています。中村氏は、世界初の高輝度青色LEDを開発するまでの苦労を語りました。
青色LEDができると何が画期的なのかといえば、すでにあった赤色LEDと緑色LEDと一緒に使えば光の三原色が揃うので、LEDで白が表現できるのです。白が表現できると白熱電球の代わりになります。しかも効率は電球の2倍だそうです。さらに効率と上げると蛍光灯とも置き換えることができるそうです。つまり、光源を全部半導体化できるのです。半導体ですから寿命は半永久的です。しかも低消費電力にもできます。以上のような理由から、青色LEDができたことは画期的なことだったのです。
関連して面白い話がありました。交差点にある信号機の電球の寿命は10年くらいだそうです。LEDは半永久的でしかも電力は10分の1です。環境保護にもいいというので、欧米ではどんどんLED式のものに信号機を置き換えているそうです。しかし、日本は警察などの天下り団体が信号機関連の利権を握っていて、信号機会社は毎年電球を取り替えることで儲けているんだそうです。それで、日本ではLED信号機への置き換えがなかなか進まないとのこと。ありがちな話です。
さて、中村氏の偉業に世界があっと驚いたのは、不可能を可能にしたからだけではありません。当時、中村氏が勤めていた日亜化学工業という会社は、世界的に全く無名だったからです。徳島県の中堅企業だったせいもあって、世界どころか日本でも、一部の専門家を除いては、全くといっていいほど無名な会社でした。
なぜ、そういう会社に就職することになったのか。
中村氏は学生結婚で子供ができました。とにかく働かなければならず、どこでもいいから探した結果が日亜化学工業だったそうです。当時の気持ちを、「仕事や研究は捨てた。家庭を取った」と表現していました。
最初の仕事はガリウム・リンの結晶を作ること。中村氏は大学での専門は電子工学で、全く畑違いです。しかし、やらざるを得ません。会社はえんぴつ1本、消しゴム1個にも課長のサインがいるほど金の管理がシビアで、開発予算もなく、必要な装置は全部自分で作ったそうです。
そういう環境下でありながら、3年で製品化にこぎ着けました。そして、研究・開発・製造から営業まで、全部やったのです。後で考えるといい勉強になったとのことでしたが、なかなか売れなかったそうです。質は他社と同等なのに、ネームバリューがなかったせいだったと述懐していました。
結局、10年間で3つの製品を作ったけれど、なかなか売れません。売り上げが芳しくない以上、市販の5,000万円も6,000万円もする装置は買えません。そこで、やはりそういう装置を自分でつくったそうです。この辺は、もう執念ですね。
「金がないなら知恵を出せ、知恵がないなら汗をかけ」とは、よくいわれることですが、10年間、必要な装置を自作していくのは、並大抵の根性ではありません。しかし、こうやって装置を独自開発したからこそ、青色LEDを製品化した後も、世界が数年経っても追いつけなかったとのこと。独自の特許でいろいろと保護しているので、他社は同等の装置を作ろうとすると、特許に引っかかってしますのです。
さて、こうやって10年間、会社の要求通り、いや要求を上回るような仕事をこなして会社に滅私奉公してきたのに、上司は文句ばかり言うので、中村氏はついにキレました。
キレてどうしたかというと、もう、会社のいうことなど聞かず、自分のやりたいことを思い通りやって辞めてやると決めたのです。
その「思い通りにやりたいこと」というのが、青色LEDの開発だったのです。
上司に青色LEDをやりたいといったら、ダメだといわれました。頭にきて、トップに直訴したら、なんとすぐにOKが出て、開発がスタートしました。さらに、10年間ほとんど研究開発の予算を使わずにやってきたのだから、今度は数億円の予算をくれと要求しました。なんとこれもOK。アメリカ留学もOKになったそうです。オーナーは中村氏に密かに期待していたようです。
念願かなって中村氏は、フロリダに留学するのですが、ここで決定的な体験をします。
誰と会っても何よりもまず、「ドクター(博士号)を持っていますか?」「論文を書いていますか?」と訊かれるのです。中村氏は、ドクターも持っておらず、論文も書いていません。会社は秘密主義で、論文や学会発表は禁止だったからです。
「ドクターなし」「論文なし」では、研究者扱いはされず、手伝い扱いで、学生からも馬鹿にされたそうです。この強烈な体験から、帰国後の中村氏は、論文を書き、会社に内緒でこっそり提出することを決めます。
以後、中村氏の反逆が始まります。
青色LEDの材料には、セレン化亜鉛(ZnSe)と窒化ガリウム(GaN)があって、ZnSeが有望だと思われてたので世界中はZnSeのほうをやっていて、GaNをやっているのはほぼゼロだったとのこと。中村氏は、ZnSeだと仮に成功しても他社からすぐに追いつかれて儲からないだろうと判断していました。といえば聞こえがいいですが、実際はもうヤケクソでした。
ここで中村氏は、「非常識なことに挑戦するには、非常識な精神が必要なんですから、その意味でヤケクソは非常に大事です」と強調しました。
以後、午前中は装置の改良、午後は実験で、会議や電話は一切無視した生活が始まります。最低限以外は、論文や特許を意図的に読まないことにしました。これが、いくつもの独創を生んで重要な特許につながりました。当時、会社からは特許を出したら1万円、成立したら1万円をもらえたそうです。しかし、いま会社はその特許で何百億も稼いでいるのです。
中村氏は、会社に内緒で英語の論文も発表していたり、青色LEDの開発で有名になったこともあって、国際学会に呼ばれるようになります。そこで出会った関係者から収入を訊かれるので明かすと、これだけの業績を上げればアメリカなら億万長者なのにあまりに安いので、「奴隷の中村」と呼ばれるようになったそうです。
会社は窒化ガリウム研究所を作ってくれて所長にしてくれたそうですが、実際には部下はゼロ。つまり、いくらすごい業績をあげているとはいえ、会社のルールを無視して反逆を続ける中村氏を会社はよく思わなくなってきて、追い出しにかかったようなのです。
給料のこともあるし、1999年の夏、アメリカに行きたいと家族に話したらOKが出て、アメリカの教授に相談したら10大学、5企業からオファーがありました。ちなみに、日本企業からのオファーはゼロとのこと。
大学からのオファーは、学長を越える年収と、講義もしなくていいという条件だったそうです。
企業のオファーは報酬のゼロの桁が文字通り桁違いだったそうです。今度、プロ野球のイチロー選手が大リーグ選手に朝鮮しますが、彼の日本での年棒5億円を軽く抜く額の提示があったようです。アメリカでは、会社の株価が上がれば、巨額の報酬を手にできるストックオプションが盛んで、ベンチャー企業の社員で、株式公開によって何十億も手にする人がけっこういます。
そういう世界と目に当たりして、中村氏はある企業にほぼ決めたそうですが、企業に行くと企業秘密を守るトレードシークレット法で訴えられる可能性があると指摘され、その企業への移籍は断念します(実はカリフォルニア州では大丈夫だそうですが、そのときは知らなかったとのこと)。それで、住みやすいサンタバーバラにあるカリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)に決めたとのことでした。
アメリカの大学は、ベンチャーと連動しています。多くの大学の先生は、自分で会社を持っていて、自分は顧問になって、学生を社長や社員として使っています。
つい先日、導電性プラスティックの業績でノーベル化学賞になった筑波大学の白川秀樹名誉教授は、今度定年だそうですが、失礼ながら億万長者ではないでしょう。しかし、アメリカなら、白川先生クラスは当然数十億円は稼ぐ億万長者であり、自分で会社を持っていれば、生涯現役で、予算を使いまくって研究とビジネスをやれます。この彼我の差は何だろうというのが、中村氏の問題意識です。
「日本では優秀な学生は、大手企業に永久公務員のように行くが、アメリカでは優秀な学生ほどベンチャーに行き、大企業にはベンチャーで10回ぐらい失敗した奴が行く」と中村氏は語っていました。
中村氏は言います。
「技術者のレベルは日米同等だが、収入は10倍も100倍も違う」
「日本は社会主義」
「アメリカでは自由があり、できる人は4年か5年で辞めて次へステップアップする」
「日本のサラリーマンはどんどん会社を辞めるべき。優秀な奴がどんどん辞めれば、会社も少しは考える」
「非常に独創性のあるものは、ベンチャーにしかできない。独創性は非常識によって生まれる」
「日本の教育、特に大学入試はサラリーマンという奴隷を作る教育。大学入試を廃止しないとダメ」
最後に日本のいい面としてチームワークを挙げ、「日本は製造面ではアメリカより優秀。それはチームワークが必要とされ、ばらばらのアメリカと違って、日本はチームワークがいいからだ」と締めくくりました。
(「Linux狂騒曲第3番」p50)

今日は長文紹介ですみませんでした。
この後も話はあるんです。
つづきは次回。
(2002年7月9日)



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