魚菜王国いわて

村串栄一著「検察秘録」

アメリカ・「タイム」誌は、「今年の人」として、内部告発をした女性3人を選んでいます。
9.11テロの事前情報の捜査不備の指摘をしたコリーン・ローリーさん。
エンロン不正取引を指摘したシェロン・ワトキンスさん。
ワールドコム会計不正を内部告発したシンシア・クーパーさん。
自らの職務やプライバシーを犠牲にする、という覚悟で、内部告発したことが評価されたようです。
ちなみに、昨年の受賞はジュリアーニ市長。

アメリカの女性3人の内部告発が、たまたまクローズアップされましたが、オモテにでない告発は数知れないでしょう。
本当に私たちが欲しい内部告発は、もっとド派手な、権力者によって闇に葬られている告発です。
たとえば、政界を揺るがすような大型経済事件などは、なぜかキーパーソンが自殺を遂げます。
もったいない。
おそらく今まで世話になった権力者に対しての恩義を感じてのことでしょう。
あるいは、自尊心のあまり生きていけなくなったのでしょう。
しかし、恩義とは?何なのでしょう。
権力をかさにした恩義とは恩義ではありません。
権力構造に組み込まれた道具です。
それを恩義というのは、あまりに“恩義”という言葉がかわいそうです。

ここからは、村串栄一さんが書いた「検察秘録」の紹介とします。
どの章もすばらしいのですが、「第5章 傷だらけの特捜物語」がもっとも秀逸です。
この章は、総会屋小池隆一に対する利益供与事件で四大証券(野村・山一・日興・大和)、第一勧銀が摘発され、それに連なる大蔵・日銀接待汚職事件を、検察側からの目でみた感動の物語です。

これらの事件で、自殺者は第一勧銀元頭取、新井将敬代議士、大蔵省関係者2人、日銀理事の計5人です。
彼らの死は非常に残念です。
何も権力の礎になることはなかったのに。
告発すればよかったのに。
さらに、この時期、あらゆる金融機関が破綻しています。
東京協和信用組合、安全信用組合、コスモ信用組合、木津信用組合、兵庫銀行、大阪信用組合、太平洋銀行、武蔵野信用金庫、阪和銀行、日産生保、小川証券、京都共栄銀行、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、コ陽シティ銀行、長銀、日債銀、国民銀行、東邦生命。
金融不祥事を捜査する東京地検特捜部が、ここで矢面に立たされました。
これらの破綻は、特捜の捜査が原因ではないのですが。
自民党は怒り、盟友国税局との確執・報復も。
最後は、大蔵省の杉井孝元大臣官房審議官にまで捜査が及ぼうとした時に、捜査はストップしました。
この杉井は、大蔵の超エリートであり、法務省幹部でさえ一目おく存在だったようです。
ここで一部引用します。

大蔵省主計局長の涌井洋治はヒヤヒヤの心境にあった。
「杉井はどうなるのか」
当の杉井は当時、知人にこんな風に漏らしたという。
「一千万ぐらいは飲み食いしたかなー。だけど、現金はもらってないよ」
「でも、パクられるかなー」
接待漬け、職務権限、便宜供与が報道通りとすれば、逮捕も仕方なかった。桶井は、大蔵省きっての逸材が検察の手に落ちるのを「国家的損失」と考え、悩み抜いた。しかし、検察内部にも杉井をめぐって深い動揺があった。
(以上、「検察秘録」p245)
(中略)
四月二十七日、大蔵省は過剰接待問題で120人を処分した。前例のない処分規模だ。筆頭に杉井の名前があった。「停職4ヶ月」。その他が減給、戒告、訓告など。杉井が一番重い処分だった。マスコミから”接待王”なる冠をもらっていた当時の証券局長・長野厖士も処分を受けた。大蔵省の将来を託されていた二人はともに霞ヶ関を去った。
「検察から見たら厳しい処分とは思わないよ。検事だったら免職だよ。それにしても、泣いて馬謖を斬る思いだった。振り返ればまさに”接待の海”に手を突っ込んだ。今やらなければどうにもならなくなっていた・・・」
(以上、前掲書p247)

私たちはすでに、これらの事件については「そんな事件もあったなあ」なんて思っています。
ただそれだけです。
で、私のようなひねくれ者は「噂の真相」なんか読んでますから、「検察=悪」まではいかなくても、「検察は税金ドロボー」というイメージをつい持ったりもします。
しかし、そんな簡単なものじゃない。
それをあらわす次の文章を示します。

政治家は常に「国と捜査とどっちが大事なんだ」という命題と突きつけ、法務・検察予算や職員増員問題、法務関連法案の提出。審議などを”人質”に指揮権発動まがいの恫喝を繰り返してきた。造船疑獄事件のように、ずばり指揮権発動なら逆に分かりやすい。しかし、”まがい行為”は、双方のバトルも手打ちも水面下で交わされるため、国民の目には見えにくい。捜査途中で消え、あるいは捜査にも入らなかった事件、疑惑はいくつもあるが、その背景に何があったかは国民の知るところとはならない。
(前掲書p204)

権力から悪者扱いされた当時の特捜部に、賛辞が贈られた、という文章を最後に転載します。
これは、タイム誌「今年の人」に匹敵します(もちろん独断です)。
熊崎とは、当時の特捜部長「熊崎勝彦」です。

利益供与事件、大蔵・日銀事件で、あれだけ政府・自民党からバッシングを受け、検察部内からの圧力も受けた特捜部だが、この国がまだ正しく機能しているとうかがわせる出来事もあった。それは、今回の事件捜査に対し、人事院総裁賞が与えられたことだ。この賞は国民全体の奉仕者として優れた業績を残し、公務員の信頼構築に寄与した個人や職域に贈られる。
そして香港の週刊誌「アジアウィーク」は「アジアで最も影響力のある50人」を挙げ、熊崎は14位にランクされた。当時の首相の橋本龍太郎は17位だった。
一連の事件を、特捜部は「革命」と位置付けた。
(前掲書p254)
(2002年12月28日)



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