魚菜王国いわて

年金制度の欠陥

ちょっと前にHappyな、そして思い切りのいい若者のことを書きました。
今日は、その家のおじいさんのことを書きます。
そこのおじいさんも非常に働き者で、朝から晩までしっかり働くそうです。
お昼に少し長めのお昼寝をして。
年寄りですから、それなりの休憩をとるのが良いのでしょう。

で、そのおじいさんは、年金受給年齢で年金をもらっています。
自営ですから国民年金です。
国民年金は発足当時、掛け金を全く払わなくても、該当した老人は、すべて、小額ながら年金を受給し始めました。
これは、「現役世代が引退世代を助ける」という基本的な考えからそうしたものです。
このようなことがあったことを、今、「年金が払ってももらえそうもないから払わない」という人に聞かせてやりたいですね。
年金とはそういうものだと。

その方々の年金額は、とても単独では生活できるものではありません。
私の他界したおばあちゃんもそうでした。
かわいそうなくらいでしたね。
より高齢の方の国民年金ほど安いはずです。(受給のしかたにもよりますが)
で、そのおじいさんの耳には、他のオカの人たちが、会社勤めの結果、高額年金を受給する話が入るわけです。
支払った額が多いのだからしかたないとしても、厚生年金や先生のもらう年金(名称は知りません)は、国民年金と比較すれば、話にならないくらい多いのです。
そのおじいさんは、「同じように生きてきて、年をとって同じように話したりして、どうしてこんなに違うのか?まじめにやってきたのがバカくさい」と言ったそうです。
かなり前の話です、これを聞いたのは。

一般に漁師は勉強しなくてもなれます。
根気さえあれば。
一時期、受験競争で敗れて、あぶれた人が漁師になりました。
中学で学力の低い人ほど、宮古でいえば、水産高校に回される現実がそれを物語っています。
まあ、そんな人は漁師にはなりません(重茂とか田老とかは除きます)。
漁師は、すべて国民年金です。(船員となれば、また別です)
熾烈な受験地獄の延長上の出世競争(表現が逆?)の敗者は、オカの上でも高額年金は望めません。
これは、制度的に欠陥である、と私は思います。

競争社会では、どうしても勝者と敗者がでます。(勝者と敗者の捉え方は個々によって違いますが、ここでは出世競争においてです)
勝者は敗者に比べれば、精神的にも肉体的にも恵まれます。
当然、報酬も話にならないでしょう。
敗れた者の努力が大きければ大きいほど、勝者の取り分は相対的に大きくなります。

そこで、老後は、せめて、支払った年金額に応じない均等な受給額にすべきだと私は思います。
それが公的年金制度の基本的な思想に則ったものではないでしょうか。
敗者に比較して、勝者は、年金受給年齢時に、すでにたくさんの取り分があるわけですから。
これを欠陥ととらえるのは、私だけでしょうか。

労働組合などの社会主義的な団体は、なぜ、こんな指摘をしないのでしょう。
エラくなった人は、何でもたくさんもらうからでしょう。
自らそれを捨てるようなことは言いません。
ここに社会主義、人権主義の偽善性が見られます。
思想的に「自分のことは自分の勝手でやれ!」という私などが、このようなことを指摘すること自体、悲しいというか、悲惨なことです。

「まったく仕事をしようとしない人ももらえと言うのか?」との問いもでてくるでしょう。
そんな細かいことは、このことを仕事とする人にまかせます。

さっきのおじいさんに話を戻します。
そのおじいさんはある時、息子さん(つまり今のお婿さんの義理の父親)に涙ながら訴えたそうです。
「なんとか自分の面倒をみてくれ」と。
多分、自分の体の調子でも悪かったかどうかでしょう。
そこ家では、おばあさんも手仕事をしますし、そこの家族は仲が良くしかっりしています。
この謙虚で働きもののおじいさんを、私たちは見習っていいと思います。

最後に、私の父も年金をもらう年齢ですが、まだもらっておらず(といってもまだ1年目ですが)、仕事も現役バリバリです。
さすがに持久力はダメですが。
このように、漁師世界では、老人の力は偉大なのです。
(2003年1月9日)



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