魚菜王国いわて

自由と制限

書き込みは物理的に自由
掲示板の書き込みは、どんな書き込みでも、仮に管理者が後で削除することがあるにせよ、物理的に自由です。
ですから、変だと思われる書き込みでも、絶対に他人の目に触れます。
これは、誰がエライことをいくら言っても曲げられません。
ということは、読者側が、その情報を見分けるスキルを身に付けなれければならない。
書き込みがあらわになってから、「お前、出て行け」では遅いわけですよ。
短期的には、「お前、出て行け」は、効果あるかもしれませんが、時間が経てば、新規参入者も出てきますから、あまり効果はありません。

もし、「お前、出て行け」と言われるような「有害指定言論」に影響される方が出たとすれば、その責任は誰がとるか?
それは書き込んだ人なのですが、相当ひどく、しかも影響との因果関係がはっきりと立証されないと、プロバイダー側は、書き込んだ人の情報を明かしません。
しかし、そんなに影響を受ける人はいませんよね。

で、掲示板での最大の問題は、誹謗・中傷なんです。
私の場合、この誹謗・中傷は、「利用ガイドライン」(←ファイル消失)で事前に制限していますから、書けばすぐ削除で、書いた側の「表現の自由」はただの言い訳に過ぎなくなります。
掲示板を設けるにあたって、これは非常に重要で、荒らされたことがある経験上、学んだことです。
ネチケットのページとか検索すれば出てきます。

話を戻します。
「お前、出て行け」というような「有害言論指定(この言葉は私の造語かも?)」は、何の制限のない掲示板では、それこそ有害以外の何者でもありません。
有害指定された人の書き込みの端などにも、重要なヒントを見出すこともあるからです。
あるいは、「これ、おかしいから調べてみよう」とか思って、いろいろな文献を読み漁れば、それはそれでプラスになります。
これだけ情報が氾濫していれば、掲示板の情報なんて鵜呑みにするほうが間違い。
いつだったか、やはり「わが町」の掲示板で熊坂市長が勇退するとかのガセネタがありました。
あの時、私はソースはどこ?と訪ねたら、あとはでてきませんでした。
市役所の友人に聞いたら、そんな噂すら、全くないとのことです。
ですから、結局自分で判断しなくちゃ!

コピーも物理的に自由
変だと思われる書き込みを制限しようとしても、書き込むことは物理的に自由である、と最初に書きましたが、似たような事例に、著作物のコピーがあります。
いくらコピーするな、と制限しても、コピーは物理的に自由です。
CDコピーなんて日常茶飯事。
この東アジアから東南アジアにかけては、無法地帯が広がります。
実際にコピーできるものをコピーするなっていうほうが、どうかしています。
その流れでみるならば、例のコピーコントロールCDを発売したエイベックスの行動は評価されます。
まあ、これもプロテクトを外されるとか、音質を落としているとか、いろいろ言われているようですが。

副島隆彦さんも、この辺に実に理解があります。
どうせ、コピーされるのはわかっているから、せめて、そのソースが誰なのかぐらいは、はっきりするように!と。
つまり、コピーしても結構、と暗に言っています。
インターネットで公開するものはすべて、技術的に簡単にコピーをできるわけですから、それをするなっていうほうが、子供みたいに見えてきます。
だって、現実的に無理ですもの。
ブラウザメニューの「編集」から「すべて選択」をクリック、「コピー」をクリック、別のエディターに「貼り付け」て、はい終了。
これをするなっていうなら、作ったマイクロソフトを訴えないさい、ってことになります。
これ、なくなるほうがどれほど不便なことか?
その辺のところはいいようにやっていかないと、皆さんが損することになります。

著作権を否定してしまうLinux
この著作権を真っ向から否定しうるOSが、何度も私が触れているLinuxです。
一応は著作権の保護を詠うGPLですが、一般にいわれる著作権とは少し違います。
このGPLというライセンスは「ソースファイルは公開しなければならない」「誰も再配布を制限してはならない」とありますから、コピー、改造、配布していいわけです。
ここで著作権も保護していますから、ソースはどこか?ということが明示されなければならないわけです。
もともとインターネットは、情報の共有が原点ですから、OSとしての進化は、ゲイツOSよりもLinuxのほうが正しいといえます。
そのほかGNUという言葉もあります。
興味ある方は、ぜひ調べてみてください。

パチンコも自由(笑)
いつものごとく、かなり脱線しましたが、もう一つ例をあげます。
パチンコです。
パチンコ中毒患者をあおるように、テレビではパチンコのコマーシャルのオンパレード。
道路を歩けば、ド派手な電光掲示板のオンパレード。
嫌でも中毒症状を引き起こすような情報が、目の中に飛び込んできます。
このことで、その情報を消せ、と言う人は誰もいませんね。
子供でもいません。
負けるとわかっていても行ってしまう、ということは、その人の責任ですよね。
情報を流した側の責任ではないでしょう、現在は。
ちょっと例え方が変でしたが、制限しても意味のないものや実質的に制限できないものはたくさんあります。

知らないうちに、何でも制限されて育ってきたのが、今の日本人。
それが普通ですから、実際の自由とは何なのか?ということすら、わかならいんですよ。
私自身そうでしたし。
初めに制限があって、それから自由を主張するんじゃない。
初めに自由な状態で、それから、その弊害を克服するために制限があるんです。
以前このページを攻撃した人権主義者「青い鳥」も、「人権、人権」って言ってましたが、その人権も、あとから作られたもの。
人権は、困った時の人権でしかない。
それぐらいの認識は必要だと思いますよ。

自由な書き込みを許している掲示板。
書き込みを物理的に制限できないのは周知だから、それなら自分で防御しないと。
その方法をいろいろみんなが書いていますよね。

無視。
相手にしない。
あるいは、その掲示板は見ない。

私のサイトだって、表現の方法が気に食わないのなら、見なければいい。
批判したいなら、すればいい。
少なくとも、選択の自由は、マウスをクリックし、キーボードをたたく側にあります。
(2003年4月8日)



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