魚菜王国いわて

鮭延縄

先日、鮭の鮮度のことを書きましたが、せっかくですので、鮭延縄漁のことも紹介します。
鮭延縄漁はものすごい競争社会で、しかも10トン未満船はすべて平等。
1トン未満の船外機船まで同じ漁場を公平に使います。
操業は朝4時からで、4時になると一斉に回転等灯を回し、投縄スタート。
船間距離コンマ25マイル(つまり0.25マイル、通称ヒトワッカと言います。レーダーの距離環一つが0.25マイルのときのこと)が普通で、宮古地区は特に船が混むので、コンマ2あるいはコンマ15の時もあります。
この狭い間隔で一斉にイース(方位のことで、東。イーストのなまり)に向けて投縄していきます。
当然、潮が悪い時は何隻分もの縄が一緒になり(団子になる、と言います)、この場合は早い者勝ち、あるいは、人の良い人(性格の良い人)が揚げれば等分します。
たいていの船は、この狭い間隔にさらに2本の縄を入れ、大漁だとさらに入れる「欲たかり」もいます。
これが私の船の時もあり、魚を見れば漁師は狂ってしまいます(ホント、欲たかりです。笑)。
朝縄はこんな具合で、その他、昼縄、宵縄とあり、そっちは面倒なので省略します。

餌はサンマの切り身が主流で、過去主流だったマイワシはなく、辛うじてカタクチイワシ(マサゴイワシ)が他にあります。
道具は簡単なもので、延縄ザルに仕立てられた縄についた針に餌を付け、ボンデンという旗のついた目印みたいなものに、この縄をつないで海中に入れます。
鮭はやがて死んで沈んでいきますから、大漁になると縄全体が沈みます。
それを防止するために、縄と縄の間にフロート(少し大きな浮き)を付けます。
延縄ザルは、現在、とうか(木箱)に変わっていますが、私のところでは延縄ザルを使っています。
盛漁期には、これを仕掛けてから1時間ぐらいで揚げ縄に入ります。
手、または機械でこの縄を海中から揚げ、鮭が食いついてくれば、船に獲物を寄せてタモで汲みます。
これが鮭縄漁の概略です。
コストパフォーマンスの高い漁業であり、単価の高かった時代は船外機船団もたくさんありました。
一尾3,000円したこともあり、これを10尾獲っただけでも、船外機船なら、たくさんなくらいです。
単価が下がってからは、これらの小船は、かなり減りました。

さて、鮭縄は、海だけが競争社会じゃなく、オカのかあちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、むすこむすめの果てまで動員し、縄さやめ(揚げてきた縄を再び仕立て直すこと)やとうか使用の場合は餌かけ、その餌切り、団子になった縄の解体、新縄へのあば(浮き)付け、水揚げの手伝い、陸送の場合は運転手といった具合。
道具類は全部手作りですから、時間がいくらあっても足りないくらい。
オカのかあちゃんの中にも、一日の睡眠時間2〜3時間というスーパーウーマンがいた、とも聞きます。
鮭縄は「戦争」と揶揄されたこともありましたが、まさに海からオカまで「戦争」状態でした。
その景気が良かった頃は、崎山船団などは前沖商売でありながら、1週間に1度しかオカに上がったことがないという船頭、乗組員もいたと聞きますし、また、重茂船団ではユンケルを飲めば、3,4日は寝なくても大丈夫だという話も流れました。

それも今は昔。
今はのんびり朝縄のみ。
というのも、実はこの通りの船数ですから、陸からの1列目に船が並び、そこでしか鮭が獲れないことが多いので、前日の夕方から海上で場所取りを行うようになりました。
その結果、各船頭は、昼縄、宵縄まで商売すると、寝る時間がなくなります。
それゆえのことです。

しかし、スルメイカと違って、尻尾の付いた魚を獲ることのほうがおもしろく、過去、私の船では、年間水揚げの7割方を鮭鱒類で占めたこともありました。
したがって、どうしてもこの商売だけはやめられません。
眠かったり、疲れたりしますが、ホント、この商売はおもしろいのです。
(2003年11月24日)



鮭漁業

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