魚菜王国いわて

宮古サティー

4月9日に、宮古市長と宮古商工会議所専務が、マイカル東北本社を訪問し、宮古サティーの存続を要望した。
宮古サティーの前身は玉木屋であり、宮古初の百貨店形式の店舗。
玉木屋が撤退したのは正解だったと言うべきか。
ビル形式の大駐車場を備え、自動車社会を考えての大店舗であったが、業績の悪化は、やはり生協DORAの出現が大きいだろう。
宮古市の購買力は、タカが知れている。
そこで、消費者運動の象徴的存在である生協に、集客力の大きな大店舗が本当に必要であったのか、改めて問いたい。
あのような生協店舗の作り方では、既存の商店街であろうと、サティーであろうと、経営努力以前の問題で、競争前から勝負がついている。
生協はテナントなど入れないで、独自の商品を売るべきである。
便利な店舗に飛びつくのは消費者の特性なのだから、そこを宮古市の各団体も考慮すべきであった。
隣の薬王堂との相乗効果で、今後もDORAの一人勝ちは続く。

こうやって見ると、宮古市長と宮古商工会議所専務の行動は、偽善的に映る。
要望が通り、存続が決まっても、同じ結果になるだろう。
逆に駅前再生が成功しても、今度は他の商圏がその影響を受けることになる。
再度書く。
宮古市の購買力は知れている。
商工会議所なら、どれほどの購買力があって、どれほどの店舗が理想なのか、それぐらいわかっているはずだ。
商業活動は、「競争」するものであるから、当然、勝者と敗者がでることになる。
敗者は倒産、または閉店である。
競争社会に市が出てきて「存続を」と言っても、市民感情を理解するフリの単なるアピールに過ぎない。
ここで市がすべきこととは何だったのか?
「競争」の結果を予測して、このような「一人勝ち」を許すようなことを排除すべきであった。

今、宮古市で一人勝ちと言えば、DORAと市役所だろう。
関係者はこの意味をよく考えてもらいたい。

DORAの出現は、中央商店街、または、一般の零細店舗を圧迫している。
これは宮古市にとって憂慮すべき問題だ。
新たな消費者運動の位置付けとして、宮古市の産業、雇用を考えるなら、地元商店、または、既存の商店街の利用を促進すべきだ。
DORAばかり利用すれば、宮古市民自らの首を締めることになる。
それを市民も考慮すべきだ。
(2002年4月12日)



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