魚菜王国いわて

酒田市の中央商店街から考えること

酒田市立資料館を訪ねたところ、酒田市の人口は10万人で、大火の街だった、ということです。
私の小さい頃の記憶にある酒田の大火は、昭和51年10月29日であり、現在の中町という地区一帯がほとんど焼けました。
当時から、商店街は、アーケードで整備されており、大火の原因がアーケードにある、ない、の二つに分かれた論争のこと、かなり昔から火事の広がりやすい街であったこと、そして、風が強く吹く地形が大火の最も大きな原因である、ということなどが、資料館には展示されていました。
この昭和51年の大火の後、中町(なかまち)はきれいな商店街になりました。
アーケードが再生され、自動車の乗り入れができない路地も、きれいに整備されています。
宮古市の末広町と比べたら、もう天と地の差があるくらいです。

新潟も、古町にしろ、万代シティーにしろ、駅前にしろ、現代的な商店街です。
新潟と酒田と比較すると、やはり都市の規模を語らないと話になりません。
で、後述しますが、残念ながら、現在の社会状況では、既存の商店街の努力以前の問題が横たわっています。
はっきり言って、わが宮古市の末広町商店街は、市民の消費者意識が変わらない限り、いくらカネをかけて整備しても復活しません。
これは、同じような商店街を持つ、中・小都市すべてに言えることです。

新潟は、日本海随一の都会であり、人口も多く、50万都市(聞いた話です)であり、商店街には若者がたくさんいます。
おばさんもおじさんもたくさんいるわけですが、ほとんどの人の移動手段は、徒歩、バス、自転車です。
自転車は特によく目につきましたね。
このローテク手段の人たちが、ほとんど自家用車を移動手段としたなら、いくら公共工事王国の新潟でも、交通政策はパンクします。
このように都市化が発展しているからこそ(それが理由であるかどうかは厳密には私にはわかりません)、基本的なローテクな移動手段を市民が選択しているのかもしれません。
東京など大都市はそうですよね。
ほとんどの移動手段がいろいろな種類の鉄道、バス、徒歩です(駐車場の問題も当然あります)。

ところが、宮古でも酒田でもどちらでもいいんですが、田舎ほど、猫も杓子も自動車です。
家族1台じゃなく、1人1台です。
宮古なんかは親バカがかなり揃っていて、親が息子・娘に「買ってあげる」のがどうやら流行らしく、渋滞すればみんな文句を言うし、歩こうとしない。
渋滞解消とか、交通格差是正とか何とか言って、道路建設をし、さらに自動車利用を促進する。
こんなわけで、移動の時に一人当たりの費やす石油エネルギー消費量は、都会に比べると、宮古はものすごく多いはず。
結果、一人当たりの二酸化炭素排出量も、完全に都会の住民よりも多い。
いつだったか新聞の投稿欄に、高齢の方の投稿で「100mぐらいの距離にある店にまで車で買い物に行く」と嘆いていたものもありました。
ホントそうですよ。

まあ、重茂とか崎山とか遠い人に全部バスを使え、というのもあまりに酷ですから、ここでぜひ末広町の駐車場を使って、そこで歩いてショッピングをしてほしい、あるいは食事でもいいし、喫茶店でくつろいでもいい、いきつけの店を一つでいいから作ってほしいです。
大駐車場完備の大型店ごとの車での移動を考えると、エネルギー消費の面からみても、商店街で歩いて買い物をするということは理にかなっています。
たとえ商店街の駐車場まで車で行ったとしても、です。

ここでもっと話が脱線しますが、年をとるにしたがって足は弱くなります。
したがって、特に定年退職した人ほど、自家用車の利用は控えるべきです。
退職した人は時間はたくさんあるんですから。

酒田市でも、中央商店街がいかに立派に整備されても、空洞化は進行しています。
田舎者の得意な、自家用車を利用して買い物を利用するという事は、どう考えても郊外型の大駐車場完備の大型店が有利になります。
宮古市や八戸市と同様に、酒田市の中央商店街も、郊外型の大規模店に客を奪われ、中町は3分の1ぐらいは空き店舗、さらに中町から駅前にかけてのアーケードの商店街は、半分が空き店舗になっています。
山形近郊の田舎町に住んでいる人にも聞いてみたのですが、山形市でさえも郊外に大型店ができて、中央商店街の空洞化が起きつつあるとのことです。
地域の雇用を考えるなら、そして地域全体の経済を考えるなら、郊外型の大型店は本当に必要なのか、ということを考えざるをえません。
単に大きい店があればいいという願望は、地域社会、そして結果的に自らの首をしめることになります。
郊外型大型店の推進役となる自動車社会もまた、温暖化問題、エネルギー問題が解決していない現在において、「仕方ない」では済まないと思います。

さて、宮古の末広町振興策で、思い切って区画整理し直し、新しい商店街を建設するしかない、という意見がありますが、今まで書いたことから考えると、無駄でしょう。
自動車社会を肯定し続ける限り、それを前提とした消費活動を消費者が支持している限り、本当に無駄な事となります。
唯一考えられるのは、DORAを打ちのめすような大型のショッピングモールしかないでしょう。
そして、どちらかが必ず潰れます。
それほど宮古には購買力がないと私には思います。
街づくりを考えるにあたって、「持続可能な」という考えを持ち込まないと、あの苦労、あのカネ、あの時間はなんだったのだろうか、という悔恨しか残りません。
「創造しては壊れるのが歴史だ」というのは、まあ否定はしませんが。

「あなたは末広町商店街に魅力ある店が並んだとして、ゆっくり歩いて買い物をしますか?」との問いに「Yes」と答える人が何人いるでしょう?
商店街が混雑したら、今みたいに路上駐車して買い物は絶対にできなくなります。
ショッピングに対する認識、時間に対する認識、自動車利用に対する認識、グローバル資本に対する認識、社会全体に対する認識を変えないと、地元商店街の復活は望めません。
これらを考えた「消費者側の応援」が、公の関与なしで、ただの市民の消費者行動であれば、これは一つのNGO、NPOの行動と同じである、と言えます。
普段、NGOとかNPOとかいえば何かものすごいエライことのように感じますが、実は個人レベルでの消費者運動もNPOの行動と同じことだと私は思うんですが・・・。
(2002年7月11日)



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