魚菜王国いわて

大家族を見直す

先日、ローカルニュースで、岩手県の人口動向を伝えていました。
それによると、人口は減少しているようですが、世帯数は増加しています。
つまり、核家族化が相変わらず進んでおり、1世帯あたりの人数は少なくなっています。
世帯数を増やして、消費を伸ばすという政策は、物質には限りがあり、そして、完全なリサイクルが確立されていない現在において、無理な話です。
なおかつ、経済成長とともに伸張した賃金上昇が、産業の空洞化を招き、景気は後退。
失業率は、昨日のブルーグバーグニュースによると、まだまだ伸びるとの予測です。
ここで、核家族化の進行は、憂慮すべき事態ではないか、と私は思います。

家族は、社会の最小構成単位であり、助け合うという原点が、ここにあります。
核家族化で、世代間の助け合いというのが希薄になり、いつのまにか、年金制度も、「もらわなければ損」「将来もらえる額が少ないなら、年金は払わない」という考えの人が、多数を占めるようになりました。
国民年金制度の発足時、全く支払いのない老人も、小額ではあるけれども年金を受給しています。
このように、世代間で助け合うという思想のもとに、年金制度はあるのです。

私の住んでいる地区に、ある謙虚な老人を知っています。
この方は戦争から生きて帰ってこられた人で、軍人恩給(正確な呼称はわかりません。そう言われていますので)と年金の両方をもらえたのですが、養ってくれる家族がいるので、年金だけでたくさんだ、ということから軍人恩給を断っています。
「もらえるものは何でもほしい」という政治家を筆頭とするあらゆる人たちに比べると、非常に謙虚であり、公金の重要さをよく理解している、と言えるでしょう。
そして、この行動は、家族がいるからできることであって、老人単独世帯ではできるものではありません。
このような事例にこそ、社会福祉制度の負担を軽くするヒントがあるように思います。

大家族では人数が多いゆえ、助け合いだけでなく、リサイクルを自然にしていることもあります。
3世代同居となりますと、子供が大きくなったら着なくなる作業服(ジャージなど)を、今度はその家のおじいちゃん、おばあちゃんが着ている場合もあります。
子供は大きくなり、老人は小さくなりますから、ちょうど体格が合うのです。
また、普通の核家族では捨てられようなものを、老人は時間がありますから、リサイクルして別のものに使ったりします。
こういう知恵は、代々受け継がれるものなのです。
リサイクルとは違いますが、食事でも、無駄に捨てられるものが少なくなる、という利点も出ます。

このように、無駄をなくしてリサイクルをするということは、現在の政策である消費強制経済成長主義に反するものです。
しかし、私たちが世代をつないでいくことを考えるにあたって、どちらがより適当なものなのでしょう?
私は、「消費が低迷しているから、・・・」という今の経済の方向性は、間違っていると思います。
家族間、世代間で、子供に対し、「無駄はするな、モノは大切にしろ」と教育していくことと比較すれば、今、政治がしようとしていることのほうが、はるかに異常です。

景気後退、失業率上昇で、家庭内の収入は減る一方でしょう。
そこで、消費支出を減らし、世代間で助け合うという大家族化の復活を目指すのはよい方向だと思います。
少子化対策という政策が実行されているからには、大家族化促進政策もあっていいと思います。
将来を見据えるならば、少子化対策よりは、ずっと理にかなっています。

その家の初代は、おじいさんにしろ、おばあさんにしろ、わがままです。
それは、自分が先代にたいして気を使うことが無かったからです。
2代目夫婦は、そのような気苦労を知っていますから、自分たちの子供夫婦には余計に気を使います。
この日本には、5世代同居という家族もいます。
家族という最小社会でうまくやれなくて、どうして、一般社会でうまくやっていけるのでしょうか?
結婚して夫婦水入らずでルンルンしたいというのはわかりますが、子供ができて何年かしたら、両親たちと同居したほうが私はいいと思います。
(2002年3月27日)



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