魚菜王国いわて

テレビメディアは人を偉くする?

昨日、テレビで、拉致被害者家族連絡会の、小泉首相に対する不満や批判を見ましたが、ものすごいですね。
中には、「政治責任」を問う声もありました。
私は行き過ぎだと思います。
ということで、今日は小泉首相に応援します。

国交のない国、実質的に鎖国状態にある国と、外交交渉をするということが、どれほど難しいことなのか、今回の訪問を見て、私はものすごく感じます。
特に、他の10人の拉致された人たちが生存しているか、していないか、という、確認不可能で微妙な問題が、これに拍車をかけています。

立場を変えて、金正日総書記の側から見てみましょう。
他の拉致被害者が生存しているならば、北朝鮮側は人質に取っている、といってもいいでしょう。
この場合、さらに日本側から「カネ」を取ることができます(食糧支援も結局はカネ)。
拉致被害者が本当に他界しているならば、と考える場合は、さらに二通りの考え方がでてきます。
日本がこれを「信用する」場合と「信用しない」場合の二つ。
日本が「信用」する場合は、日本と北朝鮮との問題は、核だけとなります(拉致されたのではないかと疑われた人を除く)。
これは、日本の立場が最も好転する場合です。
ところが、日本が北朝鮮の情報を「信用しない」場合は、これはいつまで経っても解決しないでしょう。
本当に他界していても、おそらく、今の拉致被害者家族連絡会では信用しないでしょうから。
この場合、ますます北朝鮮の思うつぼです。
国交がないから日本側は北朝鮮を調べることができませんし、情報なんて入ってこない。
北朝鮮としては、いつまでも、拉致被害者が生きているようにほのめかしながら、日本との外交交渉を有利に展開できるからです。

以上のように、日本側の立場は、ものすごく不利です。
訪朝にまったく前進がなかった、と言っても、5人は帰ってきて、曽我さんの家族再開にも道筋がついたわけです。
「連絡会」の中には、ただ5人を連れてくるだけだったら、首相以外の人が行っても良かったという人もいましたが、それは???ですね。
他に誰がいるんですか。
今まで、何人か自民党代議士が訪朝してますが、成果なしですし、川口外務大臣では、バカにされるだけでょう。
相手は、女を妾程度にしか見てない人ですから。
そんな相手でも、とにかく国交を樹立し、お互いの国を自由に行き交うことができるようになれば、北朝鮮の情報はかなり入ります。
ところがここで、日本側が強硬態度に出て、再び緊張関係になれば、拉致問題解決はずっとず〜っと先になるでしょう。
そう、思いませんか?
経済制裁をしたとして、北朝鮮が譲歩すると思うのでしょうか?
拉致被害者連絡会の人たちの理想をすべて解決するには、何も前進しません。
いや、永久に国交回復は無理でしょう。
そういうわけで、私なら、小泉首相の行動力を買います(私も好きですよね。一般の論調と反対のことを書くのを)。

どうせなら、予測されているように、北朝鮮がソ連みたいに内部から崩壊すればいいんですが・・・。

この拉致被害者家族連絡会は、「感情的」というより、すでに「政治的」です。
どういうわけか、テレビで出るようになると、みんな「政治的」になるような気がします。
これは、先日のイラクで人質になった人たちの家族にも言えることです。
彼らも、最初のうちは、ただ「助けてください!」だったのが、だんだん時間が経ち、カメラ慣れしてくると、「政治的」になってきたのは、まだ皆さん記憶にあると思います。
それがあのようなバッシングにつながったんでしょう。
拉致被害者の各会には、拉致議連やいろいろな団体が最初からついてましたから、「政治的」なのはしかたありません。
しかし、孫に会いたい一心だった横田さんにまで、「政治的」な発言が目立つようになっています。
テレビに出演した拉致被害者連絡会のメンバーの発言を聞いていると、あまりに「政治的」であり、何となく、今回、子供たちの帰った家族は、肩身の狭い思いをしているのではないでしょうか。

不思議なのは、どうして、あんなに、連絡会のメンバーが集まったのか?
事前に、政府から進展がある、という連絡があったとは考えられません。
ということは、やはり「政治的」な狙いがあるのか?
あるいは、マス・メディア(テレビ)にそそのかされたか?
少なくとも、「政治的」な行動を起こすには、テレビは格好なメディアであることは確かです。
テレビは、とにかく視聴率を取るため、そして、他社と競争するため、演出をしすぎます。
特に最近、被害者が出過ぎの感じを受けます。
とにかく被害者、そして、その周辺に対するインタビューは、ものすごいの一言であり、各社とも、このインタビュー競争に心血を注いでいる、と言っていいほどです。
インタビューされる側は、「自分がものすごく注目されているんだ」という意識が高くなり、「これは自分の言い分が通るようになる」と錯覚し始めるんじゃないでしょうか?
それが、各自それぞれにある「政治的」な主張を始めさせる契機となるような気がします。
メディアの過剰なインタビューは、番組の素材であり、社会の事象は、すべてワイドショーになり得ます。
今回の「政治的」な発言は、「テレビが生んだもの」だと私は思いますが、思い過ごしでしょうか。
(2004年5月24日)



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