魚菜王国いわて

カップラーメンとコンビニ

北海道瀬棚町の話題から入ります。
瀬棚町のAコープ(農協?)では、カップラーメンが、当然のように売られているわけですが、その値段には驚きました。
なんと140円以上なのです。
定番の日清カップヌードルも同額。
宮古ではいくらしたっけなあ?と考えると、確か110円ぐらいだったような気がします。
定価はいくらなのか知りませんが(誰も知らない?)、瀬棚はかなり高い。
でも、野菜類は、宮古とほとんど変わらないと思いました。
カップラーメンは、東京などの都会ほど安いのでしょうか?
瀬棚の平均所得は、都会に比べれば、かなり安いはずです。
ところが、カップヌードルなどのインスタント食品は、かなり高い。
それでも生活を維持しているということは、地元で生産する食材を用いて、手作りの料理を作っている、ということなのでしょう。
健康に及ぼす食品の影響を考えると、瀬棚のほうが、はるかにいいことになります。
人々が健康であるということは、社会的な負荷もかなり低いはずです。

話は変わって、コンビニ。
コンビニの商品は、一般のスーパーや商店などに比べて高い。
それでも人気があるのですが、まあ、利用年代を調べれば、おそらく若い世代ほど利用しているのでしょう。
所得にもよりますが、結婚して子どもができると、コンビニの商品は高いと自覚できるはず。
そうなるまでは、コンビニ商品を高いと思わない、あるいは、高いと自覚していも手軽だから利用する、といった具合だと思います。
それほどコンビニ利用者は、金銭感覚が麻痺しているのかもしれません。
逆に言えば、この金銭感覚の麻痺を利用した商売が、コンビニなのでしょう。
旅に出てコンビニで買うものは、私の場合、新聞くらい。
新潟の港付近にあったローソンでは、私は嫌な客の一人であったかもしれません。
新聞しか買わなかったですから。

高くても売れるものがコンビニで、手軽さが売り。
つまり、便利さを買っているわけです。
車で行って、あるいは寄って。
もし、自動車社会がなかったら、田舎の場合は、コンビニなんて存在しません。
バブルは崩壊しましたが、今でも人々の心の中は、まだバブリーです。
バブリーでなくなった時に、コンビニは衰退するのでしょう。
でも、ずっとバブリーなままですね。

政府は、経済が好転するようにカネを使ってくれ、と国民に叫んでいますから、政府の感覚も、やはりバブリーというほかありません。
しかし、瀬棚町の例とコンビニを比べたとき、金銭感覚のあり方も問われるべきだ、ということがわかると思います。
金銭感覚が異常なままでは、財政運営は悪化し続け、人々の生活も上向くことはない、と私は思います。
(2002年7月28日)



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