魚菜王国いわて

新しい産業の負の側面

宮古市関連の掲示板では、よく新しい産業や新しい商売の構築を要求する書き込みが見られます。
宮古市以外でも、きっとそうでしょう。
もっと大きく見れば、国自体もそうです。
新しい産業が、ひょっと出現すれば、きっと経済を好転させる、と。
国主導でやったITなんかそうでしたね。
ところが、その結果は惨憺たるもので、前よりも悪くなった。
ITは人減らしでしかなく、それは以前の機械化と同じ道を、結局はたどりました。
国が何かしなければ経済は悪くなる、とは、誰が一体考えたものでしょう。

実は、以前は、誰もそうは考えてなかった。
たまたま経済理論として、ケインズが、経済政策を国で行ったらどうか、と発表し、それが、世界中の国で行われただけであって、つまり、その慣例化が、逆に、国民の側で、「政府は何をしているのか?けしからん」言うようにとなったわけです。
しかも、そのケインズ主義に最も忠実な国が、この日本である、と言われています。
現在の私たちは、生まれた時から、景気が悪いのは政府が悪いからだ、と思っているわけです。

このケインズ主義は、ある産業が衰退していく時に、非常に悪く利用されます。
産業の隆盛や衰退は、自由経済ではごく普通のことです。
つまり、起業と倒産の繰り返し。
ところが、「国が積極的に経済政策に関与し、失業者をできるだけ出さないようにするために」、衰退していく産業の保護に走るわけです。
よく聞きますよね。
「あの産業がダメになるから、何とかしてもらわないと」というセリフを。
国が保護に走るということは、税金が使われるわけです。
この保護政策は、実に不合理であり、財政赤字の応援部隊となりました。
もっと不合理なのは、土建国家といわれるくらいの土建業を、政府主導でたくさん起業させながら(それも一気にです。少しずつチマチマやればまだマシだったはず)、ダメになりそうになれば、また、景気対策でハコモノを作ろうとし、それでもダメで、今度は銀行への債権放棄要請(良い例が熊谷組)。
その結果、財政自体は超大赤字。

今、地球温暖化、あるいは、環境対策、そして、エネルギー対策として、環境税なんかが提言されていますが、どういうわけか、その最も簡単な課税、すなわち、石油関連税の増税をなかなかしません。
私なんかは、自家用車を、庶民の乗り物とは考えていませんから、一気に課税すれば、この上ない環境対策だ、と書いたりしてます。
しかし、この課税で被害を被る産業が多いから、これは、実現不可能なのです。

ここで、比較的新しい産業として、宅急便産業のことを書きます。
宅急便の前から、輸送産業はあったのですが、宅急便とか宅配便とか宣伝されるようになってから、この業界が躍進したのは周知です。
彼らの動力は、モロに石油ですから、石油への大きな課税は倒産モノです。
本来、国土の環境、地球の環境を守ろうとするのは、地球人としての最大の責務です。
これを国がやろうとするのは、悪いことではなく、良いことのはず。
ところが、次々と出現した新しい石油関連産業が反対するわけです。
地球の歴史上、あるいは、人類の歴史上でみれば、いや紀元後の短期でみても、石油産業というのは、新しい産業であると言えます。
このように新しい産業というのは、何もいいことばかりではない。
特に、ケインズ主義に忠実な日本では、さらに、雇用維持のため、新しい産業の衰退は許されません。
これが、国民の意思になっています(本当に国民の意思だろうか)。

宮古で、行政主導で、新しい産業ができたとします。
無理に作った産業は、他へコピーされたりして、いつかは衰退するでしょう。
その時の行政の対応が見ものです。
「再び行政はその産業を税金を使って保護するのか?」「その保護を市民が許すのか?」ということを考えもしないで、ただ闇雲に、「市は何もしない」と言うのは非常に情けない。
今となったら、コピー簡単産業は最初から作るべきではない、と皆さん思いませんか?

お前、何を言っているんだ、と思われる方のために、ケインズ主義のことを書いた文章を、少し引用しておきます。
引用先は、副島隆彦・山口宏著「法律学の正体」の第7章「行政法・税法」からです。

現在の各国の政府は経済政策をおこなうことになっています。
どこで決めたのかわかりませんが、20世紀以降の国民政府は経済政策をおこなって、国民の経済行動にまで直接関与しようとする性質をもっています。
これは経済学の理論から言えばケインズ主義の理論です。
政府が自ら巨額の借金を背負って積極的に経済政策(これは金融政策と財政政策の二つに分かれます)をおこなって、いわゆる「社会福祉」国家になってしまったのです。
元来、古典的な定義では、国家(王の務め)は国防と外交だけでした。
あとはまあ、国民が勝手に生きていろということで、税金さえ取れれば経済変動で国民が貧乏にあえいだりしてもしても知らん顔をしていた。
これが古典的な国家像です。
それが、各種の社会政策思想とジョン・メイナード・ケインズの有効需要創造理論(マクロ経済学の誕生)で、1930年代以降、70年代までずっと、西欧、アメリカ、そして日本もこのケインズ型行政観で国家を運営してきた。
(「法律学の正体」p280)
(2003年4月29日)



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