魚菜王国いわて

普通の感覚(「噂の真相」7月号より)

旅に出ていると、新聞やテレビしか見ておらず、帰ってきてから3ヶ月分の「噂の真相」を読むと、情報操作をされたニュースばかりを見聞きしているような気になります。
「噂の真相」の記事のほうが、冷静な記事に見えてしまい、一般の論調のほうがヒステリックに感じます。
この雑誌はもう来年の今頃はない(予定)。

最初に、小田嶋隆さんの「無資本主義商品論」からで、「りそなグループへの公的資金注入額 約2兆円」の断片を紹介します。

さて、普通の人が最初に抱く疑問は「”りそな”ってどこの銀行だっけ?」ということだ。うん。その程度のことは常識で知っているべきだ。が、オレを含めてたいていの一般人は「りそな」についてほとんど何も知っちゃいない。っていうか、りそなの失敗の本質は、まさにこの「誰にも知られていなかった」という点に集約される。ともあれ、オレら国民にしてみればこの2年ぐらいのうちに、なじみの銀行がほとんど名前を変えてしまったわけで、いまだにどの銀行がどこと一緒になってどういう名前になったのかについて、きちんとした進化系統樹が描けないのである。
(「噂の真相」2003年7月号p42)

このコラムで安心しましたね。
都市銀行の合併する前の銀行名、私はほとんど知りません。
あまりに混沌としていて、どうでもいい感じですが、この複雑さが、個々の銀行の失敗や責任問題を希薄させているのでしょう。
複雑なモノほどわかりにくく、それが責任逃れのミソとなります。

さて、つぎは「エロテロリスト」と呼ばれているらしい台湾出身のインリン・オブ・ジョイトイさんのご発言。
ごく当たり前の意見を、ものの見事に語っています。
私は大拍手です。
記事の題名は「『エロテロリスト』インリンが激白する『ブッシュにSARSを!』の反戦宣言!!」です。
インタビューは岡留安則編集長。

― 先の首脳会談で小泉とブッシュは北朝鮮に対して場合によっては強硬姿勢で臨むことで一致したけど、北朝鮮問題についてはどうかな。
「日本に『いつミサイルが飛んでくるのかわからない』という恐怖心は分かるけど、それを回避するためのコミュニケーションを何もとろうともしないで、相手を暴発に追い込むような強硬姿勢しかとらない。これでは、何のために政治家がいるんだろうと思います。本当に私たちを守る気があるんだったら、武力やアメリカに頼らずに、まずは外交交渉などの行動をしろよって感じ。
もちろん、拉致という複雑な問題があります。拉致は国家犯罪だし、起きてはならないこと。金正日のしていることも、許されることじゃない。でも、私はそのまえに、じゃあ、なんで拉致は起こったんだろうって考えたい。日本の過去、朝鮮半島でどんなことをしてきたのか。『それに比べれば、拉致しても構わない』と北朝鮮に正当化させる余地を過去において与えたんじゃないか。その歴史についても考えるべきです。」
(前掲書p47)

彼女は、自分の考えと違う企業行動をするところを嫌いで、フジサンケイグループとは仕事をしないと明言しています。
エライですよね。
私も真似たいです(?)。
できるだけ(?)。
で、ブッシュ暗殺に成功した方には『インリンと過ごすイラク10日間の旅』をプレゼントするそうです。
ぜひ、チャレンジを!(笑)

最後に「読者の場」から。
冷静な視点の投稿であり、ぜひ、みなさんに読んでもらいたいです。
高村実さんの「反体制の嵐」からです。

かつて、田中康夫氏はTBSラジオの番組(アクセス)内にて週間金曜日なんか読むような人間にろくな人間はいない、と目茶苦茶に罵っていた。少なくとも同放送と田中氏の姿勢を支持する内容の私の投書が金曜日(369号)に掲載される01年6月迄はそう言っていた。
私は、当時、田中氏が主張していたように金曜日の読者すべてが、ろくな人間でないとは思っていなかったが、当時、田中氏が言いたい事は何となく解ると思っていた。
私にすれば、別に週間金曜日という一雑誌を読んでいるから云々というわけではなく、この国(或いは世界中かもしれないが)において反体制的なイデオロギーや思想を持ち、反動権力者や、それを支持する保守的思考を持つ者等から「左翼」や、「アカ」等の表現で蔑称されるような者等にはある共通の特徴があるのではないかと思っていた。
それは、所謂、「常識」、「大衆性」の欠落というものである。例えば、自分勝手な理想を(一方的に)主張し、相手の意見を聞こうとはせず、己の主張を理解しえぬ者等を排斥するモノの考え方、己が自分勝手に打ち立てた論理だけが、この社会を前進させうるという妄想により、大衆を啓蒙してやろうとでもいうような傲慢な姿勢、そして、そのような性質の人間が集まることによって起こる内部対立や、彼らが普段接する一般大衆との人間関係の断絶等である。
彼(彼女)等は、自分等のような意識を持たぬ大衆を内心では侮蔑し、自分等が侮蔑するその大衆の生きる社会を自分勝手な理想で作り変えようとは考えても、その中で生きる者等の幸福を願わない。大衆を利用しようとは考えても、彼ら自身、自分等から進んで大衆の目線まで下りて、凡俗の思考を理解しようとはしない。
そのような彼(彼女)等にとって大衆は自分の目的の為に利用するものでしかなく、同じ運動を担う者らに対してすら友情は抱かず、救済を主張する虐げられる者等への連帯感もなければ、愛もない。それ故、己が利用しようとする市民運動や、大衆意識が自分の意のままにならぬと結論付ければ、自分がそれまで連帯してきた者等を平気で裏切り、自分がそれまで戦っていた(筈の)反動体制に擦り寄り、腐った反動論客や、活動家に成り下がるのである(虐げられた者等への愛情など元々ないのだから彼らへの罪悪感など感じようがない)。
(以下省略)
(前掲書p139)

大衆の目線って大事ですよね。
過去の不幸の大多数は、世界的に見ても急進的なものであり、特に左翼思想のもたらしたものはひどい。
急進的とは、つまり、大衆の目線を無視したもの。
いくら理想を語っても、大衆が影響を受けなければ、それは理想でしかない、夢でしかない。
この投稿を噛みしめて、自分のできることをしっかり見据えていきたいものです。
(2003年8月16日)



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