西上州の峠について
道普請をしている十石、栂峠をはじめ、味わい深い西上州の峠のいくつかを、まずは上野村の周辺にあるものについて紹介します。
峠リスト
上信国境の峠
十石峠
栂峠
ハツオウジ峠
大仁田越
武道峠
多野・甘楽郡境の峠
塩の沢峠
楢沢峠 檜沢峠
上武国境の峠
六助の峠 赤岩峠
野栗峠 オバンドウ(オバンド)峠
十石峠 1356m
上信国境にあり、佐久と神流川源流の山中谷を結ぶ。その名は江戸時代に一日十石の米が佐久から峠を越えて山中谷に運ばれたと言われる事に由来する。当時は麓の白井に関所が置かれ、峠に程近い水の戸には茶店もあり、重要な交通路であったことが偲ばれる。現在はほとんどが車道となっているが沿道には点々と石仏がたたずみ、群馬側の麓寄り、矢弓沢沿いに旧峠道が残る。
写真:上左 雪の十石峠の朝焼け/上右 矢弓沢源頭の十石峠旧道(1985年ころ)/左 矢弓沢の十石旧道(1985年ころ)
栂峠 1570m
栂峠道は山中谷と北相木を結ぶ。その道筋は十石峠の群馬側にある水の戸から分岐し、上信国境の尾根上に南に向かってから、栂峠より西へ下って 北相木に至る。峠道に沿って作られた3系統の林道で旧道の大方は失われているが、信州側の峠直下、群馬側では峠と水の戸の中間付近の他、水の戸の近くなどの3ケ所にわずかに旧峠道が残る。信州側の旧道途上、眺めのよい枝尾根を越える地点には峠名の由来となる栂の大木と祠がある。
写真:左 笹原の中に石仏がたたずむ栂峠/中 栂峠の石仏/右1985年ころ、かろうじて通ることのできた群馬側の旧峠道。
ハツオウジ峠
車道の開通した武道峠道をショートカットするような形で、かつて上野村中沢と信州北相木を結んだ峠道。当時の道筋に沿って送電線が作られ、その巡視路を辿って峠を越えることができる。峠名は麓にあった草庵の名に由来すると言われる。
写真:左 ハツオウジ峠? 現在の巡視路の乗越地点/右 信州側の道
大仁田越
信州佐久町と上州南牧村の大仁田を結ぶ峠道。十石峠道の信州側直下で北に別れて上信国境尾根を北上し、多野・甘楽郡界尾根の北側、大仁田川の谷へ下る。写真は大仁田側源頭の下降点に建つ首無地蔵。
武道峠
上野村中沢と信州北相木を結ぶ。大正の頃、この地で陸軍の演習が行われた時に開かれた新しい峠だそうだが、その後車道ができ車の通う峠となった。
楢沢峠
塩の沢峠より東側の派生尾根を辿って上野村の楢沢・楢原へ下る峠道。派生尾根上から楢沢の谷へ下り出す所に立派な石灯籠を従えた祠がある。
檜沢峠
上野村住居付と南牧村檜沢を結ぶ多野・甘楽郡界の峠で、明治期には県道に指定された重要な交通路であった。山の神と石仏がたたずむ。
六助の峠
上野村野栗沢より天丸山東の鞍部で上武国境を越えて埼玉県大滝村の中津川支流、広河原の谷に至る。雁掛峠を間に挟んで赤岩峠と上武国境に並ぶ。
赤岩峠
上野村野栗沢より赤岩岳と大ナゲシの間の鞍部で上武国境を越えて埼玉県大滝村の金山に至る。改めて見ると六助の峠と同じ雰囲気を持っている。
野栗峠
上野村野栗沢より東側の上武国境派生尾根を越えて中里村の廃村明家(みょうけ)に至る。峠には端正な顔だちの石仏がある。野栗側の道は森林フォーラムの手により整備されている。
オバンドウ(オバンド)峠
中里村村内の明家と間物(まもの)を上武国境派生尾根越しに結ぶ。野栗峠とともに、信州佐久と武州秩父を結ぶ十石峠越の武州街道の一部でもある。
道普請についての話
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