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〜海だ、海だぁ!〜
寒くて黒いヌワラ・エリヤなんてもーたくさんとばかり、タクシ
ー運ちゃんと料金交渉開始。なにしろ南の海っぷちまで行ってくん
な、と目的未定のまま出発した。
スリランカの植生は、低地のものは沖縄とかなり似ているけれど
(ただし沖縄の数十倍は濃くて美しい)、高地の植生は熱帯らしく
ない。茶畑の中をぬけ、棚田の中をぬけ、うーんサイコー。
高度が下がってくるとまたヤシがたくさんになって、あ、ブーゲ
ンビリアだ、とか、あ、ミドリサンゴだ
、とか、はしゃぎまくり。
車はガンガン走った。ヌワラ・エリヤから南岸まで150キロだ
から、ガンガン走らなきゃ、その日のうちに着きゃーしない。
だいぶ海まで近くなってきたところで、大きな川を渡った。その
橋の上で車が急停止。
「あそこ、見てごらん」
目をこらすと、あ、ワニ。ぱっかーんとデカい口をあけたワニの
シルエットが、川岸にへばりついて動かない。野生のワニを見たの
はこれがはじめて。うう、もっと近くに寄りたい。え、ダメ?
車はさらに南下。突然、キラキラと視界に飛び込む青く光るもの。
「海だー!」
海はみんなを元気にしてくれる。運転手もその助手も、もちろん私
たちだって、みーんなで、海だ、海だぁ、の大合唱。
海に沈む夕陽を左に見ながら車は疾走。それでも運転手たちが勧
めてくれたメリッサのコテージに着いたときには、もうあたりは真
っ暗になっていた。
〜スリランカのアンマー〜
メリッサのコテージは気にいらなかったから、一泊だけでウナワ
トゥナに移動した。
ウナワトゥナにはたくさんのゲストハウスがあって、たくさんの
ツーリストがいる。トゥクトゥク(オート三輪タクシー)をあっちこっち
回らせて、おばあが一人で切り盛りするゲストハウスに落ち着いた。
このゲストハウスの名前は、アンマーズ・ゲストウスという。聞
くと、スリランカでも「おかあちゃん」のことを「アンマー」というら
しい(注1)。おお、こりゃビックリ。
宿に荷物を置くやいなや、さっそく目の前の海に入った。
食べられそーなウニがたくさんいるわい(注2)
。うししし。すると、
「うぎゃぎゃぎゃ、%$?!」
旅友(男)があっちのほうで騒いでいる。
「どーしたの?」
「ウニ踏んだぁ」
ふにぃ。すぐ宿にトンボ返り。
「アンマー、ウニ踏んだよー」
「じゃあ、これをつけなさい」
「ありがとー、アンマー」
「100Rsね」
その翌日は、私の○十△回目の誕生日だった。
「ねぇアンマー、今日は私の誕生日だよん」
「あらあら、じゃあ、アンマーがごちそうを作ってあげるわね」
「買い出しに行ってこよーか?」
「じゃあ、チョコレート買ってきてちょうだい」
別のゲストハウスでバイクを借りて、マータラまでツーリング。
これがカデナ自練(注3)
を卒業して以来、はじめて乗ったバイクなのよん。
カデナ自練の皆さま、その節はお世話になりました。
「アンマー、チョコレート買ってきたよ」(ケーキでも作ってくれるのかな?
ワクワク)
「まあまあ、うちの孫たちがチョコレート大好きなのよ」
「うおーい」」!」
こんなこともあった。
「めぐまれない子供たちのために、ボールペンを集めてるの。もし余
っていたら、ちょうだいな」
アンマーにこう言われたから、ちょっと惜しいかな、と思ったけれど、
赤と黒の二色ボールペンをあげた。
「あのボールペン、孫がとっても喜んでたわ。ありがとう」
「おおーい」」!」
スリランカのアンマー、あなどるべからず。
〜苦みばしったコロンボ〜
コロニアルホテル(イギリス植民地時代に建てられたホテル)が
お気に入りの旅友2人は、ゴールにあるニューオリエンタル・ホテ
ルに移動した。その近くでちょうど行われていた夜祭りで、生きア
ヒル輪投げを見たそうで、そればっかりはちょっと残念。
私は一人、裏の井戸で洗濯をして、海を眺めて、アンマーの極め
て質素な手料理を食べた。さあ、明日はコロンボだ。
旅友たちとゴールで合流し、コロンボ行きの列車に乗り込んだ。
海ぎわを走る列車からは、いちゃいちゃカップル
がたくさん見えた。
実質的な首都であるコロンボには、高層ビルが立ち並んでいた。
たいそう立派な大都市には、たいそう立派なホテルがあるばかりで、
宿探しはたいそう難航した。
満員バスでヘチョムクレになって、トゥクトゥクで顔真っ黒けに
なって、やっとのことで工事中のボロホテルに倒れこんだ。
まあ、まずは乾杯、とホテルのボーイに持ってきてもらったビー
ルは、ライオン(スリランカ国産ビール)の黒。おお、黒ビール。
さすがコロンボ。
ゴキュゴキュ」」。ぶええええ、にが〜い!
ライオンビールもま
ずいけど、ライオン黒ビールはさらに飲めない代物だった。
〜バリケードの中で婚約?〜
スリランカは政情不安な国で、しょっちゅう爆弾テロがある。だ
からコロンボの中心部はバリケードばかりだった。
ただでさえ暑いのに、コンクリートからの照り返しと、バリケー
ドによる通せんぼで、体力がみるみる消耗されていった。
「ああ、おなかへった」
海辺を歩いていると、プーンといい香り。なんと屋台村があるで
はないか。いい香りの元は牛のケバブ(モスリム風串焼き)だ。ラ
ッキー。ケバブをつまみにビールを飲んでいると、なにかと親切に
してくれていた従業員が、
「俺と結婚してくれ」
と言ってきた。
「え。わたしもう、結婚してるんだけど」」」
「じゃあ、スリランカの夫ってことでもいいから」
「ふーん、それならいいか(冗談)」
その答えを待つか待たないうちに、ぐんぐん屋台のほうに引っ張
られ、これがおれのボス、これがおれの弟、これがおれの繙繧ニ、
次から次へと紹介されまくった。
「明日も来るか?」
と聞かれたから、絶対来るとウソを言ってその場を去った。
悪気はないのよ。君は本当にいい奴だよ。だからきっといい女に
めぐり合えるよ。
〜ルピーを稼ぐ?〜
コロンボには2泊した。紅茶など必要なものを買い込んだら、爆
弾テロに遭わないうちにさっさと逃げ出すに越したことはない。
中央バスターミナルでニゴンボへの長距離バスに乗り込んだ。ス
リランカのいいところは、交通網が発達していることと、運賃が安
いことだ。中でもバス料金は非常に安くて、コロンボ〜ニゴンボ間所
要1時間30分が7・5Rs(約15円)。
こんなに安くていーんだろうか?
ニゴンボの宿ではあいかわらず、おじいが一人で立ち働いていた。
おばあもいるけれど、いつも床でトドのように寝ているのだ。
「おお、我が子たちよ、戻ってきてくれたか」
結局、スリランカの中で、ここが一番居心地よかったな。
「我が娘よ、きいてくれ」
おじいが真面目な顔をして、私のほうに向き直った。
「私の息子を日本に無事入国させてくれたら、2ラックRs(約40万
円)払う。どうだ? 空港まで迎えにきてくれて、友達だと言って
くれれば、それでいいんだ」
私は「考えておく」と返事をしたものの、帰国してから、あのお
じいに連絡していない。その気がある人がいたら、私に連絡してき
てほしい。
ついでに、スリランカのマハラジャ何とかという宝くじは、1等
がしばらく出ずに持ち越されていて、賞金が数千万円に膨れ上がっ
ている。この宝くじのテレビ抽選が週に1回あって、私も夢中で見
ていた。でも、帰国してきたってことは、当たらなかったってこと
だ。どこかにスリランカに行く人がいたら、お金を預けるから、私
の分の宝くじも買ってほしい。
結局、有り金は増えることなく減りつづけたまま(当然だ)、
スリラ
ンカを後にした。
〜スリランカの国情〜
爆弾テロは暑い時期に暑いところで起こることが多いようだけれ
ど、選挙の前などには全国的にテロが起こる。実際、今年の春にも
夜間外出禁止令が発令された。
中でもコロンボのフォート地区(経済中心地)は、たびたび爆弾
テロに見舞われている。骨組だけのビルが並ぶ光景は異様だ。
これは大ざっぱに言えば、多数民族シンハラ人と、移民であるタ
ミル人との紛争が原因だ。もちろん民族間紛争だけではなく、政治
や宗教など様々な要因が絡んでいるので、外国人にはなかなかそ
の内情がつかめない。
それでも、国情は荒れているらしいのに、実際に訪れてみると、
これが現在も紛争中の国の人たちなのだろうか、と首をかしげてし
まうほどに温厚で笑顔にあふれている。シンハラもタミルも、みん
な仲良くやっているようだし、実際にそういう発言も多く聞いた。
寺も遺跡も海も山も高級ホテルもあって、しかも英語が通じる国
というのは、ありそうでなかなか無い。海は沖縄のほうがきれいだ
けれど、緑はスリランカのほうがずっと深くて活き活きしている。
みなさんもぜひ一度、スリランカを訪れてほしい。ただし、国情は
よーく調べてからね。
(注1)沖縄でもこう呼ぶわけです
(注2)赤と白の短いトゲがあるやつです
(注3)自動車教習所のことを沖縄では「じれん」と呼びます