お嬢様面管理人の思い出

 六角橋の思い出は数限りない。生まれてはじめて迷子になったのは仲見世だった。八百屋の店先に並んだ空きカゴ(当時はプラスチックカゴに野菜が乗っていた)をせっせと重ね、片付けに夢中だったわたしに気づかない母親とはぐれてしまった。母を呼ぶと母の声が表通りから聞こえ、表通りに出て呼ぶと仲見世から聞こえてきた。
 仲見世は幅一間ほどの二階屋がギッチリと並んでいる。だから一軒から火がでると、みるみる火事が広がっていくのだ。最近は過去の教訓からか火事も無くなったが、昔はほんとうによく燃えた。千代田湯そばから出火したとき、父親がいつのまにか煙突のてっぺんからゴムホースのたよりない水をかけていた。大丸ピーコックのそばの民家が焼けたときは、わたしも幼いながらにバケツリレーに加わった。マクラを抱えてオロオロする家主の姿がいまも目に焼きついている。
 そういえば寄稿してくれた六角蛸太郎氏の隣の卓球場も燃えた。「あのときウチも燃えちゃえば、いまだにこんなボロ屋に住まなくてよかったのに」と彼はこぼしている。あの卓球場跡地はかなりの期間更地だったが、今やたいへん立派なビルになった。駅に続く本屋やら床屋やらゲーム屋やらが入るビルがそれだ。
 白鳥座と紅座がなくなったときは悲しかった。白鳥座は静岡銀行に、紅座はパチンコ屋に。時代の流れは止められない。
 ちなみにわたしが住んでいたマンションには、五木寛之氏が今もいらっしゃる。もう相当ボロいマンションだけど、眺望だけはすばらしい


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