好きなものは、べつに、ない。
・・・失った時、つらいから。
眼の前の現実から目を背けたくて
空を仰ぎ見れば月はなく。
ただ大きな桜が俺たち二人を包み込んでいた。
静かな新月の夜に
星の光にのみ照らされたその満開の花たちは
月の輝きを失って
はかなげに白く浮かび上がり
彼女の血を吸うようにゆるゆると赤く染まっていった。
下を向きたくはなかった。
涙がこぼれるから。
でも、目を大きく開けて、
見なくてはいけない。
サクラの強さを。
自分の弱さを。
この現実を。
桜と反対に青白くなっていくサクラのほほに手をあてて、こびりつく血をふき乱れた髪をととのえた。
もうその眼は開くことはない
「サクラ・・・」
もうずっと、呼んでいなかったような気がする。
素直に甘えられなかったから
救われたかった。
抱きしめて抱きしめられてその胸ですべてをナミダでながしてしまいたかった
後悔や、悲しみや、驚きや、恐れ、そしてこの手についた血の匂い。
必要としていたのに
目を閉じて耳をふさぎ
悲しみからもおまえからも逃げようとしていた。
欲していたのに
どこかでそれを拒む自分がいて
でも名前なんて呼ばなくても彼女が自分のそばにいてくれることを
俺はどこかでわかっていた
ずるいんだ。俺は。
任務を受けては殺しの狂気に身を任せても罪は重くなる一方なのに
どうして素直におまえを求められなかったのか。
呼びかければ、すぐ振り向いてくれたのに
あと一歩近づけば、すぐ君に触れられたのに
「サクラ・・・」
もう、いまは、
どんなに手をのばしても届かない
好きなものは、べつに、ない。
大切なものなんて、べつに、ない。
失った時、つらいから。
辺りを見回すと深い暗闇が迫っていた。
ああ、月のない夜はこんなにも黒いものだったか。
月の光に慣れすぎて、そのうしろに出来た自分の影ばかり見ていた。
この世界がまぶしいほど明るかったのは
この暗闇を感じることがなかったのは
ぜんぶおまえが、いてくれたから。
ああ、失ってから気づくなんて
俺は、バカだ。
「サクラ・・・」
もう彼女は、何も言わない。
もう二度と、月の光のように、俺の闇をを照らしてはくれない。
輝きを失った月
まるで今日のように。
新月はすべての終わり。
そして
新月はすべての始まり。
月は一度死んで
もう一度生まれる。
俺は今、死んで
そして、もう一度
生まれたのだ。
どこをどう通ったのか
サクラを抱えて俺は森をさまよい歩いた。
彼女は想像よりずっと軽くて、いまにもくずれて消えてしまいそうだった。
おまえはちゃんと、幸せだったのか?
俺なんかのそばにいて。
つらくて、俺はまた嗚咽した。
何時間歩いたのか
森を抜けるとあたりは急に開けて、
遠くに金色の髪と銀色の髪がみえたようなきがした。
派手な奴ら。
ふっと笑った。
それからあとは、覚えていない。
空が白んで、
もうすぐ夜が明ける
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