さくり、と土が鳴る。
緑が生い茂って、命が輝く。もうすぐ季節は夏。
ふとサスケが足を止めると、隣にサクラの姿はない。
後を振り返ると懸命に歩く彼女の姿。
それはケガのせいかとても危なっかしくて、おもわずどきりとする。
「大丈夫か?」
「う、うん。」
少し立ち止まってサクラを待つ。
そしてまた、歩き出す。
今度は、ゆっくりと。
サクラはそれでも一人で歩く。口を結んで。前を見て。
木漏れ日に不規則に照らされる彼女は、キラキラと輝いて見えた。
命が輝く。もうすぐ季節は夏。
サクラは少し汗ばんだ額をぬぐった
ふと足を止めて先を見上げる。
「・・・こんなところ、どうやって向こうに渡ったの?」
少し行くと、浅いがそれなりの川幅の小川があって、
サクラは少し動揺した。
自分はこんなところを当たり前のように通ることが出来たのか。
それが、忍び?
私が歩いていたという道。
サクラは息を呑んだ。
からだが、動かない。
それは、ケガのせいだけではなく。
「きゃあ!」
ふわっと、からだが宙に浮いたかと思うと、サクラはサスケの腕の中にいた。
「・・・!サスケくん・・・?!」
サクラは驚きで真っ赤になって手足をばたばたさせた。
「・・・こら、ケガ、してるんだろ?」
「う・・・」
サクラは抵抗を止めてサスケの顔を上目遣いに見つめる。
「いやなら、降ろすけど。」
そっぽを向いた彼の顔は、ほんのり染まっていた。
サクラはそっと彼の首に手を回した。華奢な見た目よりも彼のからだはしっかりしていた。
彼の心臓の音が聞こえる。
サクラはサスケにぴったりとからだをくっつけて、その音を聞いていた。
彼が岩を蹴ったかと思うと、周りの景色は、飛ぶように過ぎていった。
忍び、か・・・。
サクラは目をつぶって考えていた。
人から話を聞き、本を読んで学んだことは、厳しい世界だということ。
戦いの世界であるということ。
国の軍事力の象徴であり、ある意味でその国の道具であること。
忍びの世界。
誰がそんな世界に入ろうと思うの。
どうして私はそんな世界にいたの?
どうして。
サクラ、
声をかけられてはっと気付く。
「あ、ありがとう。」
ストン、とあっけなく降ろされて、サクラは少し拍子抜けした。
あれ、もしかして、残念?
サクラはドキリとした。
変な気持ちにサクラは顔が赤くなる。
「大丈夫か?」
うつむいてしまったサクラを覗き込むサスケ。
「う、うん!大丈夫!」
慌てて顔を上げて話題を探す。
「あ、あの、さっ!し、忍びって、やっぱすごいね。こんなところ軽々と飛び越えちゃうんだから。
うちのお父さんもお母さんも、みんなも・・・すごいんだ。」
自分にも、できたのだろうか。
「・・・多分、お前もできるよ。」
少し考えて、サスケは言った。
自分の考えていたことが見透かされたようで、サクラはドキッとした。
スッと傍らの道具袋から手裏剣を取り出すと
サクラの前に差し出して持ち方を教える。
「あの木の一番下の枝の付け根を狙ってみろよ。」
サクラは言われたとおりにねらいを定めた。
ふっ、とサクラの重心が下がり、くくっと上げた腕を勢いよく振りぬく。
「あ・・・」
それは命中した。
サクラはドキリとして、サスケを不安そうに見上げる。
「くないでもやってみるか?」
サスケは別に驚いたふうもなく、サクラの前に今度は黒光りするくないを差し出した。
妙に喉がかさかさと渇いて、サクラはゴクンとつばを飲み込んだ。
手をのばして、おそるおそるそのくないに触れる。
それはとても冷たくて、鉄の匂いがした。
「・・・や、やっぱり、いい。」
サクラはきびすを返して山道へ入って行った。
サクラの手には鉄の匂いが残った。
それはまるで血の匂いのようで
確かに自分がそこにいたという証拠のように思えた。
背筋がゾクッと反応した。
「どうした?」
後からサスケが問い掛けるがどう答えていいかわからずサクラはうつむいた。
「・・・なんでもない。」
「・・・サクラ・・・?」
「だ、大丈夫よ!ね?」
サクラは笑ってみせる。
作り笑顔は苦手じゃない。
「あ!そうだ!ね、ね!・・・そういえば、ずっと気になってたんだけど、サスケくんのお父さんとお母さんは?」
サスケの表情が、一瞬こわばった。
「忍びなんだよね?」
後ろのサスケに笑いかけようとして、サクラは異変に気付く。
「・・・サスケくん・・・?」
緊迫した空気が流れた。
「あ、あの・・・ごめん・・・なんだか・・・悪いこと聞いちゃった・・・?」
サスケの様子にオロオロする。
ふっ、と息をついてサスケが目を閉じた。
辺りを包んでいた緊張が、すこしほぐれた。
「・・・いや、いいんだ。」
サスケは目を開けた。その視線はどこかを見つめているようにも、何も見えていないようにも思えた。
「・・・家族は、いない。」
「俺が小さいころ、亡くなった。」
「・・・。」
サクラはサスケを見つめた。その瞳は遠くを見て、けしてサクラへは向かうことはなかった。
サスケの目の色が、初めて恐ろしいものに思えた。
はかりしれない闇が、そこにあるような気がした。
「・・・なに泣いてるんだよ」
サスケがくすっと笑いながらサクラの涙をぬぐった。
「・・・あ・・・」
私、泣いてる・・・の・・・?
サクラが手をのばして触れた自分の頬は、濡れて冷たかった。
それはすでに予想されていた答えなのに
なぜだかサクラはひどくショックを受けた。
サスケからその言葉を聞くのが、悲しくてたまらなかった。
これはきっと、戦いのさだめ。
この悲しみも忍びの運命?
その世界は、見渡す限り寂しい
私がいたのは、こんな世界なのですか?
サスケの瞳は、けしてサクラを見ない。
彼だけが知っている、自身の影を見つめている。
初めて気付いた彼の闇に、こころが囚われた。
「・・・でも、サスケくんは、たくさん愛されてきたような気がする。」
サクラは泣いていた。
サスケは怪訝な目をした。
サクラは泣いたまま、にこっと笑った。
「だって、やさしいから。」
笑うと、涙がポタポタと落ちた。
「すごく、やさしいから。」
わかるよ。
「愛されて、いたんだね。」
サスケは
自分の鼓動を聞いた。
心臓が、鳴る音が聞こえた。
体中が脈打ち、手が震えた。
・・・ああ
それは、サクラ。
お前がいたから。
サスケはサクラの瞳を見た。葉の緑よりも少し薄い。エメラルドグリーン。
・・・やさしさとか、あいとか、
きっと教えてくれたのはお前。
もし俺が優しいというのなら、
それはお前がいたから。
サクラが俺にしてくれたように、
俺がお前を照らそうと思ったのだ。
「サスケくん・・・」
サクラはそっと呼びかけた。
外見は
無口でこわそうな。
口をきっと結んで何かを堪えているような。
ときどき見せる照れ隠しの仏頂面。
ふと気付く優しさ。
そして
垣間見える影。
きっとそれは、苦しみの闇。
遠くを見つめる。その目は悲しみの色。
けれど私を見つめる。その瞳は慈しみの色。
わたしに、あなたの悲しみをわけて?
思わず、手をのばしたくなる。
触れたいの。あなたに。
「私も、・・・あなたが大好きだよ。サスケくん。」
黒はすべての色を吸収する。
ああ、わたしもきっと吸い込まれてしまうのでしょう。
けれど
ああ、わたしこのひとが好きだ。
このひとが、好きなんだ。
「大好きだよ。」
サクラの目はまっすぐサスケを向いていた。
サスケは驚いて目を大きく開けた。
ああ、サクラのこの瞳。
サスケは拳をギュッとにぎりしめた。
もう一度、その言葉を聞けるなんて。
神様、この気持ちを、幸せというのでしょうか。
ずっとずっと、幸せなんかいらないとおもっていた。
・・・失った時、もっとつらいだけだから。
でも、サクラ、おまえは
俺に思い出させた。
もうこの手にはない幸せを。
あのころの安らぎを。
忘れていたはずなのに
おまえが俺を求めるから。
おまえが当たり前のように幸せを求めるから。
恐れることのないその瞳は
何度拒絶してもまた俺に向かって。
否応なしに気づかせた。
おれがその瞳に憧れていることを。
その瞳を羨んでいることを。
それが他人を映すことのないように
昔はいつもやきもきしていた気がする。
そんなことは絶対言えないけれど。
いつのまに、本当にいつの間に。
「・・・サスケくん、大好き!」
にっこり笑う。
こころにおまえがいたのだろう。
おまえのそんな素直なところにとまどって、
ほんとうは惹かれていて
失うことを知らないまっすぐな瞳を羨んだ。
俺が忘れたふりをしていた
ずっとずっと焦がれ求めていたものに気付かされて
それは、あいとか、やすらぎとか。言葉にすればそんなものだったような気がする。
俺がお前に求めたら、応えてくれそうな気がしたから
手をのばした。
あの時も、サクラはこう言って、
のばした手はつながった。
もう一度、その言葉を聞けるなんて。
「大好きだよ、サスケくん」
ありがとう。
お前が俺に与えてくれたものすべてに。
そしてもう一度、愛してくれて、ありがとう。
今度はもう、迷わない。
俺のやるべきことを、今はわかっている。
今度は、俺の番。
そっとサクラの手をとって、
その甲に口付ける。
「俺も、愛してる」
サクラが手をのばしたら、その手を取って連れて行こう。
どこまでも
いっしょに。