第36号 2015年12月 発行 聖ベネディクト女子修道院 

オブレートだより

来日65周年・独立30周年記念

 10月10日この日、メリノール宣教会のライヤ フランシス神父様が私たちのためにミサの司式をしてくださり、その中で次のお説教をいただきました。

 今日のミサの朗読はヨエル書4・12|21と、ルカの福音書11・27|28です。
正直に言えばこの二つの朗読はあまりふさわしくないと思いましたが、よく見たらヨエルが「恵みを注ぐ」、「神のご計画」と書いて、ルカには「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」とあります。

 多くの人は日常生活で起こることを「偶然の成り行き」といいます。
例えば、ある日私は郵便局に用事があり、午前中に行こうとしていたが、なぜかどうしても行く気持ちになれず、とうとう午後になってしまいました。
郵便局で用事を済ませた帰りに、私が歩いている先に白い杖を持った一人の女性が目に入りました。
その人は歩道と車道の境目を渡っては戻ることを何度も繰り返していてとても危険に見えたので「どうしました。家に帰りたいのですか。」と聞きましたら、「はい。」と言ったので手を貸してあげました。
その人は私たちの幼稚園の近所の人でした。

 そして、院長様から聞いた話によると、聖ベネディクト修道院のアメリカ本部から1930年に4人のシスターが中国に派遣され1950年に中国から追い出されて台湾まで行きました。
そこから日本まで行くつもりでした。
しかし、乗りたかった船は満員で乗れない状態でしたが、たまたま2つの席が空き、2人のシスターだけがそれに乗って日本に着きました。

 この2つの例を「偶然の成り行き.」とだけで片付けられるでしょうか。
そうではないと信じています。
全てに神様の考えがあります。
このように、毎日の出来事の中に神の計らいや、恵みがある。と第一朗読は言っています。

 今日はこの2人のシスター達の来日から65周年と、30年前アメリカの本部修道院から日本の修道院が独立し、「大人」として歩き始めたことを記念して祝います。
今まで保育所、幼稚園、知的障害者の学園、中学、高等学校の仕事があり、その経験を通して育ってきました。
そして、それはこれからの宣教をどのように行なうかにつながるものでしょう。

 日々出会う人はイエス様と出会うこと。
そして、他者が取る態度に対しては、私がどんな態度を取るべきかが問われています。
私のとる態度によってキリストの福音をつげ知らせられるでしょうか。
それとも、福音を無視するか。
キリスト信者として毎日考えさせられるところではないでしょうか。